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失うこと見つかるもの/つづく

(230302)まや
今月で最後ってことだよね。
このやりとり、公開される前から1年以上続けてきて、はじめた頃キーボードをパチパチやってる時の空気感とか風景が、
なぜか昨日のことみたいに思い出される。寒くて、私は和室でパチパチ。
娘が生まれたあと大変化した我が家の交通整理というか、新しい生活のペースを整えきれてなかった時期で、閉塞感を感じる瞬間もある子育ての日々のなかで、外の世界と繋がれる感じがしてすごく呼吸が楽になった記憶があるよ。

年末にも少ししたかもしれないけど、少し振り返ってみたいな。
干城さんはどんな1年ちょっとでしたか?


振り返る

(230303)干城
どんな1年だったろう。
年末にも似たようなことに触れたのだけど、自分の成長みたいなものはあまり測れなかった/図れなかったように思う。
で同時に、年始に書いたように、わりと楽しく日々も過ごしてる。
だからずっと、明るめの薄曇りみたいな日々。
良くも悪くもって感じ。

文通とか交換日記みたいなやり取りってこれまでにしたことなかったけど、
でも、こういうやり取りは、なんか、とても良いなと思った。
こういう、ほとんどお喋りな、ときどき独り言な文章の、こういう量とスピード感のもの。

その、書いてる時間というか、画面の前でキーボードに向かってる時間が、とてもプライベートな時間になるんだよね。
他でも同じようにパソコンに向かっていることは多いのだけど、それとは全然違う。
なんていうか良い意味でちょっと隔絶されてる感じのもので、それってわりと必要なものなんだなぁと思った。
(たぶんこれ同じこと言ってると思うんだけど、お互いのそれぞれの立場から、表現として逆の表現になってるんだと思う)

というか、僕この1年、あっという間な感じもするけど、振り返ると、なんかすごく前のことみたいな、変な時間感覚だなぁ。
色んなことがあったし色んなことがなかったというか。
1日1日のそのときどきの密度が、日によってかなり極端で、だからか、直線的な感じがしない、不思議な1年だったかも。

まやはどんなだった?


(230305)まや
文通とか交換日記とか小中学校の時にしてて、すごく好きだったんだよね。
自分も友達も書いてることが若くて痛すぎて(笑)
引っ越しするときに全部捨ててしまったんだけど
だいぶ時間が経った今ならもっと穏やかに見守れただろうって思うから捨てたこと今になって後悔の気持ち。
若い時は特にそうかもしれないけど、文章にも、その時の自分にしか書けない世界との距離感が出るものだよね。
そういう限定的な瞬間的な煌めき?儚さ?が、とても尊く感じる。(ポエムか笑)

明るめの薄曇りってすごくいいな。薄曇りを受け入れられるところが良い。
結局、そこそこ楽しく過ごすって一番大切なことかもしれないね。

この1年は私は、盛り沢山だった!
娘を産んだあとまた舞台ができたのはよかったけど、
ちょっとハイペースで詰め込みすぎたなって反省もありつつ、
新しい資格の勉強を始められたり、トレーニングして痩せたり、
今までやり遂げたかったこととこれから先やってみたいことどっちも挑戦することができて、
まだまだ発展途上ではあるけれども、
純粋に人としての自分に自信をつけられた一年だった。
自分のやりたいことやる時間も作れるように意識していることもあって、娘と過ごす時間も心から楽しめるようになって、この一年をかけて、娘のいる人生にやっと慣れてきたのかなと思う。
理不尽なことで怒ってしまったり子供っぽい行動をとって自己嫌悪する日も多々あるけど、そういう自分も含めて受け入れられるようになったことが大きな変化かな。

先日、友人が子どもを連れて遊びにきてくれたんだけど、うちに初めて来た時赤ちゃんだったその男の子が、来年には小学校に入ることになって、目の前にいるのは別人で。
子どもでいる時間って仮に20歳までだとしても20回しかないわけで、6歳くらいから勉強したり学校行ったり色々しなくちゃいけないし、
その前にも幼稚園とか行ったりしなくちゃいけないし、そう思うと1年1年がすごく大切で砂が溢れていくようにあっという間なんだよなって思った。
と同時に、
30代になっても40代になってもそれって同じじゃない?とも思ったりした。

大人になると状況も自分自身も大きく変わらない年も多いから、
つい当たり前に1年が過ぎていくように感じるけれど、
たとえ大したことが何にも起こらなくても、1年1年、味わう価値がある時間なのかなと気付かされた。


人生のピント

(230308)干城
なんかさ、10代20代の頃は、(僕の場合は特に深刻でなく)、死にたいって思うことが時々あって、
それって、どうにかして生きたい、っていう、
現状を変えたいとか、あるいはいまをより強く肯定したいとか、
そういう想いが、死にたいって表現になって出てきてたと思うんだけど、
身体が衰えるに伴って、ちゃんとそんな想いも衰えてきたなと感じてる。

実は、子どもの頃とか学生の頃も、少なくとも僕には、別に大したことは何も起こってなかったんじゃないかって、いま思う。
ただその頃は、強さや鋭さがあって、だからたぶん、変化を大きく受け取っていたんじゃないかって思う。

これもでも、まやと同じこと言ってるような気がする。(どうだろ? ちょっと自信ないけど)
でも、そうだとしたら、なんかこんなに、同じことを別の表現で繰り返してるの、面白いなぁと思う。

