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ITコンサルタントの人生録 じっくり、焦らず、積み重ねた正社員時代編

前稿「ITコンサルタントの人生録 ミスター・ストイックな学生時代編」では、私の幼少期から大学院卒業までの学生時代についてご紹介させていただきました。

その後社会に出て、正社員として約20年間、活動して参りました。新卒からキャリアを積み、昇格も経験しながら、業界を跨ぎ、いろいろなクライアントやプロジェクトに関わらせていただきました。
その間、自身のキャリアについて考え、悩み、複数の転職も経験しましたが、挑戦による大変さも多かった一方で、新たな世界を見てさまざまな成長の機会と出会うことができました。

本稿では、いま、ITコンサルタント、そしてキャリア・コーチング・アドバイザーとして生きている自分が、正社員時代にどんな人生を歩んできたのか、僭越ながらご紹介したいと思います。
少々長くなりますが、最後までお付き合いくださると幸いです。


1. 動きまわった20代

いまの自分にしかできないことは何かをいつも考えていた

新卒で選択した会社は、大学で学んだ建築系の知識と、研究で使ったIT系の経験を活かして、『建築 × IT』の掛け算から、建築系のソフトウェアを扱うIT商社でした(前稿)。

この会社は昭和時代の戦後に、創業者が起業後に一代で一部上場まで成長させた、いわゆる、日本の戦後の高度経済成長を支えてきた、ザ・オーナー企業です。

入社して3ヶ月の研修期間を過ごし、私は技術系社員として、東京本社にある本部組織の配属となりました。社会人1年目の私は、世の中のことも、社会人としての常識も、ほぼ何も知りません。ただ、新人で本部配属となったことで、将来に期待してもらっているとは感じていました。ストイックな学生時代を過ごし、就職を決め、今後社会人として、自分はどうあるべきか悩んでいたあるとき、直属の先輩社員から、「自分の存在を覚えてもらうことに集中するといいよ」とアドバイスをいただきました。

その言葉に、ハッと気づかされたのでした。正直な話、「自分の存在を覚えてもらう」という営みが必要、などとこれまでの人生で一度も考えたことがなかったのです。先輩社員はそんな自分の姿を見て、シンプルかつ的確なアドバイスをくれたのかもしれません。

自分を覚えてもらうために実践した行動原則:

挨拶する
早朝に出社する日を作る
会社にある情報で自分が見られるものは全部見る
相手に伝わることを意識して発声する
会議で最低1回は発言する

新人の自分だからこそできることは何か。周りの記憶に残すとしたら何ができるか。上記は、それを踏まえた行動原則です。自分の中では下段ほど難易度が高い内容になっていますが、上の2つ、挨拶と早朝出社は効果がすぐに出てきました。「朝7:00に来て何してるの」と、同じく早朝出社の部長や営業メンバーがさっそく声をかけてくれて、そのうち昔話や裏話をしてくれるようになりました。ただこの職場は計算高い意識が見え見えだと浮く印象があったので、毎朝早く出社するキャラになるのではなく、週2回くらいのペースで、しれっとやっていました。

社内システムを覗くと、色々な情報が載っています。早朝の時間を使って、営業資料、パンフレット、業績関連、他部署の情報、人事情報、などとにかくいろいろな資料を眺めました。眺めるとはいえ、考えながら情報を頭に入れていく。そのうち、「なんでそんなこと知ってるの」という反応がチラホラ出てきました。いつの間にか「社内の情報に詳しい人」になっていました。

そして下の2つ、「発声」と「発言」は、当時の控えめかつ遠慮がちな自分の性格的に、難易度が非常に高いアクションでした。ただ心のどこかで、周囲に覚えてもらうにはやるべきことだとは思っていました。そんなある日、課内の小さな会議で、閉会間際に課長が「何か質問はありますか」といつもの決めゼリフのごとく出席者全体に質問した時、私が唐突に、「先ほどの議論で〇〇という社内用語が出てきたのですが、どういうものなのかわからなかったので、教えていただけますか」と質問を切り出しました。

