ウルトラマラソンとの出会いが、運動音痴だった私の人生を変えたストーリー6:初マラソンの感動、そしてその後歩んだ道

はずみで申し込んだ初マラソンはホノルル。ランニングを始めて12年もたった47歳の時でした。

当時、単身赴任2年目。45歳で上級管理職として転職、仕事のストレスは半端なく、単身赴任なので夜遅く帰宅しても独りぼっちで癒されず。

そういう境遇だったからこそ、ブレイクしたくて申し込んだのかもしれません。そして海外まで行って参加するからには、不本意な結果には終わりたくないとの思いで、付け焼刃でロング走の練習をして大会に臨みました。

ホノルルマラソンの準備から完走までの一部終始を書くと長くなるので、それはまたの機会にじっくり書くことにして、今回は端折ります。

ホノルルマラソンの当日、真夜中の午前3時、ホテルにピックアップがきて、バスでスタート会場へ。午前五時、まだ暗い空に花火が打ちあがり、3万人近いランナーがスタートです。

私の目標は4時間台でしたが、5時間は走り続けると覚悟して、走り出してから、「このままのペースで5時間走れるか?」「無理はないか、大丈夫か?」ということを常に自分に問いながら走り続けました。

実はこれ、マラソン完走の大事なコツです。決してオーバーペースにならないこと。そしてタイムを気にするより、自分の体調と対話して走るということ。その後100回にも上るハーフマラソン以上の大会を走ってきた私ですが、この基本を守った時には例外なく良い結果が出ています。

さて、そうやって慎重に走り続け、ゴール3キロ手前のダイヤモンドヘッドの上り坂に差し掛かり、これを登り切ったらもうすぐゴールという時のこと。私を軽々と抜いていく、70歳台と見えるおじいさんに遭遇しました。

正直驚きました。こんな歳で終盤をこんなに軽々走れるんだ!と。

私の初マラソンのゴールタイムは4時間2分でした。自分で思っていたより、ずっと好タイムでゴールできたこと、そして何よりも、70歳台のおじいさんが、あんなに軽々走れていることが、私の背中を押しました。

次はかならず4時間を切る。しかも余裕をもって、確実に。これが、私のマラソン、ウルトラマラソンへの挑戦の始まりでした。

(つづく)



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