普通の人の「普通」と自分の「普通」

どうやら私の普通は、普通の人が言う「普通」とは違うものらしいということは、小学生の時からうっすらわかっていて、おぼろげな記憶のなかに小学校に入学直後に自分では普通だと思ったふるまいで先生に怒られて、「こんなくだらないところにあと6年も通うのか」とため息をついたことを鮮明に覚えている。きっと普通の人の倍の自由が必要な子どもだった。

習っていたピアノは指使いが決められていて譜面どおりに弾くことが苦痛だった反面、書道はとにかくフリーダムな先生で、書き初め時にストーブの上のお餅が膨らんでいく様を始終観察していても、先生のダンナさんが傍らで絵を描いているのをじっと眺めていてもとがめられることはなかった。怒られて萎縮することが皆無だったため、安心して自分の世界にのめり込むことができた。そのおかげで勝手に著しく上達していったことはまちがいない。

変人と呼ばれる人ほど自分のことを普通だとも言うし、実際そう思っている。普通の人たちは普通からはみ出た変人の普通を忌み嫌って排除しようとするのに、大人になればなるほどそれを独特の感性だと持ち上げて、享受しようとする。そして時には神と崇めて熱狂的に支持するのはなぜだろう。
それは生命力が強くて、殺されずに済んだ生き残りの個性の魂そのものなのに。

変人界のエリートは、周囲も変人だからかのびのびと生きていてうらやましかった。母は私を変わっていておもしろい子だと自由にさせてくれたけど、父はそれを許さずに金太郎飴のひとつであることを強制し続けた。
そこに乖離があって将来悲劇を迎えることを自分がもう少し早くわかっていたら、こんなに長く苦しまずに済んだ。

子どもの私に「どうして勉強するのか」と問われたら、「普通じゃないことを自分自身が理解して、普通が普通じゃない世界で生きていくためだよ」と答えて納得させてやりたい。

普通をもてあまして、仮面をかぶって生き続けることは思ったよりもつらかった。普通の会社に就職して、同僚や先輩と強制的にいいともを見ながらお弁当を食べることすら退屈で窮屈で、とにかく息がつまった。バランスを取るために一人で外に食べに出かけると「あの子変わってるね」と噂された。一人でご飯を食べられないことや、他人に依存する方が私にとってはずっと変わっている。

社内では名前ではなく「女の子」と呼ばれることも私の自尊心を傷つけた。「女の子」は若いうちに社内で相手を見つけて結婚していくことが花道だというそのシステムの上には亡霊的な扱いであるお局が存在し、どうでもいい派閥を作り出して君臨していることにヘドが出た。それにつきあってありもしない社内の噂話をするのも時間のムダで、それは氷山の一角であって見るものすべてがバカバカしかった。

誰もが知っているその職場がある高層ビルが砂上の楼閣に見えてすぐに限界がきてあっさり辞めてしまったので、きっと一生安泰の会社の普通の人たちは私のことを変人だと思ったにちがいない。

私にとっては通過点で過ぎた過去にほかならないが、普通の会社で普通のサラリーマン人生を終わらせた父にはひとつも理解してもらえなかったし、きっと今生では永遠にわかりあえずに終わるんだろう。

品川駅の改札を右に向かって港南口へ抜ける通路は毎朝それは壮大な行列で、その行列がどこに向かっているのか、小さい時に絵本で見た地獄への行列のようで恐怖し、この行列から一刻も早く逃れたいと思いながら通勤したこともあった。たぶん日本橋や大手町や虎ノ門でも同じことで、渋谷のスクランブル交差点を闊歩するには年齢的には不つりあいで、場所を変えても、生きづらさは変わらない。

私は普通の海ではすぐに苦しくなって長くは泳げない。
いつも意を決して飛び込んでみるけど、足をひっぱられることも多かったし、仲間のふりをして危険な目に遭わせる輩もいて、何よりも己がいつまで経っても水になじめない。海生動物ではないことを自覚するまで膨大な時間を要した。

合わないものは合わないと言える強さも知恵も知識も持ち合わせていなかった。たぶんそれが若さだった。そしてもう若くない私は居場所を見失ってから体調を崩して、ここしばらくは普通の世界の深海で時々は上の明るい世界に浮かんでは戻り、静かに息をひそめて何も考えずにただただじっと己の回復を待った。

普通じゃない世界で生きるには、その証左を出さなければならないこともわかっているし、すべてを理解してもらおうとは思わない。楽に呼吸ができて、何をしてもどんな自分でも許される世界の扉をほんの少し開けただけだ。根は臆病だからしりごみはしている。でも、一歩一歩に偽りはない。

多様性を認めてほしいなんてこれっぽっちも思わない。そんなことを言い出すのはいつでも普通界の人間だということは、変人界では周知の事実であり常識であり幻想だ。

変人界には常識的な変人と非常識なトップオブ変人がいるということも理解していて、私はたぶん常識的な変人に分類されるのではないだろうか。そうであってくれ。

 この先どんな変人と出会えるんだろうとわくわくしている自分がいる時点で、私にはもう普通の人の普通という概念は存在しない。

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