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行き先もわからぬまま

 仙台の真田鰯です。
 私が演劇をやっている動機となった人との出会いについて毎回書いていますが、今回は、弊社「劇団レモンスパイ」の劇団員のご紹介をしていこうと思います。大いなる動機ですからね。専務取締役の佐藤晴輝との出会いと、現在の話をしていきます。


 佐藤晴輝と初めて出会ったのは、職場のバイトの面接だった。私が面接官の方だ。
 当時大学二年生だった晴輝くんは、なかなかふてぶてしい態度で面接に来た。「本当に採用されるつもりございますか?」と質問したくなるくらいには、やる気を感じさせず、退屈そうにしている。しかもアルバイトの面接とはいえ、ジーパンに白のTシャツという服装である。反抗的だ。尾崎豊のようだ。顔も、尾崎豊と要潤を足して2で割ったような顔立ちである。
 第一印象は「盗んだバイクで走り出し、香川でうどんをすすりそう」だった。
 しかし見た目で人を判断するのは良くない。
 私の脳裏には、かつてバイクを盗まれ、駐輪場からわずか100m先の池の中に沈められて廃車になった光景がよぎる。
「盗むならせめて、もうちょっと走ったらいかがです?!」
 はらわたの煮えくりかえるような思いをぐっと抑え込み、私は努めて冷静に面接を始める。

私「佐藤さんは英文学科なんですね。英文学科って誰研究するんですか?シェイクスピアとか?」
晴輝「シェイクスピアは読まないスね。ヘミングウェイとかス」
私「あーヘミングウェイって『白鯨』だっけ?」
晴輝「『白鯨』はメルヴィルっス。ヘミングウェイは『老人と海』」
私「あー、はい、なるほど」
 クジラかカジキかの違いだろ?!揚げ足をとるなんて!反抗的だ!マイナス50点。
私「あ、ポール・オースターとか好き?カズオ・イシグロとか?」
晴輝「や、別に。興味ないっス」
 どこまでも反抗的だ!夜の校舎、窓ガラス壊してまわりかねない!危険だ!マイナス50点。
私「ええと、後は」
晴輝「スティーブン・キングとかは好きっす」
 プラス5点。獲得点数100点満点中5点。
私「…なるほど、わかりました採用です」
 私の採用基準はきわめて低い。
 こうして彼は、私の部下となり、私はAmazonで『誰がために鐘は鳴る』を購入する。

 彼は、あらかじめ姿勢が良かった。重心が落ちていて、骨盤が前にも後ろにも倒れておらず、肩の力がきちんと抜けている。歩き方も「とても美しい」の部類に入る。稀有な才能である。とにかく、まっすぐだ。反抗的ではあるが、ゆがんではいない。
 しかしながら、仕事に対するやる気は著しく少なく、出勤して第一声が「あちい、帰りてえ」である。わがまま言うな、私だってあちいし帰りてえ。彼が出社するたび、私の中のやる気スイッチは音を立てて落ちる。やる気のない我々は、やる気のないまま、海外文学や戦争映画やクラシック音楽や組織論の話をあてどもなくしゃべり続ける。給与をもらいながら。
 私が仕事を通じて若者たちに伝えたいことは「適当にやっていても、要点さえおさえれば意外と生きていけるから、あんまり気を張るな」ということだ。なので些末な問題を注意とかもしない。これまで上司として彼に忠告したことは、「女の子には優しくしなくてはいけない」だけだ。理由は簡単だ。人類が滅亡するから。これはさすがに些末とは言えない。

 晴輝くんとは、家が近所なこともあり、よく会う。
 最多で、半年で5回遭遇した。
 こんなとこにいるはずもないのに、である。
 いつでも捜している山崎まさよしさんに、正直申し訳ない。
 しかしこの、山崎まさよしさんにおすそわけしたくなるような我々の腐れ縁は、いったいどこからくるのだろうと考える。

 そんな折、彼は口を滑らせて言う。
晴輝「やーお願いします。なんでも言うことききますから」
 なるほど、なんでも言うことをきくとな。
 思い返せば彼は、これまでに作った2作品(「パッヘルベルのカノン」「大きな栗の木の下で私たちは黙る」)とも観劇している。真面目なのだ。なんなら「大きな栗の木の下で私たちは黙る」では、声の出演までしている。しかもなぜか演技が上手い。
 はたと思い至る。
私「晴輝くん、君は劇団員になりなよ」
晴輝「は?マジで?いいっスよ」
私「あ、いいんだ」
 新時代が幕を開ける。
 演劇が好きで好きで仕方がなくても、続けられずに様々な理由で辞めざるを得ない人たちをたくさん見てきたが、そもそも演劇をみたことすらあまりない若者が、謎の腐れ縁ゆえに演劇をやるとは!
 行き先もわからぬまま暗い夜の帳の中へ走りだせるのは、彼の才能だと思う。

 稽古を始めてみて感じるのは、彼には俳優の才能がある。文学を研究していただけあって、テキストに向き合い、テキストから触発されたものだけを純粋に抽出して外化する能力がある。シンプルにまっすぐ、一人の人間として観客の前に立つことができる。
 そして最近はシェイクスピアの四大悲劇を読んだそうだ。真面目なのだ。

 経験的な話だが、演劇を志して活動している人は繊細な感受性を持った人が多い。
 いわゆる「サイコパス」と呼ばれるような人は、演劇など観ても面白くないのではないかと思う。
 演劇を観て面白いと感じられる人は、共感力の高い「エンパス」と呼ばれる人たちであることが多い。俳優の内側で起こる微細な感情のゆれを、自分自身の内側で再現してしまう。感情が移入しやすい人こそが、演劇の観客となりやすい。それゆえ、実際に演劇をやっている人もそういった人が多い。
 しかしながら、通常よりもいささか他者に対する感受性が強すぎるため、閉ざしたり、避けたり、様々な身体的なゆがみが生じやすい。多感であるとは、本人の立場にしてみれば、刺激が強いのだ。その、豊か過ぎる感受性を持った人たちが、ただまっすぐ立てるようになると、そこから先は伸びてゆくのは速い。
 そして、他者の感情に左右されてしまう人ほど、感情の安定した人を好む。気分の浮き沈みの激しい人と付き合うのは疲れすぎてしまうからだ。

 細やかな感情の機微を理解できる感受性を持ちながら、常に安定した軸を持ち、揺らがない晴輝くんの生き方は、私の周りの多くの人にとって「よすが」となるのではないかと思っている。
 現実問題として、不安定な人に引きずられやすい傾向を持つ私としても、安定した人間が一人いるだけでとても助けられる。
 そうして彼は今日も、演出席の隣で静かにせんべいをかじる。



真田鰯の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/me0d65267d180


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