拝啓、週刊文春様

週刊文春を読み始めたのは25歳くらいからで、IPOを控えた会社に転職後に超絶忙しくなった私は新聞を読む時間も余裕もなくなった。終電でも帰ることができなくなって、夜も朝もニュースすら見ることができなくなった。
新聞を読めなくなったことはつらく、何か読んでいないと本当にバカになると危惧した私が手にしたのが週刊文春だった。

社畜になって家と会社の往復だけの孤独になった私が唯一社会とつながっていると実感させてくれたのも、その後知り合った永田町のおじさんたちや東大卒のおじさんとも対等に渡り合えるくらいの知識や情報を蓄えることができたのも週刊文春のおかげで、とても感謝している。

週刊新潮には新潮くささというか記事がいかにもおじさん臭満載で、若かった私はダサさとともに「新潮ですから」というプライドも見え隠れしていることも見逃さなかった。週刊文春はくせがなくてすんなりと読むことができた。今年で20年。欠かさずに読んできた。

文春砲なんて騒がれているのはごく最近のことで、不肖宮嶋氏の斬れっぷりはずっと楽しませてくれたし、某宗教事件の首謀者を小菅で撮った写真なんて今でもゾクゾクさせてくれる。好きな男性のタイプを聞かれて不肖宮嶋氏の名前を挙げても理解できる人間が周りにおらず、ずいぶん悔しい思いをした。いや、今でも抱かれたい人として普通に名前が挙がるんだけど。特に番長シリーズが好き。「おう、ワイや!」

文春歴20年の中でひとつ印象に残っているのは山内マリ子先生の「お伊勢丹から愛を込めて」と瀧波ユカリ先生の「オヤジかるた 女子から贈る、飴と鞭。」だ。
「お伊勢丹~」は当時伊勢丹で年間30万以上お買い上げだった私への挑戦状だと勝手に受け止めて楽しみにしていたが、3回目くらいで伊勢丹から話がそれていき、「オヤジかるた~」も瀧波先生の対象オヤジへのするどい切り口が持ち味なのに、おっさんたちを逆に援護するようなお茶をにごすものになっていき、二作品ともとっ散らかって収集できずに終了したと私は勝手に受け止めている。(※あくまでも一個人の解釈です)

「お伊勢丹~」は途中私の敬愛する菊池成孔氏が出てきて、伊勢丹の近所在住で伊勢丹LOVERという情報を得た以外に収穫がなかった。当時の伊勢丹は超イケイケだったから、あの婦人フロアのすばらしさを説いても読者のおじさんたちには伝わらなかったのかなとも思えるのだが、とにかく書き手に対して同情もしたし、未だに残念に思っている。

なぜあんなことになってしまったのかと思っていたが、私がチラ聞きしたのは若い女性の編集者が担当していたからという理由だったような気がするけど、本当だろうか。最初は筋道をたてていたはずなのに、途中で何があったんだろう。すごく柱がグラグラしているのも、書き手が本当に書きたいものを書いてる感が少なくて困惑しながら探り探り書いているのも伝わってきたってよっぽどだと思う。まぁそれでも週刊誌は生き物だからどんどん進んでいくのが常だってことを担当編集者さんは身をもって経験したのではないだろうか。

気づけばだんだんと連載の書き手が自分よりも年下になってきていて、外側はシンプルなまま変わってなさそうで地道に新陳代謝している。
今年と昨年と知人に文春砲が直撃し、自分の知っている会社もすっぱ抜かれ、何ともいえない気持ちになりつつもよく取材しているなぁと感嘆し、ますます週刊文春を愛してやまない。

最後に「淑女の雑誌から」は廃刊や休刊続出のあおりで誌面を作るのが相当難しそうで、もうやめて担当の方をラクにしてあげてもよいのではないか。
つうかそんな雑誌を書店で見かけたことないし、ずっと女性向けのエロ雑誌の記事を血眼になって探して掲載許可を取ってるのかなぁと考えると、新谷編集長よりもその仕事ぶりが気になってしょうがない。

今日、一日遅れで今週号をコンビニで購入した。誰が手に取ったかわからない状況で、この新型コロナウィルスの流行の怖さをひしひしと感じた。
隣の火事の鎮火のためにいろいろと提供したのに結局焼け石に水で、人のよさが仇になり、ついに飛び火した。旋風が巻き起こらないように、自衛するしかないってどういうことだろう。この怒りが記事という形になって還元されて、読んでスカッとさせてくれるのもまた週刊文春だ。

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