虚をつかれたように、課長が「あ、わからなかった?そうか、そうだよね」と反応し、その用語は今後導入予定の社内システムを指し、そのシステムでできることの概要を含めて3分間くらい丁寧に教えてくれました。面白いなと思ったのは、会議が終わった後に、先輩社員の何人かが、「いや、あれ自分も気になってたんだよね」と言ってきたこと。”なんだ、皆さん知らなかったのかい”、と思いました。そして、”そうか、会議で中身を100%わかっていないのは自分だけではない。そしてわからなくても質問しない人たちもいるんだ”と思った瞬間に、新人の自分の心が、どこか軽くなった気がしたのです。逆に、会議の参加者として、わからないことは遠慮なく質問したほうが、自分とその周辺、そして組織のためになることも、同時に学んだのでした。

「新人」をカードとして使い、あるときは世間知らずに、とぼけて聞きたいことを聞き、多少の失敗は大目に見てもらえるといった風に、いわば「勇気があれば、何でもできる」という気持ちで1年間を過ごしました(単なる生意気に映らぬよう配慮しながら)。

何でも手を出した

大学時代に建築を専攻していたので、建築用のソフトウェアを担当しました。どのソフトも画面操作が細かいのですが、私は、"全ソフトの画面にある全機能のボタンを押す"と目標を定め、そのボタンを押したときの挙動を自分の眼で確認することにトライしました。

営業職の社員と共にソフトを売り歩きました。商材の特徴などを技術的に説明するために、小規模の建築設計事務所、工務店など、さまざまなクライアント先を訪問しました。より具体的な提案を目指し、実際のクライアントの設計情報をお預かりして、図面やCGモデルなどのデモ用データを作り込んで提案に臨みました。そうした活動を繰り返し、会社業績への貢献が数字に表れてきた2年目の途中ごろから、「彼と組むと売れるらしい」と評判が出始めました。

ちょうどそのころ、将来的に期待大の3次元系のソフトが日本に上陸しました。私はそのメーカーに、約1年間、事実上「出向」の形で通い詰めることになりました。そのメーカーのソフトの資格を日本で取得した第一号になりました。やがて、本社のトップセールスが集う組織から声がかかるようになりました。大手ゼネコン、メーカー、大手設計事務所へ提案活動をしながら、日本国内を飛び回り、現場の支援を続けました。

他にも、忙しい傍ら、来るものは拒まずの精神で、できるだけ何にでも手を出しました。社会人3年〜5年目までの間に、提案活動の傍ら、研究プロジェクトに参加したり、教育ビジネスに使用する教材を作成したり、苦手な人前の喋りを克服するために自ら挙手してセミナーの講師を務めるなど、幅広い経験値を積み上げることに費やしました。

記憶に残してもらいたいがために、普段から行動原則を崩さなかったこと、そして何でも貪欲に吸収しようと努力したことで、”あいつには仕事が任せられる”という周辺からの認知度と信頼感は、次第に向上していったと思います。人に左右されずに、自分のペースで過ごせたことで、良い自信を持つことにもつながっていきました。

ここまで、社会人デビューとして極めて順調な時代に映りますが、もちろん、水面下では苦しいことも多かったです。普通の精神状態でないクライアントもいましたし、営業職の社員の中にも、決して良い性格とは言えない方も何人もいました。直前の打合せで決めた提案ストーリーを本番でお披露目したものの、クライアントの反応がイマイチと感じるや否や、クライアントの面前で、クルリと自分を振り返り、「もっとちゃんと考えてこないとダメじゃないか」と突然自分を責め立ててきたサイテーの営業もいました(その日はショックが隠せず、仕事の歴史において、悔しさで泣いてしまった唯一の日となりました)。ただ、いまとなっては、そんな苦しい思い出は時間が見事に解決してくれて、すっかり美談になっています。

