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なんで僕は起業したんだろうVol.3〜新しい環境に、嫌われながら喜んでいく。〜

みなさま、こんにちは。
株式会社Mr. Wanderlustという会社を
今年1月11日に立ち上げた佐々木史彦と申します。
9月8日(木)に自社で製作したスキンケア商品を売り出しました。
広告代理店という全然違う業種にいた僕がなぜ起業したのか、
なぜ商品をつくることにしたのか。
徒然なるままに思い立ったことなどを書き記していきたいと思います。
まずは起業したきっかけである前職時代の話から。
どうぞよろしくお願いします。

ここからは「ですます」調ではなく「である」調に改めます。
あらかじめご了承ください。

3年間で毎年1,000時間以上の残業をしたことにより副社長と面談することになった。優しく労を労ってくれてけどまったく目は笑っていなかった。そんなときに上司からクライアントへの出向の打診があった。すでに何人かがクライアントではある大手アパレル会社のマーケティング部門に出向していた。そのうちのひとりになるという。
正直、嬉しかった。新しい環境に飛び込めるのはわくわくする。そして、この残業につぐ残業生活も少しは改善されるかもしれない。唯一心配だったのは、僕がまったくクライアントから好かれていないということだけだった。

広告代理店の営業、とくにTVCMやグラフィックの広告制作担当の仕事は調整事が多い。クライアントと電通内の関係各部署と出演するタレント事務所と、常に三者の間を行ったり来たりしてきりもみ状態になる。
当然、全ステークホルダーが納得することは難しく、どうしてもひずみが生まれる。このひずみを出来るだけなくし、全員が納得できる広告を制作して、そして広告によって商品が売れる。これがベストなのだが僕は何とか全員が納得させようといろいろと調整をあれやこれやした結果、どのステークホルダーからも好かれないという悪循環に陥っていた。クライアントの言うことだけ聞いていると納期に間に合わずメディア担当に迷惑がかかる、社内のクリエーティブがやりたい「目立って面白いTVCM」を押し通すと、タレント事務所はNGを出すし、クライアントは商品が全然出てこないと不満を言われる。こんがらがって板挟んだ糸をうまくほぐす解決方法が見つからず、
納期まで悪戦苦闘したあげく全員から「佐々木は俺の要望に応えてくれない」という悪評価を頂戴する結果になっていた。同床異夢とはまさにこのことなり。大辞林でもどっかの社員研修のケーススタディーにでも載せたいぐらいのどん詰まり状況だった。

一枚の服すら一人じゃできない。人間とはかくも弱き生き物なり。

そんな一点の曇りを胸に秘めながらも晴天の心持ちでクライアントへ出向した。案の定、全く歓迎されていなかったけど、まぁ、それは時間が解決してくれるでしょう。運が良かったのは出向した当初のオフィスから新しい場所にすぐに移転して、とにかく広い全部書共通のワンフロアのオフィスになったことだ。
マーケティング部署だけではなく、MD※1やデザイナー、パタンナー、生産※2といった他の部署のひとたちがすぐ近くの席に座っていた。広告代理店から来た人間が珍しかったこともあるのだろう、僕は比較的すぐにこの「マーケティング部門」以外のひとたちと仲良くなった。彼らは僕は今まで接したことのない人種だった。社会人になってから宣伝畑、マーケティング畑のひととしか触れ合ってこなかったのだ。

彼らの物事の考え方や見方の違い、というか文化は新鮮な刺激に満ちていた。彼らと接し、そしてアパレル会社のいち社員として知り体験して実感したのは、モノ作りの素晴らしさ、大変さ、そして愛おしさだった。


※MD=マーチャンダイズの略。どんな洋服を、どのタイミングで、どのくらいの量を作るかを決める、まさに司令塔の立場で花形ポジション。圧倒的な権限を握っているエリート。このアパレル会社はシャツならシャツ、ボトムならボトムと商品群ごとにMDを司令塔にデザイナーから生産までがいる体制でした。
※生産=世界各地にある縫製、生産工場と連携してデザインをどのくらいの予算感で納期までにどうやって生産していくかを担当するポジション。いぶし銀的なイメージだったけど、生産担当がいないと洋服はできないわけで非常に重要です。