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『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治、新潮文庫)の感想

 宮沢賢治の童話集。「うずのしゅげ」と呼ばれるおきなぐさが変光星になる「おきなぐさ」。夜空で歌う双子の童子が災難に巻き込まれる「双子の星」。兎の少年が善行のお礼に贈られた貝の火を灯し続けられるかという「貝の火」。嫌われ者のよだかが一羽空をゆく「よだかの星」。神が降臨する町のはなやぎを描く「四又の百合」。不吉な予言を受けた弟が兄と異界に迷いこむ「ひかりの素足」。光の丘で待ちかねられた福音が訪れる「十力の金剛石」。ジョバンニがカンパネルラとともに一夜の旅を行う「銀河鉄道の夜」の全八篇。
 「銀河鉄道の夜」は、子供の思考や行動をリアルに描いていると思う。「ぼくは立派な機関車だ。」(p160)と唐突に思う少年ジョバンニの直前の表情は、「口笛を吹いているようなさびしい口付き」(同)である。ここには、「せわしくいろいろのこと」(p161)を感じ考え行う子供のリアルが描かれている。
 「せわしくいろいろのこと」を「銀河鉄道」に乗りファンタジーに遭遇する間もジョバンニは感じ続ける。彼とカンパネルラが体験する日本ファンタジーの原光景になっている詩的な場面はここでは略す。そんな奇跡の眺めに遭遇しながらジョバンニは単に眼を奪われていない。「大へんさびしいようなかなしいような気」(p181)になったり、「すっかりふさぎ込ん」(p198)だりする。そのように過ごすジョバンニはこんな言葉を聞く。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」
 燈台守がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至(いた)るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」青年が祈るようにそう答えました。(p198)
 この言葉の意味を言い換えてみよう。全ての出来事から「いろいろなこと」(p225)を感じ続けていくこと、それが「わからない」不可知な世界の中で「幸福」であるということになる。そう。この祈りが信じられるなら、ジョバンニと、そしてカンパネルラは、「幸福」を生きているし、生きたことになるのだ。

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