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女優を目指してた母ちゃんのこと

ウチの母は、若い頃に女優を目指していた。

らしい。

外見に恵まれていたようで、高校時代などは同級生から「美人代表」として扱われていた。

らしい。

性格は子ども時代から、おてんば。

男の子と外で駆け回ってばかりいたという。

息子の僕は運動神経が特別良い人間ではないけれど、母は足がめっちゃ速かった。

らしい。

中高と陸上部で、部内でもトップクラスに俊足だったそうだ。

息子の立場からすると、めっちゃ足が速い母親って、なんか面白いんだけれども。

美人で、性格も活発で、運動も出来る。

つまり、華がある人間だった。

華があるというのは、芸能人として大事な資質の一つに思える。

それを有していたのかもしれない。

でも、母は女優の道に進むことはしなかった。

理由は、父親に反対されたからだ。

父親というのは母の父、つまり僕から見ればおじいちゃんということになる。

寡黙で硬派だったおじいちゃんは、「芸能界みたいなヤクザな世界に行かせられるか」と母に言ったという。

ちなみにおじいちゃんは、若い頃めちゃくちゃハンサムだったと伝えられている。

その頃の写真を目にした母は自らの父のあまりのカッコ良さに驚いて、ある時に「ねぇ、お父さんはあんなにカッコ良かったのに、なんでブスなお母さんと結婚したの?」と訊ねたそうだ。そしてめちゃくちゃ怒られたそうだ。

それこそ「人生で一番キレられた」と
言っていた。

おじいちゃんとおばあちゃんは大正生まれとかなので、もちろんかなり昔の人である。

でも、二人は恋愛結婚で、駆け落ちだった。

あの時代に駆け落ちというのは、本当に珍しかったみたいだ。

それなりに良いトコ生まれのおばあちゃんと、どこの馬の骨とも知れないおじいちゃん。

二人の結婚は、おばあちゃんの実家から猛反対を受けた。

孫の僕の目からすると、あのじいちゃんばあちゃんが駆け落ち結婚だとは、天地がひっくり返っても信じられないのだけれど。

なにせ僕が会うときは、いつもしょうもないことで必ず喧嘩をしていた。

でもなんか、ロマンがあるな、と今でも思う。

そんな駆け落ち経験者のおじいちゃんは、本当に寡黙だった。

昔かたぎを絵に描いたような人だった。

でも、内面には熱さとか、深い愛情を備えている人だった。

ように思う。

だからこそ、最愛の娘を芸能界に送り出すことをどうしても許容出来なかったのだろう。

僕の母はその反対に抗うことはせず、女優の夢を諦めた。

高校を出て、銀行に就職し、僕の父と出会い、二十代半ばくらいで結婚した。

そして、三人の息子を生んだ。

言うまでもなく、僕たちのことである。

おじいちゃんもおばあちゃんもとても愛情深い人達だったから、その血をガッツリ受け継いだ僕らの母も、息子三人にデカイ愛情を注いだ。

そんな母は女優の夢を諦めた経験があるからか、僕の将来の夢を常に肯定してくれた。

「夢を持つのは良いことだ」

「誰もがアンタのように将来やりたいことを見つけられるわけじゃない」

「夢を持てたこと自体も才能だよ」

「それだけ追いかけたいと思うものに出会えた人生は幸せだ」

そんなことを子供のころからよく言われた。

おかけで僕は、夢を持つことに希望をもって生きてこられた。

今、母はもう六十代の半ばを過ぎている。

数年前に還暦を迎えた時には、家族で飯を食った。

その時、母は言っていた。

「お母さんはこの家族が好きだ」

そしてこうも言った。

「このメンバーが揃っている家族なんだから、きっと全員で力を合わせれば何かすごいことが出来るよ」

酔っぱらっていたから出てきたセリフだ。

もちろんあれから数年、僕ら家族は何もしていない。

母と父は今も仲が良い。

休日は必ず二人で買い物なりなんなりで出掛けるし、自宅で会話に困っているようなこともない。

つまるところ、やはり母は家族のことが好きなようである。

しかし、僕が小学生の頃に、彼女は時折泣いていた。

夜、父が仕事でいなくて、僕と兄と母とで夕飯を食べ、まったりとした時間を過ごしていると、ふと母が泣き出すのだ。

僕と兄にはその涙を見せないようにしていたけれどバレバレで、でもなぜ泣いているのかよく分からなかった。

母は「なんでもない」と言って、そういう日は早めに寝てしまっていた。

子供心にも何となく、その涙にはあまり触れるべきではないように感じていた気がする。

だから、泣いていた理由を確認したことはない。

今も知らない。

ただ、母は僕たちにとってはもちろん母だけれど、母自身にとっては自分自身に他ならなくて、自分自身として人生を生きてきて、色々なことを捨てたり諦めたり受け入れたりしてきたのだろうと想像はつく。

家族に対する愛を恥ずかしげもなく表現していた母にも、きっと別の人生の可能性を思う気持ちはあったはずだ。

極端な話、僕たちさえいなければ、もっと自分のやりたいこととか、夢を追うことが出来たかもしれない。

そういう後悔みたいなものがあったっておかしくない。

なにせ、母が憧れた人生というのは、画面の中で華やかに演じる、女優という生き方だ。

だから時折、処理しきれない感情を放出する必要があったのかもしれない。

もちろん、すべて僕の想像でしかない。

あの日、泣いていた理由は結局のところ本人にしか分からない。

もしかしたら、本人にだって言語化することは出来ないかもしれない。

ここ数年、実家に帰って母と話す時に、俳優業に対する憧れを口にしていることがある。

やはり今も、演技というものへの思いがあるようだ。

還暦を過ぎて、息子も全員実家を出ている今、どこかの演技スクールみたいなものに通ったり、小さな劇団に入ってみたり、何かしらの形でかつての夢を追うことは可能だろう。

ただ話を聞いていると、母はその夢を実現することよりも、夢を夢のままにしておいて、そうすることで胸に熱いものが浮かぶ状態を大切に感じ、そちらを選んだようにも見える。

夢を叶えないからこその幸せ。


今も母は言う。

「この家族が好きだ」

あまりにも平凡な家族。

でも、なんだか満足そうだ。

夢を叶えない選択。その幸せ。

僕にはまだ理解出来ない。けれど、それでも、そういうのもきっとあるのだろうなと、最近の母を見ていると感じることがある。


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