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「デフ・ヴォイス」のすごかったところとは:手話ドラマにおける当事者表象の変遷

手話ドラマの変遷

 これまでのTVではろう・難聴者役の登場人物が手話を使用してコミュニケーションするシーンが放映される手話ドラマはいくつかありました。
主要的なものは次の通りです。
※他にもたくさんの手話ドラマや手話映画は存在します。

  • 星の金貨(1995年)

  • 愛していると言ってくれ(1995年)

  • 君の手がささやいている(1997年-2001年)

  • オレンジデイズ(2004年)

  • silent(2022年)

  • 星降る夜に(2023年)

  • デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士(2023年)

 「デフ・ヴォイス」以外は、ろう・難聴者の役をすべて聴者が演じていました。(聴者はきこえる人のこと)

 その後、「silent」ではろう者の友人役の那須映里さん(ろう者)と手話教室の講師役の江副悟史さん(ろう者)が出演していました。

 また、「星降る夜に」では、主人公(柊一星)のおばあさん役の五十嵐由美子さん(ろう者)と手話教室の講師役の寺澤英弥(ろう者)さんが出演していました。

 さらに、「デフ・ヴォイス」では、約20名(エキストラも含めると30名以上)とこれまでの10倍以上のろう・難聴者が出演していました。このように数多くの当事者が出演することは、史上初であり、当事者のことは当事者自身が演じる流れが生まれてきています。

当事者表象の重要性

 90年代は、聴者の俳優がろう者を演じることが一般的でした。90年代の終わりに、映画「アイ・ラヴ・ユー(1999年)」にて、主人公として、忍足亜希子さん(ろう者)が、出演したことはありましたが、極めてまれでした。

 その後、2022年に映画「LOVE LIFE」にて、主人公の元夫役として、砂田アトムさん(ろう者)が、出演され、ヴェネチア国際映画祭に参加するという快挙を成し遂げるなど、ろう俳優にスポットが当たり始めました。

 なお、聴者がろう者役を演じることは、ろう文化やろう者のアイデンティティを踏まえる上で、非常に難しいことです。また、それを見た聴者がろう文化や手話に対して誤った認識を持つことを避けるべきです。

 「当事者表象」とは、特定の問題や状況に直接関わる人々(当事者)が経験を通じて生み出すもの全般を指します。ここでは、「ろう者自身が演じること」を意味します。

 なぜ、当事者が演じることが重要なのかという点については、ハフポストの記事において、映画監督の牧原依里さん(ろう者)が、当事者以外が演ずることの問題点を挙げていました。他にも大切なことについて、言及されていますので、全文を読まれることをお勧めします。

非当事者が演じることで、作品を通して、当事者をめぐり誤った認識や偏見を植え付けてしまう恐れや、当事者の雇用の機会が奪われるなどの問題がある。

「ろう者役には、ろう者の俳優を」はなぜ日本で定着しないのか『コーダ』が映画界に残した功績
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6231cf59e4b0fe0944de394e
太字部分は筆者が付与)

 「当事者をめぐり誤った認識や偏見を植え付けてしまう恐れ」「当事者の雇用の機会が奪われる」といった問題については、色々な方がさまざまなインタビュー記事などで「デフ・ヴォイス」に関して言及しているので、次のようにまとめてみました。

 ちなみに、本章は、2023年12月16日に放映された前編の内容を含んでおり、ネタバレになるため、視聴してから読まれることをお勧めいたします。

障害者の生活や文化にスポットが当たる

 映画やドラマで、障害を持つキャラクターを実際に障害を持つ俳優が演じるで、よりリアリティのある形で生活や文化が表現されるようになります。これには、障害の物理的・感情的側面の正確な描写や、障害者が直面する社会的障壁の描写などが含まれます。こういった描写は、価値があるものであり、障害者の存在がメディアで目立つようになります。

 「デフ・ヴォイス」では、コーダ(CODA:Children Of Deaf Adultsの略称、きこえない親をもつきこえる子どものこと)である尚人(子役:田代康生さん)は、医師からの「父親の余命半年」という宣告をろうの母親に通訳したシーンがありました。尚人役の康生さんもコーダであることから、その演技はリアリティがあると高く評価されています。例えば、次のような評価が寄せられています。

