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『ナイン・ストーリーズ』(J・D・サリンジャー、ヴィレッジブックス)の感想

 サリンジャー文学と言えばこれというくらいの短編集。バカンスをしている新婚青年が少女に奇妙な話をかたる「バナナフィッシュ日和」。女友だち同士がガールズ・トークして屈託する「コネチカットのアンクル・ウィギー」。知人の借金の催促に訪問した家でその兄と出会う「エスキモーとの戦争前夜」。野球部のカントクのバスで語るお話と失恋の「笑い男」。家のすぐそばに家出する少年と母親の対話である「ディンギー」。戦中の兵士と少女の出会いの「エズメに――愛と悲惨をこめて」。ベッドサイドで旦那が友だちと電話する「可憐なる口もと 緑なる君が瞳」。青年がフランスに行って日本人経営の画塾で教える「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」。天才少年が客船で過ごす一日の物語「テディ」。全九篇。
 子どもの頃サリンジャーの作品を読んで、「アメリカ人というのは何と繊細な人たちだろう」と思ったことを覚えている。登場人物たちは言葉にあらわれない何かをすごく気にしていて、心ここにあらずだったり、急に話が変わっていく。こんな目の前の生きた人に触れる感じがサリンジャーの作品の魅力だと思う。サリンジャーの作品にはapparently(見た感じ)という英単語が頻出するが、こんな語選択でも、見た感じのリアルと奥底にある不可解を同時に捉えていると感じられる。以下は大好きな「エズメに――愛と悲惨をこめて」から。
「誰かのために小説を書いたことは一度もないけれど、いまはまさにそれに取りかかるのにうってつけの時機だと思うと私は言った。
 彼女はうなずいた。そして「ものすごく悲惨で感動的な話がいいわ」と提案した。「あなた、悲惨というものはよくご存知?」
 そうでもないけれどだんだん知りつつある、いろんな形で、日一日、と私は答えた。君の注文に合わせるようベストを尽くす、と私は言った。私たちは握手した。
「残念だと思わない、私たちがもっと仮借でない状況で出会えなかったこと?」
 そのとおり、まったくそのとおり、と私は言った。
「さようなら」とエズメは言った。「あなたが戦争から、機能万全のまま帰ってきますように」」(p157)


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