マニュアルが無く、人が処理し、人が情報を運ぶ時代を生きた

新人ゆえに雑用的な仕事も多くこなしました。平成初期〜中期の時代がゆえに、スマホや携帯電話は当然なく、社内のシステムも、情報共有の仕組みも、現代では信じられないくらいアナログでした。自席で代表電話がなれば私が受話器を取る。社内外のいろいろな方からの電話が鳴りました。当時、不在社員への電話は、机の上に手書きのメモを残すルールでしたが、慣れない初期は緊張して(周りの眼もあり)、相手の会社名や名前を聞き忘れたり、最悪の場合は用件を聞き漏らしたりで、たくさん失敗しました。社内の人に必要以上に丁寧な言葉を使って、失笑を誘うなんてことも。他にも、マニュアルがない中で、郵便物を皆さんの座席に配る、サーバーのバックアップテープを交換する、といった雑用係も、サーバーをいじりながら、効率を考えて自分なりにやっていました。

令和の世は、単純なオペレーションは仕組み化・自動化され、情報検索や共有の手段も豊富です。私が新卒入社してから25年近くが経ち、当時とは比較にならないほど便利になりました。本当に情報の流れが早い。情報の波の上を人間が歩いているかのようです。

毎日たくさんの情報に触れることができる。通勤電車でもスマホを見る。その分、時間密度が濃くなっていて、ぼーっと物思いにふけり、自分の頭であれこれと思いを巡らせる隙間もないほど、もの凄いスピードで時間が流れているように感じます。さらに、知らないことはネットで何でも調べられるので、大半のことはやり方を解説したマニュアルがすぐに手に入ります。探し当てた情報を再利用して一部に手を加え、オリジナル化することが得意になった一方で、戦略的に自分の足で情報を集め、理解し、選択し、体系的に捉え、周囲に伝えていくプロセスが省かれていっている。極端な発想であることを承知で言いますが、どこかで、個性をかき消すかのごとく均質化の力が働いている気さえします。プロセスが省略されて生まれた時間を使って、情報を深く想像して吟味するのではなく、生産性という名の元に、ただひたすらに、他人のコピーのアレンジを増やしていっている、そんな世相にも映ります。

そんないまだからこそ、頭を使って、自分は何を考えるかを、自分の言葉で表現できる人は貴重な存在です。私が思うには、社会人になって大きな評価を得るのは、「自分」をわかりやすく表現して、その個性が他人に証明されている人。他人が考えたことを正確に形にしたり、常に無難に立ち回ったり、背伸びしてキラキラしている人ではない。私が管理職になったときに高く評価させていただいた部下は、クライアントの前でも、役職者の前でも、大衆の前でも、しっかりと自分の考えを持ち、伝えられる社員でした。結果、自分を持つ人は、他に対して影響を及ぼし、大きな価値につながる原動力となる。

話を元に戻しますが、どんな場面でも、未来について考えるとき、モヤモヤして見通しが立たないときがあります。無理に理屈でこじつけようと頑張っても、どうしても薄っぺらくなってしまうものです。そんなときは、将来が見えないだけの理由がある、と割り切りたい。まだ未熟である自覚があるのならば、踏み込んだ経験がないのだから、具体的な計画を立てるためのピースがいまは足りないだけ。そう考えて、”いまの自分にはできないこと”ではなく、”いまの自分にしかできないこと”を自分の頭で考えることで前を向く。そうして懸命に生きた自分の「いま」を、必ず周りは見ているし、将来の自分のピースになる。私はそう思っています。

2. 技術を磨いた30代

要求が高度になった

ちょうど30歳を過ぎた頃あたりから、クライアントからの要求が高度になってきました。

クライアントはパッケージソフトが欲しいのではなく、それをクライアントが仕事の道具として使ったときにもたらす効能が欲しい。非効率さを解決し、仕事の幅を拡げたい。その課題やニーズをどう解決してくれるのか。その問いに対しては、単なるソフトウェアの提供ではなく、「ソリューション」を示す必要がある。
パッケージソフトの提案ではなく、それらを組み合わせた全体の仕組みを作りたいから、そのコンセプトを固めるプロジェクトを進めるためにどうコラボできるかの提案が求められる。