こだわったのは、耳の聞こえない親にがんの告知を通訳するシーン。
 「がんが進んでいて」
 「もって、あと半年」
表情や目線など、康生さんにしかできない「聴者とろう者の感情をつなぐ表現だった」と評されました。

「ろう者」「難聴者」役などをドラマで演じた当事者たち
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231220/k10014292181000.html
太字部分は筆者が付与)

ステレオタイプへの挑戦と偏見の克服

 障害者自身が自らの物語を語り、視点を共有することで、障害者に対するステレオタイプや偏見を打破し、より深い理解と共感を生み出すことができます。また、社会全体の障害者に対する認識を変え、障害者に対する差別や排除を減少させ、より包括的で公正な社会を築く助けとなります。
 テレビ解説者・木村隆志さんは、「デフ・ヴォイス」の演出について、次のように述べていました。

なかでも特筆すべきは、聴覚障害者を「不運」「悲劇」「かわいそう」と感じさせることなく、フラットな目線で描いていること。

聴者を感動させるために聴覚障害者を消費するようなニュアンスは一切なく、だからこそ単なる社会派に留まらず、事件や家族の物語も楽しめる作品に昇華しているのです。

テレビ解説者・木村隆志の「忖度ゼロ」番組レビュー
https://steranet.jp/articles/-/2629?s=06
太字部分は筆者が付与)

多様性のある公正な社会への変化

 障害者はしばしば、社会的な障壁によって演技や表現の技術を学んだり、実際にやったりする機会が制限されていることが多くあります。この制限により、実績を積むのが困難となり、知名度の向上も難しくなります。結果として、彼らに機会を提供する側も躊躇することがあり、負のスパイラルに陥りがちです。このようなことを改善するためには、アファーマティブ・アクション(積極的な格差是正措置)を進める必要があります。

 制作統括を務めるNHKエンタープライズの坂部康二さんは、「デフ・ヴォイス」における雇用機会について、次のように述べていました。

雇用機会という面から見ても、そもそもろう者の役自体が少ないのに、それを非当事者の俳優が演じたら、ろう者の俳優はなかなか活動の場を広げることができません。やはり当事者がその役を演じることで見えてくるもの、描かれる説得力というものは大きいと思います。

ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』が「ろう者の役は当事者の俳優に」を実現するまでhttps://www.cinra.net/article/202312-deafvoice_iktay
太字部分は筆者が付与)

 さらに、今後のアファーマティブ・アクションについて、以下のように述べていました。

あと個人的には、制作者側の当事者がもっと関わるというのは今後考えていきたいですね。より発言力のあるプロデューサーや監督、脚本家を当事者が担ったり、それ以外の照明や撮影、衣装など、多様なパートを担ったりすることで、表現というものがきっと変わってくると思います。

ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』が「ろう者の役は当事者の俳優に」を実現するまでhttps://www.cinra.net/article/202312-deafvoice_iktay
太字部分は筆者が付与)

 「デフ・ヴォイス」では、キャスティングを聴者とろう者が共同で行なった結果、前述のように、ろう・難聴者を数多く採用するなど、アファーマティブ・アクションを積極的に推し進めていました。

 また、単に当事者を採用するだけでなく、その後の配慮・調整も重要です。これについては、制作統括をした株式会社KADOKAWAの伊藤学さんが、以下のブログ(note)に経緯の詳細を書かれていますので、関心のある方は、ご覧いただければと思います。

 また、伊藤学さんは、配慮・調整の重要性について、次のように述べていました。

今回のドラマ制作を通して一番感じたことは、聴者もろう者も難聴者も、「楽しく一緒に暮らしていきたい」「コミュニケーションの齟齬そごをなくしていきたい」という共通の気持ちを持っていて、そこに至るアプローチには、色々なやり方があり、意見があり、すれ違いがある。
それを解消していくためには、話し合いや議論がとても大事なのではないか、ということです。

オーディションは手話 当事者約20人出演のドラマ「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」ができるまで
https://note.com/nhk_pr/n/n6fc9a61cdf84

