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「上海」を読む。(4日目・読了)

横光利一の「上海」、先週末から読み始め、読み終わり。

さーっと読むとさっぱり消化できない小説と思い、じっくり少しずつ読むことにして、感想文も分けて書いてきました。

まあ、さーっと読んで消化できる本なんてそもそもないかもしれませんが。

今日で感想文は4記事目。(1〜3記事目のリンクは本記事の最下部に置きました。)

全45章のうち、37章まで読んできて、上海の街はどうなるのか、各登場人物の物語は・・特に気になるのが、参木さんきと芳秋蘭の再会と行く末だったのですが・・。

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参木と芳秋蘭の再会は、38章で実現するのですが、男装した芳秋蘭から走り書きのメモを渡される、というものでした。

メモの内容は、「今夜で危ないかもしれない。もしこの先永らえることがあったら、マジソン会社の陳をお訪ね下さい」、というもの。

その後、芳秋蘭は小説には登場せず、どうも日本人と内通した咎をつかれ、共産派内部で殺されたよう。(参木の友人の、甲谷こうやと山口の会話の中で、噂として示されるにとどまる。)

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結局、参木は秋蘭との再会は果たせず、反日の輩たちに街角で襲われ、どぶ川に突き落とされます。

どぶに落ち、都会の排泄物まみれになりながら、参木が命からがら逃げ着いたのは、お杉の部屋でした。

 彼はお杉のいる街の道路が、だんだん家並みの壁にせばめられていくに従って、いつか前に、度々ここを通ったときに見た油のみなぎった豚や、家鴨かもの肌が、ぎらぎらと眼に浮んで来てならなかった。そのときここの道路では、いくつも連った露路の中に霧のようにいっぱいに籠って動かぬ塵埃ほこりの中で、ごほんごほんと肺病患者が咳をしていた。ワンタン売りのすすけたランプが、揺れながら壁の中を曲っていった。空に高く幾つも折れ曲っていく梯子はしごの骨や、深夜ひそかにそっと客のような顔をしながら自分の車に乗って楽しんでいた車夫や、でこぼこした石ころ道の、石の隙間に落ち込んでいた白魚や、錆ついた錠前ばかりぎっしり積み上った古金具店の横などでは、見る度に剥げ落ちていく青い壁の裾にうずくまって、いつも眼病人や阿片患者が並んだままへたばっていたものだ。

267p

何度も描かれたこの風景に帰ってきたと、読んでいて思いました。

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参木とお杉はついに結ばれるようなのですが、お杉は参木の息遣いを聞きながらすでに暗い予感に囚われています。

 これこそまがう方なき参木にちがいなかろう。しかしお杉は参木があのときそれ限り帰らずに、自分を残してうちを出ていってしまった日の、ひとりぼんやりと泥溝どぶの水面ばかり眺め暮らしていた侘しさを思い出した。そのときは、あの霧の下の泥溝の水面には、模様のように絶えず油が浮かんでいて、落ちかかった漆喰しっくいの横腹に生えていた青みどろが、静に水面の油を舐めていた。その傍では、黄色なひなの死骸が、菜っ葉や、靴下や、マンゴの皮や、藁屑わらくずと一緒に首を寄せながら、底からぶくぶくと噴き上って来る真黒な泡を集めては、一つの小さな島を泥溝の中央に築いていた。ーーお杉はその島を眺めながら、二日も三日もただじっと参木の帰って来るのを待っていたのだ。

280-281p


可哀想なお杉が、たとえ一瞬の夢であろうと、参木と時間を過ごせたのは確かにカタルシスがありました。

この感想は、リアルタイムで読んだ昔の人も、現代人も同じかもしれません。

きっと、お杉はこの夜のことを一生忘れずにいるのだろうな。・・かえって、残酷なことなのかもしれませんが。

しかし、少し引いてみると、参木はかなり自分勝手な人物に思えるのですが、どうなのでしょう。(まあもっと酷いのは、お杉の貞操を奪いながら、「あれは捨石だ。」と吐き捨てる甲谷ですが。)

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私は講談社文芸文庫で読んだのですが、解説部分に、文芸評論家の菅野昭正さんが、上海という植民地的国際都市の全貌を描き切れなかった、手薄と言わざるを得ない、ということを書かれていて、その理由として欧米人や中国人の活躍、民衆の姿が十分には描かれていない点を挙げていました。(とはいえ、当時の上海を題材にする問題意識は先端を切っていたと解説を締め括っていますが。)

確かに、アメリカ人やイギリス人の大物や、中国の一民衆の生活が描かれる展開も、読みたかったな。

ないものねだりなのでしょうが。

今週は「上海」漬けでした。

じっくりと読め、良かったです。

この感想記事を読んで頂き、ありがとうございました!

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初日、二日目、三日目の感想記事は以下より。


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