ところが残念ながら、当時在籍のIT商社にはそれらの「上流」の仕事を進めるナレッジやノウハウがありませんでした。それら上流スキルを持っている人はほとんどいません。そんなとき、とあるきっかけでプロジェクト型の仕事を受注し、自分の所属部に相談がありました。たまたま部に一人、小さなプロジェクトを実行した経験がある先輩社員がリーダーを張ることになったのですが、私はその方と普段から仲良くさせていただいており、「やってみる?」と聞かれて飛び込むことになったのでした。私にとって、生まれて初めてのプロジェクトです。プロジェクトの目的は「クライアントの研究開発予算の範囲内で、その企業で扱う情報マネジメントシステムの構想を、プロトタイプ(試作品)を作りながらまとめること」だったのですが、数人のメンバーと共に、手探りでいろいろな活動とプロジェクト管理を進め、計画通り最終文書をまとめることができました。クライアントからもよくやってくれたと評価を頂き、嬉しかったことを鮮明に覚えています。

この成功体験を他にも広めたいと思い立ちました。ところが、他社へ提案を試みたものの、ITの上流側のビジネスにおける同社の認知度がほぼ無かったのが致命的でした。内容以前に、こちらの提案をまともに聞いてくれない空気がある。上流の仕事に興味を持ち始めた自分はそこにもどかしさを感じ、コンサルタントとして成長したいと、転職を決意したのでした。

そして1回目の転職

転職した会社は、日本のシンクタンク系コンサルファームでした。たまたま不動産系のIT上流工程であるシステムグランドデザインの開始前で、建築関係の業務に詳しい人材の募集に乗ったのがきっかけでした。

それから私のコンサルタントとしての修行が始まりました。プロジェクトの事務局として、会議設定、議事録の取得、行き交う資料の整理や取りまとめといった、いわゆるPMOの庶務を一手に引き受けて、全体で100人以上が関わるプロジェクトを円滑に回すことに尽くす日々でした。初めての経験だらけでしたが、ほぼ2年の時間をかけて、みっちりと基礎を叩き込まれました。

・文章表現
・資料表現(提案資料、プロジェクト文書、IT系文書ほか)
・プレゼン技術
・クライアントとの交渉術
・比較評価手法
・IT上流工程(システム化構想、グランドデザイン、要件定義〜設計)
・テスト、品質管理手法
・プロジェクト管理手法
など

その後、自社のタスクフォース(特別なミッションを掲げる社内横断的活動)で、自社の基幹システムの再構築メンバーに推挙され、数年に渡り、社内やグループ会社と協働するといった貴重な経験をしました。経営会議へ参加して社長の生の意思決定を実際に自分の目で見ることもできました。現場に戻ってからは、製造、金融、電力エネルギーなど複数の組織と複数のクライアントを渡り歩き、大小含め合計20本近くのプロジェクトを経験しました。役割もコンサルタント、プロジェクトマネージャー、PMO(事務局から参謀役の全レイヤー)までさまざまにやりました。10年ほど経験値を積み、組織のリーダーを務めるまで至りました。このノウハウや経験が自分の原型になっていると思います。

踏み込みとフィードバックのサイクルが重要

成功・失敗・どっちつかず、いろいろとありましたが、この経験を通じて、プロジェクトの共通項やパターンが見えたことで、自分の思考や振る舞いの「型」の基本を作ることができたと思います。