 「デフ・ヴォイス」では、このような経緯があり、当事者性リアリティを持つドラマが制作され、当事者を含む視聴者からも高い評価を得ています。これは、アファーマティブ・アクションの成功事例と言っても良いでしょう。

 今後は、より一層、アファーマティブ・アクションが進んでいき、映画やドラマにおける障害者当事者による正確な表象がなされ、文化的な表現の多様性を高め、障害者の権利と尊厳が促進されるようになることを望んでいます。

ドラマ「silent」から「デフ・ヴォイス」への変遷

 ドラマ「silent」では当事者表象が限られていましたが、その後の「デフ・ヴォイス」では前述の通り、この点が顕著に改善され、当事者表象が強化されました。具体的には、ドラマ内でのろう・難聴者のより多様でリアルな描写が目立つようになりました。このような差が生じた背後には、どのような要因があったのでしょうか。

ろう・難聴者向けの俳優養成講座のスタート

 前出のハフポストの記事で牧原依里さんは、情報保障(手話通訳など)が不足しているため、演劇を学ぶことが困難な現状があると訴えていました。

映画作りを学ぶため学校に通った牧原さんは「映画や演技を学ぶ場所で、情報保障がない」状況に危機感を覚えたという。
「手話通訳を自分で手配しなければならず、金銭的な負担も大きい。環境が整っていないために、ろう者は情報格差の壁にぶつかり、諦めてしまうことも。身体感覚も文化も異なるので、ろう者が聴者の中に入っていくのは精神的負担も大きいのが実情です

「ろう者役には、ろう者の俳優を」はなぜ日本で定着しないのか『コーダ』が映画界に残した功績https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6231cf59e4b0fe0944de394e

 その後、2022年10月に、牧原依里さんらが中心となり「育成×手話×芸術プロジェクト」にて、ろう・難聴者向けの俳優養成講座「デフアクターズ・コース2022」が開催されました。これは大成功を収め、今年度も継続して開催されています。

 その結果、2023年12月にNHKで放映されたドラマ「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」には、「デフアクターズ・コース2022」の卒業生が多数出演しました。

 ろう・難聴者向けの俳優養成講座「デフアクターズ・コース2022」を設立した経緯・背景については、牧原依里さんにインタビューした記事がありますので、関心のある方は、ぜひともご覧ください。

手話ドラマ「silent」での当事者への配慮不足がもたらした新展開

 同じ時期(2022年12月)に放映された手話ドラマ「silent」では、中途失聴者である主人公の姉が、これから生まれる子どもの障害を心配していました。結局、その心配は杞憂に終わったのですが、姉が子どもの名前を「優生(ゆうき)」と名付けていたシーンが特に議論を呼びました。

 「優生」という表記は、命に優劣をつけて選別する「優生思想」を連想させ、折しも旧優生保護法めぐる訴訟が話題になっていたこともあり、私はきこえない当事者として非常にモヤモヤしました。その時の詳細については、以下のnoteをご参照ください。

 ちなみに、ドラマ「silent」では、多様な当事者が監修やアドバイス、キャストとして関わっており、これまでの手話ドラマよりは、進展している点があったことを補足しておきます。ユニーバサルデザインアドバイザーの松森果林さんは、ドラマ「silent」のことをこう評価していました。

聞こえにくい「難聴者」は軽度・中等度・重度・高度とさまざまですし、補聴器や人工内耳などで残存聴力を活用する人もいます。同様に、手話、筆談、口話、音声認識アプリ、ボディランゲージなど、コミュニケーション手段もさまざまです。手話で話す人、手話を使わない人、手話を知らない人、声で話す人、声を使わない人、聴力に頼る人、聴力に頼らない人……。多様な選択肢があり、そして、それらは本人のアイデンティティーにも関わっています。ちなみに、聞こえる人のことは「聴者」などと表現されます。ドラマ『silent』では、多様な当事者が監修やアドバイス、キャストとしても関わっているからリアルが伝わります。

