渡れ、レインボーブリッジ

周囲の人々からどう見えているかは知ったことではないが、基本的に年がら年中、なんとなく不平不満が多くて、内面の空模様は常に薄曇りです!!というのが私である。

それを解消するために一番手っ取り早くて安上がりな対処療法として独自に設定した生活習慣が散歩だ。

気分転換に、ちょっと、どこか遠くに行きたいなぁ。。。などとジメジメしていたある夏の日、

「そうだ、レインボーブリッジを見に行こう」

と思い立って実行したことがある。

東京都内に住んでるのにレインボーブリッジって全然遠くなくね?
と言われればその通りだが、精神的な気晴らしのために、一定時間、日常生活では見えない景色を味わうことが重要なのであって、
今いる場所からなるたけ物理的な距離を新幹線や飛行機に乗ることが重要なのではない。要は字義的な遠くへ行きたい、ではない。

レインボーブリッジには歩行者用の遊歩道があるのである。
東京タワーから見下ろすレインボーブリッジは小さいが、下から見上げるレインボーブリッジは、めちゃめちゃデカかったりする。

巨大建造物を眺めている時にありがいな心情だが、動物園でキリンさんとかゾウさんをしげしげと眺めているような気分になる。

レインボーブリッジを渡るのはまぁまぁな冒険だなと思ったのは、一方はスピード感溢れる車がビュンビュンと通行しており、その反対側は眼科に広がる海、というところにあるなと思った。

頭ではしっかりした構造物に設置された、歩行者用の遊歩道と歩いている、と理解はしていても、本能と身体感覚は、コイツぁやべえ、キリキリするのである。

レインボーブリッジを渡り切るまでには2〜30分かかるのが、その間、軽度な走馬灯経験ではなく、マインドフルネス的経験を得たと思っている。

もしこれが1人ではなく、友人と一緒にキャイキャイしながらとかだったら違ったのかもしれないが、バカデカ環境音と吹き荒ぶ風、車の風圧、あ、揺れてる、なんて感じながら歩いている時の頭の働きは、安心安全で慣れ親しんだ都市の歩道をワイヤレスイヤホンなんかつけたりして淡々と歩いているときのそれとは全く違う。

極端なことを言えば身体的に生命の危機を感じることで、日常のルーティーンから一歩足をあえて踏み外すことで、脳みそが、逆説的に自分の生へのハッピーとラッキーに自覚的になることができたと思う。

このレインボーブリッジを渡るという行為も、日常のルーティーン化してしまったら人間の生物としての適応力で同様の効果を得られることはないと思うのだが、思い出した頃にまたやってみたいライフハックである。

必ずやコーヒー代にさせていただきます。よしなによしなに。