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感受性を守り続けたい、わたし自身の、そして周りの人たちの


ライフワークとしての演劇03

桐子カヲルさん(俳優/コキカル主宰/演劇作家 香川)



「その人がどう生きていて、その活動をどういうものとして捉えているのか」
 社会との接点を模索しながら、各地で地に足をつけて演劇活動をする方たちに「ライフワークとしての演劇」というテーマでお話を伺います。

 今回は、大阪や関東で俳優活動や劇場運営に携わった後、地元である香川にUターンし、
演劇活動をする桐子カヲルさん。地域の人材や場所の持つ魅力を活かした作品作りに取り組み、子どもたちに向けたワークショップにも力を注いでいます。
(以下敬称略)


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生活とのバランスを求めて

米谷 桐子さんが、演劇を始めたきっかけは何でしょうか。

桐子 高校生までは、ほとんど演劇を知らず、初めて興味を持ったのは漫画『ガラスの仮面』がきっかけでした。歯医者さんの待合室にあったのをたまたま読んで「何だこれ、おもしろいな」と思って。受験生だったのに、勉強を忘れるぐらい没頭して読みましたね。
通訳になるのが夢だったので、大学は大阪の外国語大学に行きました。田舎の人が都会に出る時のカルチャーショックなのか、周りの人たちはみんな頭がよく見えて、話が合わず、友だちもあまりできなくて。このままじゃいけないなと感じていた時、学生会館にあった演劇部の立て看板を見て、ちょっと気になって行ってみたんです。入部したのは2年生の時でした。大学は山の中。ホールはなく、集会室の窓に段ボールを貼って幕を釣りブラックボックスにしたり、裸電球を代々受け継いできた手製の装置で操作したり。そういうところで始めたので、劇場以外の場所で演劇をやるようになっても、そんなに抵抗はなかったです。工夫の仕方は、そこで学んだ気がしますね。

米谷 大学を卒業しても演劇を続けていこうと?

桐子 やめるという選択肢を思いつかなくて。どうやって続けていこうかということばかり考えていた気がします。それでも就職はしたんですよ、神奈川で。とりあえず1回、東京というか関東に行き、そこで仕事をしながら演劇ができる方法を探りたいと思ったんですね。ある演劇スタジオに半年ほど通っていた時に驚いたのが、女性はみんな夜は銀座で働き、昼間に稽古するという生活スタイルだったことです。わたしは、それは無理だなと思ってやめました。悶々としていた時に、関西の時の先輩がパパ・タラフマラの研究生をやっていて、アトリエ公演に出ないかと声をかけてくれました。参加して、やっぱり舞台はおもしろいなと実感して。
関東に3年間いた後、その先輩から、劇団を立ち上げるから一緒にやらないかと声をかけられて、大阪に戻ることになりました。その劇団の立ち上げに参加した後、他の劇団にも7年ほど在籍しました。最初は俳優としてでしたが、途中から劇場運営もしだしたので スタッフもしながら、働きながら。その頃は、海外公演にも参加したりして面白かったです。演劇祭、若手のためのワークショップ、ワークインプログレスなど、その劇場のプログラムはとても充実していたし、本当に勉強になったと思います。ただ、「演劇は自分の身銭を切ってやるものだ」という考えのもとでやっていたので、金銭的にも精神的にも余裕がなくなってしまい、劇団と劇場から離れることになりました。

米谷 演劇をする人たちの多くが悩んでいることだと思うのですが、演劇活動をすればするほど生活が苦しくなったり、逆に続けていくことが困難になるのは辛いですよね。

桐子 2012年に香川に帰って就職しました。それが、実家に戻る時に家族とした約束だったからです。それから4年ほど演劇から離れました。生活に余裕がないのは大変だけれど、 演劇は続けたい。生活とのバランスをとりながらできる方法はあると思うし、そのあり方を模索したいと思うようになりました。


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多様なバックグラウンドの人たちが交わる豊な現場

米谷 香川に帰ってからの演劇活動について教えてください。

桐子 そもそも香川で演劇活動は無理だと思っていたんです。理由は、今から考えれば思い込みでしたけど。香川には四国学院大学のノトススタジオもあり、見に行ったりするうちに、やはり自分もやりたいなぁと思うようになっていきました。
2016年に瀬戸内国際芸術祭のパフォーマンス『讃岐の晩餐会』(指輪ホテル)に一般参加しました。一緒に出演していた地元の方たちがとても魅力的で、そこで出会った人たちと作品を作りたいという気持ちが湧いてきました。良い俳優の条件は決して有名であることじゃない。多様なバックグラウンドを持っている方たちが立っている舞台の方が、面白いし、作りたいと思うようになっていったんです。生活スタイルが違う人たちが、創作の様々な段階で交われたら、豊な現場になるんじゃないかと。そして、その時に気づいたのが、正社員をしながらでも演劇って結構できるんだなと。

米谷 地方で演劇活動をしている方たちは、正社員で働いていることが多いですよね。わたしも岡山で活動を始めた頃、想像していた以上に稽古に時間がかけられていることに驚きました。東京の人たちの方が、アルバイトに追われていて稽古ができないイメージがあるぐらいです。