ドラマ『silent』を、中途失聴者はどう見た? 「聴力を失ったとき、『社会は聞こえる人が中心』だと思った」
https://www.cinra.net/article/202212-silent_iktaycl

 私が代表を務めるNPO法人インフォメーションギャップバスター(以降、IGB)は、「silent」というドラマ番組に対して、「優生」という表記が、ろう・難聴者に対するマイクロアグレッションに相当するとみなし、制作会社に意見書を提出しました。しかし、納得のいく回答は得られませんでした

 この現状を変えるために、IGBは、2023年7月24日に「メディアにおけるろう・難聴者の描写に対する問題提起」を公開しました。本記事は、非常に多くの方に読まれ、また、メディアの方からの問合せも相次いでいます。一部の当事者個人や当事者団体の活動も相まって、世間の見方を変えるきっかけとなったと考えています。

 この一連の経緯をまとめて、考察をつけて、2024年1月上旬販売予定の『季刊 福祉労働』175号(現代書館発行)に「論考:メディアにおけるろう・難聴者の描かれ方に関する問題提起とガイドライン」をギャローデット大学大学院准教授でろう者学などを専門にしておられる高山亨太さんとハーバード大学博士研究員で手話言語学を専門にしておられる富田望さんと共同で寄稿しました。関心のある方は、ぜひご覧ください。

今後の展望

 私は幼い頃から、人々の病を治療し、命を救いたいという願望から、医師になるという夢を抱いていました。しかし、当時、私の前には大きな障壁が立ちはだかっていました。それは、聴覚障害者に対する欠格条項という法律上の制約でした。この条項により、聴覚障害を持つ者は、医師免許を取得することが一律に禁じられていたのです。私のような聴覚障害者にとって、これは夢を追う道が閉ざされることを意味していました。そのため、重い心で医師という夢を諦めざるを得ませんでした。

 しかし、時代は変わり、社会も進化しています。今では、聴覚障害者でも医師になることが可能です。今回の「デフ・ヴォイス」における変遷は、障害を持つ人々にとって大きな希望となり、私自身もこれを心から歓迎しています。また、医療の分野だけでなく、エンターテイメント業界においても、ろう者や難聴者が活躍の場を徐々に広げています。俳優や番組制作者として、彼らは自らの才能を存分に発揮し、多くの人々に感動を与えています。

 私は、いつの日か、ろう者が主演を務める映画やドラマが制作されることを心から願っています。それは、聴者もろう・難聴者も自由にコミュニケーションができる、インクルーシブな社会への進展を意味し、私たち全員にとっての大きな一歩となるでしょう。このような明るい展望を持つキッカケを与えてくれた「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」の執筆者、丸山正樹さんに心から感謝いたします。

ご参考:コーダ(CODA)とソーダ(SODA)について

 「デフ・ヴォイス」の主人公、荒井尚人はコーダです。コーダは、一般的に家族の通訳者としての役割を頻繁に担うことがあります。この責任は、彼らの心理的な健康や個人的な成長に影響を与える可能性があります。このような課題に対応するための団体として、「J-CODA」があります。「J-CODA」は、コーダが集まり、経験を共有し、相互にサポートするためのコミュニティです。また、「J-CODA」のメンバでご自身もコーダの中津真美さんは、「コーダ: きこえない親の通訳を担う子どもたち」を最近出版されましたので、関心のある方は、是非ともご覧いただければと思います。

 また、尚人は、ろうの兄(荒井悟志)をもつため、ソーダ(きこえないきょうだいをもつきこえるきょうだい:Sibling Of Deaf Adult/Childrenの略称)でもあります。ソーダもコーダと同様に家族の通訳を担うことがあり、問題は類似していますが、きょうだいが故の独自の悩みがあります。その悩みを解決するための団体として、「聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会」があります。この団体の代表で、ご自身も弁護士である藤木和子さんは、「「障害」ある人の「きょうだい」としての私」を出版していますので、関心のある方は、是非ともご覧いただければと思います。

 また、コーダ子育てに関する情報提供や交流イベントなどを開催している団体「WP コーダ子育て支援」があります。

 多くの必要な方に、必要とする情報が届き、必要な場所に集まることができることを、心から願っています。

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