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リアリティのダンス(映画)、と推薦記事など

 極彩色の映像美で詩的に語る、実験映像的ジュブナイル映画。

 時折、リアルとアンリアルが交差してどちらの世界にいるか分からなくなることがある。

 …とかかっこいいことを書くだけのnoterにはなりたくない、ベタです(意地悪すぎ←)

ホドロフスキーのリアリティのダンス

 アレハンドロ・ホドロフスキー監督。2013年チリ・フランス合作。ホドロフスキーといえば日本では「ホドロフスキーのDUNE」が有名になっちゃったけど、実験的な・観念的な映画作りで知られてる、と思う。DUNEに限っては、デヴィッド・リンチのSF超大作映画「DUNE(砂の惑星)」(1984年米。駄作の代名詞のように言われる…私は大好きなのですがw)、もともとホドロフスキーが撮る予定だったのがぽしゃったのを、自分はこう撮るつもりだったとまとめたそのドキュメンタリー、それがサルバドール・ダリや「エイリアン」のH・R・ギーガーらがデザイン、俳優にオーソン・ウェルズ、ミック・ジャガー、音楽にピンクフロイドを起用しようとするのが「すごい」と面白がられてのヒット作となってしまったの…、リンチのDUNEだって音楽はブライアン・イーノとTOTO、俳優はカイル・マクラクランにスティングとか、良いんだけど?駄作ですかそーですか。…でもドゥニ・ヴィルヌーヴ監督(「メッセージ」「ブレードランナー2049」)がまた撮り直すっていうから期待してるの、いつ出来るんだろう…?

 …と、DUNEの愚痴はおいといて。リアリティのダンス、です。

 軍事政権の理不尽な圧政と不景気に苦しむ時代のチリ、その田舎に住む少年アレハンドロは、ユダヤの血もひいていて差別もされていた。両親はわけがわからない(本当に分からない。母はなぜオペラでしか喋れないのか…w)タイプで周囲の人々もそれに輪をかけて演出なのかドキュメンタリーなのかも何度見てもわけがわからない人々なのでアレハンドロ君はますます現実感を失うばかり、そんな世間と時代に翻弄されながら「リアリティ」を失うまいと必死にもがいて人生の羅針盤を探して少年時代を生きるお話し。というか話しはかなり無い(ホドロフスキー作品のなかではかなりある方だけど)。

 …わけがわからない、を連発してしまいましたがよくあるただの監督の想像力迸る芸術性の自己満映画かと言うとそうでもなく、それぞれのリアリティがホドロフスキー真骨頂の極彩色の映像美で表現されるのも見ものですけど、それぞれがやはり何かを示唆しているようで、それが刺さるようにアレハンドロ君に、視聴者(私だけかもだけど)に問いかけてくるので、含蓄があり面白いというか、観るたびに私、心が冷たい刃物でぐっさりえぐられるの、そういうのが好きで、たまに見たくなって寒くなるの、あるでしょ?

 けど、とても面白いです。ぜひ一度ご覧になってください(映倫的軸ではR18ぽいと思うので気をつけて)。

 これをいま観ようと思ったのも、昨日今日と読ませていただいたnoteの記事が、なんかそんなきっかけを与えてくれたのです。

 …あ、これを最初に観たのは劇場、渋谷のUPLINKでです(いまパワハラで裁判になってるっていう…)。

リアリティを考えさせられる(推薦記事)

 北の赤いトマトさんのこの記事、母親からふと問われたという言葉に、(私は)家族と言うものの現実感を一瞬失った。
 いろいろなものに現実感をすでに喪失している私でも、家族は(職人の手で握られたちょっと生温かい寿司のような)生モノの現実感がある。しかしそれも幻想だと思い知らされた(気がした)、一瞬でした。

 みっくすむーんさんの甘酸っぱい記事はとくに大人の階段を着実に登っていく娘さんとのやりとりがエッセンスとなっていてまた楽しい。自分の分身だと思っていたのにいつのまにか違う人になっていた…とか、感じ始めてる?(笑)そして娘はとっくの既に違う人だってば、って思ってる、ぜったい。

 歌詞を念頭に詩を書き溜めている笹倉平常 / story writerさんの詩はなぜか恋人か友達か、誰かといるのに少し寂しい、届かない気持ちを、写真をじっと見つめて感じるような映像と共に、思い起こさせます。

 詩人、大海明日香さん。彼女はいつも儚いゆめまぼろしのような、生と死の狭間のような世界を見せてくれる。実は(私が)note始めた頃から大ファンで、恐れ多くてお声をかけたことも多分ない(から引用しちゃって大丈夫かな💦)。どのくらい好きかと言うと…私と明日香さんのプロフィールを見比べればワカル。

私のリアリティのダンス?

 ところで今日の記事はなぜか私、(私は)とか(私が)とか、主語の注釈をいれがちなの、何故だろう?自分のリアリティ、見失いかけてるのかしら…?

 今日も普通にお仕事でした。あ、祝日か…。そういえば人はほぼいなくて静かだったけど。こういう日はオフィスでパソコン(と言っても同じ、今使ってる私物のこれ…マックブックPね)に向かって黙々と作業。そして毎日ですがやり切るところまでやり切る。今日は夕方に上がれました。そして今日も同じ電車に揺られて。あ、でも乗り過ごしはしませんでしたよ偉いでしょ?え?電車の乗り過ごしって何かって?これですよ…。「こんなにすごい乗り過ごし聞いたことない」ってきっと思うことでしょう…w(いやどーでもいいかw)

 そんな中、こんにちまた曲を書き始めてるので、そうなると仕事とプリキュアを考えていない時は96%ぐらいは曲のこと、メロディーラインやアレンジのことを、歌詞のこと、音響のことを作成中の曲を聞きながら考えてます。窓の外を見ても考えるし、エレベーターの中でも考えるし、駅につくたび、景色が変わるたびに考えます。これが夢心地というやつかも知れません。

 それがあっても無くても、次の日もしごとは黙々とこなし、ちょっと笑って、ちょっと食べて、たまに怒って、たまに泣いて。日曜日はプリキュアで。そんな私の日常、これが死ぬまで延々と続くのかな…、とふと思いました。

 曲のプレビューは↑で聞けます。もうじき完成しますから、ぜひまた聞きにきて下さいね。絶対おどろかせてやるんだから!( ´・ω・`)

楽しい哀しいベタの小品集 代表作は「メリーバッドエンドアンドリドル」に集めてます