どこにスポットを当てて、どう描写するのかで、きっと自分の人生の受け取り方も変わってくるんだろうな。

僕、自分が悲劇的なのか喜劇的なのか分からないところがあって、
ネガティブかポジティブかとか、根暗ネアカ、悲観的楽観的、いろいろと言い方はあるけど、
どっちに転ぶのも、かなり気分屋なところがあるよなと自分で思ってるんだけど、

肉体的にも頭脳的にも明らかに衰えてきてると思うんだけど、
それでも今が一番いい(過去イチいい)ってなぜか思えてて、
それが自分ですごく不思議。(ナルシシズムがあるとすれば、ここだと思う。)

なんだろうね、明らかに減ってきてる、失ってるものの方が多いように思うのだけど、それも含めて豊かさというか、
積み上げてきたものがバラバラと崩れて、でも崩れた平面にはとても多くの色んなものが転がっているというか。

可能性が削がれていくことで形が定まっていくような、あるいは自身をレタッチしていっているような、
不思議なピントの合い方をしてる。気がする。


(230310)まや
今日は4月並みの暖かさと言われていたけど本当に暑いくらいで、半袖1枚で出かけちゃったよ。
ちょっと前まで寒かったのに春が急に来て、心の準備できてなくて謎に緊張してる。
まだはっきりとは何も決まっていないのだけど、
娘が1年後に幼稚園的なところに入ることになるかもしれなくて、
そうすると圧倒的に離れる時間が増えるから、そのカウントダウンが始まるかもっていう緊張感なのかなと思う。

干城さんが書いてくれたことはどれもものすごくしっくりきたよ。
同じようなことを違う表現で、こんなにも違うのがおもしろいし、
その違いが人との出会いや人生の醍醐味なのかもしれないね。

不思議なくらい奇遇なんだけど、
私も今が一番いいって思えてるんだよね。なぜか。
いろいろ失いつつあるの、でも、そう、まさに豊かさというか。
失うことでしか見えてこないものがあるというか。

昔年配の役者さんが
「老人はいろんなことができなくて諦めていくから、余計なことしないから芝居がうまいんだ」みたいな話を耳にしたんだけど、
まさにそんなような部分があって、
若くて体力もあって時間もいっぱいあって情熱もあってっていう武器をたくさん持ってると、なんだか必要以上に悩んじゃったり、武器を選ぶこと自体に戸惑ってしまったりするんだけど、
今は昔より手持ちのものがだいぶ減ったから、あんまり迷ってる暇もないし限りある持ち物をシンプルに効率よく使うっていうか。効率よくできなかったとしてもまあいっか、といい意味で素早く諦められて切り替えられる。
そんな感じが心地よい。
もっと歳とっていったら今の半分くらいに減って、持ってるものが1個とかになって、最後は何も持たないで身一つになるのかな。
そしたらすごく弱いようで、無防備なようで、一番身軽で強かったりするのかな。など。

なんだかまた同じことを違う言葉で書いてしまったけども、笑


ふたり、ときどき、ぼちぼちと。

(230312)干城
noteにマガジンって機能があって、簡単に言うと、記事をまとめておくものなんだけど、
この2人のやり取りは、「ふたり、ときどき、ぼちぼちと。」って名前をつけて、
「小角まやと干城が、演劇のこと日常のこと人生のことについて、会話するような独り言のような文字のやりとりを綴ってみます。12年前に出会い、大学の先輩後輩だったり、同じ劇団にいたり、久しぶりにお茶をしてみたり、そんな、ふたりの俳優です。」って説明をつけてた。

見返してみると本当に、「演劇のこと日常のこと人生のこと」についてばかり語っていたなと思う。
まあ、何だって、日常のことと人生のことに回収されるのかもしれないし、
僕たちは(あるいは俳優は)、何でも、演技や演劇の話に回収するってことなのかもしれないけど。

そうやってこの1年とちょっと話してきて、
ちょっと拡げてだけど、自分の人生を振り返ったときに、
今のところは、悪くないなと思えてると思う。

ついさっき、今が一番いいって言っておきながらこんなこと言うのは、人によっては矛盾してるように聞こえたりもするだろうけど、
そういう全然複雑だし、単純なものをきっと人は持ってる。
今が一番いいし、今のところは悪くない。

満足はしてないけど、納得はできる。
実はそんな中途半端さが、若い頃は本当に気持ち悪いと思っていたことを、片隅に残しながら、
僕は今年、40になる。


(230317)まや
このやりとりを始めた頃、1年ちょっと前に自分が書いてる文章を読み返すと、読みづらい。
というか、もちろん自分自身のことだから記憶を遡れば意味はわかるのだけど、いまいち共感できなかったりする。

1年ちょっと前とは、ちょっとした別人になってるんだと気付かされる。
そうして、ちょっとずつ強くなったり変わらなかったり曖昧に、だけどはっきりと別人になっていきながら人生も進んでいくのかな。

相手に向けて書いているようで、自分に向けて書いていたようなこのやりとり。
独り言を受け止めてくれる相手がいることは有り難く、
頭の中を覗き見させてくれる相手がいることは新鮮で、
そこに目的がなかったから、ゆるゆると流れる安心感のある空気があった。

終わりと思うと寂しい気もするけれど、
「途中から始まって途中までで終わる」そんなコンセプトだったから、
終わりってはっきり思う必要もないのかな、とか。
中途半端を続けながら、
一番良くて、そんなに悪くない、今、を続けていこうっと。



小角まや、干城の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/m5e18eb4b7f06


読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteの詳細や書き手の紹介はこちらから。 https://note.com/beyond_it_all/n/n8b56f8f9b69b これからもこのnoteを読みたいなと思ってくださっていたら、ぜひサポートをお願いします。