ここで強調しておきたいことは、自分の能力は、受け身では決して花開かないことを身をもって理解できたことです。シーンと静まった会議で勇気を出して発言したり、今一歩深くクライアントのニーズに応じたりといった、自ら積極的に前に出る「一線の踏み込み」と、他者から自分を評価され素直に反省する「他者のフィードバック」のサイクルが実行できたとき、後々の大きな成長に繋がりました。これは間違いありません。もちろん、ただ発言をすれば良いのではなく、普段から頭でモノを考える癖がなければ刺さりませんので、マインドは常に高めに設定しておく必要があります。でも、会議に出て何も言わない人よりは断然カッコ良い。自分が成長するための環境を掴み取ることはもちろん重要ですが、より重要なのはその環境を使って、自らの技術スキルをどこまで磨けるのか、その鍵を握るのは、他ならぬ自分であるということです。これはいまでも自分にも言い聞かせています。

3. 知識と経験を熟成させた40代

気づけば四方に「客」がいた

キャリアを積み上げ、40代を迎えると、私に対する期待度は、クライアント支援よりも自組織の維持・成長に向けた仕事への比重が大きくなってきました。その一方で、社員数が潤沢でなかったので、クライアント支援ワークを継続しながら(継続とはいえ責任はだんだん重くなる)、組織のマネージャーとして数字を背負い、部下のマネジメント業務や業績拡大に向けた営業もこなす日々に自然と突入していきました。

多忙な毎日ながら日々は充実しており、人間関係も大きな問題はなかったのですが、やはりあれだけの仕事量だと一つ一つにかけられる時間には限界がありました。当時の組織は、比較的40代以上の社員が大半であったことから、少数の若手を分散させて配属する以外に組織としての回答はありませんでした。強い組織を作るには、今後大きく成長を期待する部下を自分の右腕に据え、共に歩むことで、互いの負荷を減らしながら互いを補い、互いに成長する形を実現することで、二人三脚、四脚、五脚と歩むのが理想なのですが、そんな発想は、30代半ば〜後半の社員が少なく空洞化が進んだ組織ではもはや空想でした。結局は、自ら「多能工化(=いろいろなことを一人で器用にこなす)」するスパイラルに身を委ねる以外に選択肢がありませんでした。

気づけば、いわゆるいい感じの「プレイングマネージャー」として、上を向けば経営層、下を向けば若手、中を見れば自社の他組織、外を見ればクライアント、というふうに、完全に四面楚歌の状態になっていました。”四方に「客」がいる”という言い方が当時の私には一番しっくりきます。実は、この状態にいるマネージャー格の方は、現実には多いのではないかと思っています。

再び話を戻しますが、次第に、先回りして考える時間的な余裕がなくなると、「踏み込み」にかける情熱や、部下の成長に向けて真剣に考える情熱が欠けてきてしまい、なんとなく、毎日を”やっつけ”、”器用にこなす”ことばかりしている自分に気づきました。それはそれで、会社からは一定の評価はいただいていたので、致命的な不満はありませんでした。そのままキャリアを積んでも、それなりの将来はあったのかもしれません。

しかし、本当にこのままで良いのか。このまま器用にこなす人生と、それなりの報酬で自分が納得するのか。このように考えて、まずは環境を変えようと、思い切って10年以上在籍したコンサルファームを離れ、転職の道を決断したのでした。

自分の心と時間と真剣に向き合う

結論から述べると、その後の約5年間で複数の転職をすることになりました。転職が複数に及んだ理由は、これまでに経験した業界や自分の職能の範囲からさらに一歩踏み出したい気持ちが強かったからです。

2社目は前職よりも小さな規模のプロジェクトマネジメントを専門に扱う会社を選び、同じくコンサルティングをやるにしても別の会社の看板を背負ってみる、そんな挑戦でした。このときは、一般的なコンサル業界というものがどういう性格なのかを体感する目的が強かったです。その会社では幸運なことに高く評価をいただくことができました。社内表彰も受け、組織の中核へと入り込むとともに、最大で30名を超える部下を持ちました。前職と同様に、四面楚歌の状態ではありましたが、中堅・若手が多かった組織でしたので、プロジェクトや自社の体制の組成は比較的やりやすかったと思います。その意味では、追われる日々の中でも、部下のコーチングに割く時間は多めにとれたと思っていますし、一人一人との対話を通じて、背中を見せ、感じ取るといった本当の意味での信頼感の醸成ができたと思っています。

