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点が線になった瞬間。大学スポーツと大学ラクロスを応援しています。

今回は私の昔話。

私がラクロスと出会ったのは大学生のころでした。

今から10数年前になる。大学に入学してすぐは友達もいなく、たまたま勧誘されたのがラクロス部だった。

当時はラクロスメイクスフレンズがキャッチフレーズだったと記憶している。
この理念は今でも変わっていないようだ。そしてもう一つ、大学から始める人が多いスポーツだから、頑張れば日本代表も狙えるかも!?っという甘い言葉が耳に残っている。

そんなこんなで入部したが、朝練で毎日5時起き。練習は河川敷でけっこう不整地な場所だったりと当時はあまりよい環境ではなかった。


練習メニューはほぼ学生だけで組み立て年間プランまで考える。練習試合を組むのも予算の管理もすべて学生で行う。公式戦の運営管理も学連で学生が主導になって行なっている。在学中に入院するほどの怪我を経験するも何とか復帰し最後を締めくくることもできた。

4年間で無事に卒業し、某会社に就職するも先がないと早々に判断し退職。
毎年必ず挨拶にいく母校のラクビー部に行った時に怪我で苦しんでいる選手をたくさん目にして自分もそうだったなと思い。理学療法士を志すことを決めた。

理学療法士になってから急性期から訪問の生活期まで、整形から中枢、呼吸器、循環器と様々な患者様と関わってきました。その頃にはスポーツに関わろうなんて思いは無くなっていた。目の前の患者様が良くなっていくこと、充実したリハビリを提供できて笑顔で元気に過ごす患者の姿は職業冥利に尽きるとさえ思っていた。

そしてある日、たまたまラクロスの選手のリハビリに携わることなる。
なぜ、理学療法士を始めたのか?そんなことを聞かれたり、ラクロスの話しを聞いていてフツフツを湧いてくる感じに違和感を覚えつつ、良くなっていく患者の様子に満足していた。

その選手のリハビリ卒業の時に、先生みたいな人にトレーナーに来て欲しいと言われた時に「やっぱりスポーツに携わりたい」と思った。自分の成長に繋がったスポーツに競技に恩返しをしたい。同じように怪我で苦しむ選手の助けになればと。

その後、トレーナーの勉強も重ね今に至る。現実のトレーナーは理想とは大きく違っていた。施術やトレーニング指導以外の時間もかなり長いこともある。体調の変動を考えたり、メンタル面についての考慮もデリケートだったり、ライフスタイルから好きな音楽や服のこと、中に恋愛相談から就活相談までと何でもこなす。

一般大学にも行ったことがあるからこそ、答えられることもたくさんある。ラクロス経験者だからこそ言えるトレーニングもある。辛さを共有できることもある。

書きながら、いろいろ右往左往している生き方をしたなと思う。
振り返ると点(分岐点)を再発見し、今までに結びついてくると思う。
もっと深めると無駄なことなんてきっと何一つないのだろう。


そして、これからもきっとそうだろう。
この点は縦軸での時間を繋い合わせたものだ。目標設定は未来の点に的を描くようなものだろう。そして、今の周りにある点を探せば横にも線は繋がっていくだろう。横軸の線は新しい発想と発見をもたらしてくれるはず。

こんなふうに考えられるようになったのもラクロスと多くの人の偶然の出会いだと思う。こんなご時世で、大学スポーツはどれも新歓で大変な思いをしている。大会の開催もどうなるかわからない。

こんなご時世だからこそ、振り返れば武器になる分岐点を見つけることができるかもしれない。

こんな時だからこそ横の線を広げれば、新しい可能性を見つけられるかもしれない。


こんな時だからこそ小さな挑戦を。。。


こんな大きな点も、横点をつなぎ合わせて、歴代の先輩との繋がりや未来を見据える縦軸を組み合わせれば、想像以上の大きいなvisionになり今までにない未来を描いてくれることを期待している。

大学ラクロスがこれからの大学スポーツを牽引していく存在になれることを応援しています。

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