桐子 主宰するコキカルでは、戯曲を使わず、身体的な表現で小説をテーマに舞台を創作しています。例えば、本屋さんを会場にやったのはミヒャエル・エンデ。いろいろな作品やエピソードからエッセンスを抽出して構成し、わたしの思うエンデの世界を描きました。もともと信用金庫の金庫室だったカフェでは、ドストエフスキーの『地下室の手記』を、多度津町の古民家カフェでは地域にゆかりのある北原白秋を題材に公演をしました。香川には、東京や大阪にあるような小劇場スペースがないので、演劇のできそうな場所を片っ端から探していくところから始まりますし、普段は演劇と関わりのない方々にも協力していただくことが大切です。会場の空間にあるものを活かしながら、何をやったら面白いかを考えていくという感じですね。

米谷 地元を離れたことがあるからこそ、見慣れた風景の中に魅力的な場所を見つけることができるのかもしれないですね。


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演劇は「人間は生きているだけですごい」ということが伝えられる

米谷 一般の方に向けたワークショップにも取り組まれていますね。

桐子 香川に帰ってきてから、どうにか演劇を続ける方法はないかと思い、ワークショップの勉強をし始めました。今は、高松ワークショップLab.のメンバーとして、高松市と協働で開催するアートを軸とした市民向けのワークショップに携わったりしています。メンバーは地元で創作活動をするアーティストたちですが、アウトリーチ活動の経験が豊富で、私も学ばせていただいています。公演でお世話になった本屋さんやカフェでもワークショップやイベントをやらせてもらっていますが、地方でも演劇体験のできる場所を増やしていけたらいいですね。

米谷 最近は、子どもたちに向けたワークショップにも力を入れられているのですね。

桐子 子どもたちって本当に発想が面白いんですよね。でも、親の目線を気にしたりもしていて。この感受性をこのまま伸ばせたらいいのになと思っています。社会に馴染むためには、もしかしたら鈍感な方が楽かもしれない。でも、感じ取る力があるからこそ豊になっていることがあるんじゃないでしょうか。茨木のり子さんの詩「自分の感受性ぐらい」じゃないですけど、守っていかなきゃいけない大切なものだと思うし、守り続けたいです。それはわたし自身のも、周りの人たちのも。

米谷 わたしも小さい子どもがいるので、社会で生きていくためにと、親の都合で「こうしなさい」「それはやっちゃだめ」と言ってしまいがちですが、個性や感受性をなくさせるのはいやだなとも思っています。演劇や芸術の世界のように、「ここでは何でも自由にやっていいんだよ」という場所が子どもたちに確保されていることが大切なんじゃないでしょうか。

桐子 無防備でいることも重要だと思ってます。子どもと一緒に対等に遊ぶこと。

米谷 自由に生きている大人がいるんだと身近に感じられることは大事ですよね。そういう大人がいていいんだ、いろんな生き方していいんだって思えたら、大人になるのが楽しみになるじゃないですか。

桐子 演劇を観ることで今までと視界がふわっと変わる瞬間があって、その瞬間を味わい続けたいという思いが、わたしが演劇を続けている根源的な理由なのかもしれません。
わたしにとって演劇は光とか、明かりとか炎のイメージです。「人間は生きているだけですごい」ということが伝えられる表現媒体は演劇しかないのでは。舞台の上に命が、人が1人存在している、ただそれだけで面白い。命をまじまじと見ていいという貴重な場所。日常生活をおくっていると、苦しくなることもあって、そんな時に演劇が助けてくれたように感じています。そこでもらった命の塊みたいな光、炎をみんなに分けていくことが、演劇をやっている人たちの仕事なのかもしれません。炎を絶やさないように。


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 自分の感受性を守りながら変化していくこと。演劇を続けていくことの厳しさについても、自らの経験を飾らずお話してくださった桐子さん。地方から都会に出て演劇活動をしていると、地元に帰れば演劇ができなくなるという漠然としたイメージを持ってしまいがち。演劇をすることの目標は、有名になってテレビに出ることだけではないのに。その人自身が、生活を含めてどうありたいのか、その環境の中で演劇を続けていく道を模索すること。実は、そうした制約のある中で、どうしたら面白いものを作ることができるのかを懸命に考えている時が、最もクリエイティブなのかもしれません。


米谷よう子


【桐子カヲル プロフィール】
学生時代に不条理劇やパフォーマンス色のある戯曲だけに頼らない演劇に触れて以来、身体と音と言葉を使った演劇の可能性を探っている。マイム、コンテンポラリーダンスなどを基調として心象風景を描く作風が特徴。リーディング音楽会など音楽家とコラボすることも多い。創作・出演活動のほか身体や音を使ったワークショップや音読会なども行っている。

コキカルHP
https://coquecal.wixsite.com/coquecal

コキカルfacebook
https://www.facebook.com/coquecal

コキカル twitter
https://twitter.com/coquecal


桐子カヲル twitter
https://twitter.com/chirico_k

photo:

カバー写真、上から1枚目 ©︎2020hisae

上から2枚目 『Please do disturb, but don't touch. 』 撮影:杉原あやの @Tetugakuya (香川県・多度津町)https://www.tetugakuya.net/

上から3枚目 絵本リーディング音楽会
@飯山総合学習センター(香川県・丸亀市)

上から4枚目 「ライフ」@四国学院大学ノトススタジオ(香川県・善通寺市)撮影:Shunsuke OSHIMA



米谷よう子の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/me1e12a71d670


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