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戦争・コロナ・オリンピック:未完の戦後

 先の大戦の終結からこの夏で77年を迎えた。わたしたちは、あの遠い夏のことを、何処か他人事のように思っているのだろう──。

 かつて我が国は、老人大人の権力者がはじめた戦争によって、貴重な若者を死の戦場へと向かわせた。そして2022年。世界に目を向ければ、いまだ侵略戦争の惨禍は続き、未曾有の疫病禍のなかでCOVID19との共存を模索している実態がある。この現実をどうとらえなおすべきか。まずは避けて通れぬコロナ禍とその時代を振り返る。

 ──はやいもので、いわゆるコロナ禍の生活も2年余になる。この期間、人びとの生活も、国際社会も激変した。COVID19の災いは世界の分断と人間間の断絶をひき起こしたことは明らかで、これもまた人びとの間で繰り広げられる一種の疫病戦争であり、認識の戦争とも言えるのではないか。感染症にたいする現状認識と、いわゆるニューノーマル:新しい生活様式なる規範=新秩序の発生と半ば強制的に定着させられたそのレジームと人びと。

 概してこの2年余、社会全体の体制維持のために、たとえば権威主義的方式が礼賛されたり、ゼロコロナなる方法が取り沙汰されたりもした。それぞれこの有事にあわせた試行錯誤だから、それらを全否定することはもちろんできない。しかしながら、コロナ対策の名目で、ときに自由や民主主義に反する局面もしばしば見受けられたのではないか。

 この数年来の有事体制はやはり一種の戦時下のくらしであったわけで、その弊害もまた明らかになりつつある。未曾有のパンデミック下においては、その負の影響が女性と若い層でもっとも顕著であって、自殺者の大幅増加は衝撃的なニュースとして報じられた。とくに20代の女性という本来ならばもっとも自死と程遠いイメージがある層が、この僅かな期間で自ら命を絶つ選択を選んだことは、コロナ禍という有事において、いかに若い世代がウイルスそのものではなく、社会全体に漂う閉塞感のなかで苦悶したかがはっきりと現れているだろう。

 正直いって、わたし自身はあのコロナ初期の自粛ムードを、そこまで苦ともせずに乗り切ってきた。しかしいま思えば、あのまま異様な緊張感をもってしてこんにち生活を続けていたならば、よりメンタルに悪影響があったこともまた言わずもがなである。

 このように、コロナ禍ではひとつの戦時の混乱をなぞったような感があり、皮肉にもシルバーデモクラシー:老人民主主義にしてやられたマイノリティたるわれわれ若者世代が、いかに隅に追いやられてきたか、といま一度はっきり発信しておきたくなる。

 しかし私としては、その行き場のない感情を特別だれかにぶつけるというつもりはない。しかし、若者世代の苦悩もまた実際に存在したということは、コロナ禍が終わっても大きな禍根を残すのではないだろうか。

 感染爆発が叫ばれたなか、昨夏にはオリンピック・パラリンピック競技大会東京大会が無観客で開催されたことも、いまでは人びとの記憶からはや失われつつある。先日東京都庁舎を通りかかったときにレガシーなどといって何らかの掲示物を見かけたが、ひっそりとした庁舎内で過去の栄光に縋る残念さが垣間みえた。詳細は忘れてしまったが、このようなオリンピックという一大事に頼りつづけた日本の現状というのも、また昨今の混乱と実際を象徴しているようにみえてしまう。

 もちろん、オリンピック・パラリンピックを通じて、さまざまなメリットがあった訳だが、一方でやはりガバナンスなき五輪精神、そして今回の汚職逮捕という新たな現実が突きつけられたことにより、いかにも悲哀漂う後始末となってしまったのは無念だった。

 思えば先の大戦における降伏文書調印からちょうど77年。長すぎた日本の戦後の終りに、いま戦争・コロナ・オリンピックという日本の現在地を再確認せずにはいられない。

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