長く勤めた会社から外へ踏み出したことで、コーチングの技術や、クライアントと対峙する時に、組織の長として、そして会社の顔として、クライアントの抱える課題に対して全体的な視野で意見を示し、解決に導くことで得た自信から、ITコンサルタントしての「立ち振る舞い」を身につけていく時間を過ごせたように思っています。

その後、総合エネルギー企業に転じ、1年間、新電力を扱う情報システムを主管する組織の実質的な長として、いわゆる「事業会社」側のマネージャーを経験しました。やはりコンサル会社側から見た事業会社の姿と、実際に中に入って自分が大会社の意思決定の一部を担うのと、見える景色が全く違うことがわかります。
なぜこんなに意思決定が遅いのか、などと、小さな組織にいた自分には意味不明なところはたくさんありましたが、プロジェクト・オーナー側のプロジェクト・マネージャーの役割を自分が背負うと、その意味が体感としてわかりました。連日連夜、経営会議の資料の1ページを作り込まなければならない、その道理というか不道理というか、周りから見ると全く理解できない構造が見えてきました。

その後も所属先をいくつか変えて、いろいろな風景を見て、最終的に、ITプロジェクトの体制図で表現される全ての組織を経験することができました。

プロジェクトオーナー側
・プロジェクトマネージャー
・品質管理
・横断的推進チーム(相談役として)
・プロジェクト推進PMO
・情報システム部開発リーダー
・情報システム部運用保守リーダー
など
開発側
・プロジェクトマネージャー
・開発PMO
・基本計画/要件定義リード
など

総じて私は、入社時に確認した期待値に応えたことを証明し、それを評価される形で、相互にWinな関係で円満退職してきましたので、この複数回については、私自身はなんら後悔するはずもなく、成長にはつながった自負はあります。

ある程度「型」を持つ仕事人が過ごす濃密な1年は、体感的にはかなり長い。1年で辞めたというと、仕事が長続きしないヤツだと周囲に思われることを気にする方も一定数いらっしゃると思いますが、これは、特に若手の「姿勢」面についての評価であると思います。辞める=逃げる、の図式ならば、確かに短期間での退職は仕事が長続きしない評価となります。ただ、私にはこの数年間での転職経験が、非常に大きな実りをもたらしていることは事実です。そうして、本当にこのままで良いのかと悩んだ過去の疑問は、次第に晴れていったのでした。

一方で、組織人として生きる中で、時間に追われることに疲れ始めた自分に気づきました。自分の心に正直に向き合うと、時間は自分に与えられている自由にもかかわらず、ほとんど自分のことに使うことができていない。仕事は生きる手段と割り切っても、とにかく時間がない。そんな気持ちに駆られてきました。

究極のところ、自分のタイムマネジメントの問題なのだと思うのですが、そもそもどこに時間を使っているのか。そう考えたとき、「心が重い」と感じるときにパフォーマンスが格段に悪くなることに気づきました。

そうであれば、心に負担をかける重りを順番に外していく必要がある。私の場合、その心の重りは、会社組織の謎のミッションを背負わされたときや、組織論による「何で俺が?」という疑問に突き当たったとき。
では、その会社組織の重りから、自分を解き放つ必要があるのではないか。

40代にいろいろな世界を体感したことで、このようにただ「能力をあげる」ことだけにとどまらない心の動きがありました。この後、会社という組織を離れ、いざ独立の道に進むことを決意し、準備し、実行し、現在に至っています。

独立後まだ日が浅いので、今後私が見た世界を、いつの日かまた人生録としてみなさまにご報告したいと思います。

大変な長文ながら、最後までお付き合いくださりありがとうございました。

これからもいろいろな観点で記事を書いていきたいと思いますので、今後とも、ALT+編集部を宜しくお願い致します。

*冒頭のブログイメージ画像:生成AI Canvaにて作成