見出し画像

なんで僕は起業したんだろうVol.6〜自分探しに勤しむ中堅社員が新入社員の仕事をするとどういう事態になるか?〜

みなさま、こんにちは。
株式会社Mr. Wanderlustという会社を
今年1月11日に立ち上げた佐々木史彦と申します。
9月8日に自社で開発したスキンケア商品を売り出しました。
広告代理店という全然違う業種にいた僕がなぜ起業したのか、
なぜスキンケア商品をつくることにしたのか。
徒然なるままに思い立ったことなどを書き記していきたいと思います。
まずは起業したきっかけである前職時代の話から。
どうぞよろしくお願いします。

ここからは「ですます」調ではなく「である」調に改めます。
あらかじめご了承ください。

2018年2月。クライアントである大手アパレル会社の出向から戻ってきた。配属されたのはモノ作りに興味を持った僕を笑うかのように大手通信インフラの会社の、しかもメディア担当だった。広告代理店の仕事はざっくり制作側とメディア側に分かれる。広告を作るのが制作側、広告を露出するのがメディア側。大きいクライアントほど縦割りになりやすい。僕のいた営業局のメディア担当は、制作した広告をTVとかWEBとか新聞とか雑誌とかをどのメディアでどのくらいの量をいつながしていくかをクライアントと検討して、会社内のメディア局※1と調整して橋渡しする仕事だった。

これは辛い。制作とメディア作業はまったく違う。同じ営業局の中でも違う会社のように違うのだ。当時、僕は立派な中堅だった。新入社員からしたらおじさんと分類されるお年頃である。にもかかわらず、僕は新入社員と同じ立場で仕事をしないといけなくなった。何も知らない新しい職場で、何も知らない新しい作業を、そこそこの中堅社員がやる。字面にするとワクワクしそうなものだが、そんなことは一切なかった。きっと当時の上司たちは、僕が色々と経験できるように将来を考えて配属してくれたに違いない。だが、しかし子どもはいつまでも親心がわからないものである。そんな温情を一切感じることなく、僕は冷静にこれは大変なことになりそうだぞ・・と思った。

「辛」にひとつ何かがあると「幸」になると言うけど、ことは単純ではない。

案の定、配属後に僕はとんでもない無能ぶりを存分に発揮した。大手通信インフラ会社のメディアチームのひとりとして、テレビ媒体の一部を担当していた。が、連日慣れない仕事にイージーミスが幾重にもかさなる。提出書類に間違いが多すぎて、クライアントも何を見れば良いのかわからず混乱する。結果、やりとりが増えて、その隙に新しいミスが発生する。結果、やりとりが更に増えて・・という悪循環に陥っていた。
12年目なのに1年目の仕事をするとどうなるか?答えは「ミスが多くて恥ずかしい」だけど「後輩社員がとてもやりづらい」も正解だ。組織論という視点では後者の回答に花丸をあげられる。精神的にも肉体的にも後輩社員はストレス負荷がかなりかかる事態になっていた。仕事は遅いしミスも多い、が、しかし、年次※2は上。だから後輩は怒りづらい。しかも、異動してきたばかりで僕の人となりもよくわかっていない。ますます怒りづらいだろう。フォローしないといけないから後輩の作業量がとにかく増える。どえらい面倒だ。Hくん、Yさん、あのときは多大な迷惑をかけた。申し訳ない。とついついこんな場でも謝罪しないといけないぐらい面倒をかけてしまった。

こんな惨事をみてお偉方もさすがにどうにかしないといけないと思ったのだろう。僕は異動して1ヶ月で社内研修のメンバーに選ばれ一旦、メディアチームから離れることになった。「選ばれ」と書くと、さも選抜されたような錯覚に陥るが事実はそうじゃない。元々違う局員が選ばれたのだが辞退して、仕事の不出来でダブついていた僕が消去法的に選ばれただけだった。
研修はフルタイムで4ヶ月。当時、電通はPDMという新しいマーケティングの概念の虜になっていた。このPDMを学ばせるために営業局員が関係する4部署にそれぞれ1ヶ月づつ計4ヶ月まるごと在籍して、実務をしながら知見を積み営業局に戻ってクライアント作業に活かしていくことが求められていた。PDM=People Driven Marketing、ここではこの詳細な説明は省かせていただく。何故ならいま、この言葉を使っている電通社員はいないからだ。流行は常に廃れる。盛者必衰の理あり。それを置いても改めて、電通は素晴らしい会社である。新しい知見を学ばせるために通常業務を4ヶ月も給料をもらいながら離れて良いのだから。世間からは辛辣な評価をいただいているが、優秀で明るくていいひとが多い本当に良い会社だ。4ヶ月間の研修を終えて、僕はどさくさに紛れて制作チームにしれっと異動した。上司もきっとこのままメディアチームにいてもしょうがないと判断したのだろう。ナイス判断である。

当時、このクライアントは綺羅、星の如く当代随一のクリエーターがつくり日本でも有数の人気タレントが出演する広告を連発する、制作担当営業として夢のような舞台だった。ところが、そんな晴れ舞台に、いまいち乗り切れない自分がいた。電通にいてこれ以上ないビッグクライアント、才能に溢れたクリエーター、華やかなりしタレントたち。そんな電通の一丁目一番地、本流ど真ん中なクライアントと仕事をしているにもかかわらず、、俺はこんなことを本当にやりたいんだろうかと思う日々を過ごすことになる。

30歳も中盤になって遅い遅い自分探しの旅に出ていた。やっかいだ。思春期よろしくうじうじ、いい年になって「ここではないどこか」を目指していた。結果、数年後に起業して会社名にWanderlust=放浪癖とつけるのだから世の中わからない。実際に、その頃は少しでもまとまった休みがあるとすぐに海外に行って現実逃避兼自分探し兼暇つぶしを繰り返していた。大人になって海外旅行にハマることは、金を持ったモテない青春をおくってきたおじさんがキャバクラにハマることの次にダサい行為であるがご容赦いただきたい。モロッコ、キューバ、ウズベキスタン、カンボジアなどなど、人生観を大きく変えてくれるような素晴らしいところはだいたいこの時期に行った。アクティブな気持ちの置き所を仕事から遠く離しておきたかったのかもしれない。

各記事の冒頭の写真は、僕の旅の記録です。これはウズベキスタン。

自分探しの答えはなかなか見つからないまま淡々と仕事をしていた。制作業務という「慣れた」仕事を出来るだけ淡々とこなしていた。ひとつひとつ大変な仕事だったような気もするけど終わってみたら何も残らない。ときどき会える素敵な仕事仲間やクライアントに支えられながら、ほどほどに楽しんでいた。ような気がする。

そんな中、あっという間に世界は新しい局面を迎える。すべての社会的な動きが止まり、ひとの交流が断ち切られたコロナ禍である。すべてを根本から変えてしまった時代に突入したとき、僕の人生を大きく変える出来事も起きた。コロナ禍になって一気に普及したリモート会議を初めてしたときだった。慣れない手つきでおそるおそる画面をひらいて、いきなりPCに大きく映った自分の顔にひどく驚いた。僕の顔ってこんなに汚かったのか・・


※1会社内のメディア局・・ややこしいのだが媒体社と向き合っているのがメディア局と言います。クライアントと向き合っているのが営業局。日本テレビやフジテレビなどと向き合っているのがテレビ局、朝日新聞や毎日新聞と向き合っているのが新聞局などなど媒体ごとにメディア局があります。メディア局は電通内で営業局のメディア担当と折衝していきます。あ〜複雑ですね。色々なひとの手を渡って広告は世の中に発信されていくのです。

※2年次・・体育会的雰囲気の残る電通において年次の意味は大きい。実際、1浪1留している僕は、年下でも年次が上のひとには敬語を使わないといけません。