SHINE! (女性はなぜ輝かなければならないの?)

女性はなぜ輝かなければならないのだろう。
元始、女性は太陽であったから? 男性はもう十分に輝いているから?
私にはそうは思えない。申し訳ないけど、男性にも輝きなんてない。
今まで一生懸命働いてきたのに「それでもお前には輝きが足りない」と言われてムチを打たれているような気がして、ニュースを見るたびに心がざわつく。

元気をなくした植物に肥料をただやみくもに与え続けても、元気にはならない。土壌の悪さを根本的に改良しなければならないのに、えらいおじさんたちはそこから目をそらそうとして、男女参画とうたって女性だからという理由で重要なポストを与えたりもする。それが私には短絡的でいきあたりばったりのように見える。むりやり輝かされなくたって、土壌がよくなれば女性は勝手に輝きだすだろう。

あいかわらず保育園も介護施設も人手が足りずに、現場では悲鳴があがっている。誰かの犠牲の上に物事が成り立つという、一番目を向けなきゃいけない現実に目をつぶって、保育園を増やすどころか無償化などという誰のための政治なのかわからないトンチンカンで実現しやすいことだけしかやろうとしない。そしてそれがくだらない実績として並べたてられる。そんな現実にガマンならない。

これが「すべての人の生きづらさを解消する」というスローガンだったら、国民全員は激しく同意するだろうし、納得がいく。人は何らかの生きづらさを抱えていて、それが解消されて不安がなくなって初めて自ずから発光しはじめる。私は心の中にあった原因を探り当てて光を取り戻しつつあるけれど、現実にはまだまだ「無敵の人」を解消できないでいる。

女性には女性ならでの生きづらさも存在する。そんな現実をみようともせずに、おじさんたちにむりやりニスを塗られ続けている。不愉快きわまりないし、それはしょせん一時的なニセモノの輝きでしかない。

私がいつものように夕方にカフェでノートPCを使っていると、横に座って学校のうわさ話や子どもの話をしている主婦3人組が私のPCを横目で見ながら、自分がいかにPCができないかという謎の自慢話を始めた。
私がPCを操れるのは家族を持たずに、ずっと仕事をしていた犠牲の上に成り立っている。PCができなくったって、あなたには子どもがいるじゃないかと思う。でも子どもがいて、PCをバリバリ操っている人が勝ち組的な存在かといえばそうではない。

一番疲れているのは、今この瞬間も動き続けている仕事と家事を両立させている女性たちだろう。女性が輝く社会どころか、輝く前にもう全員が疲れきっていて、1億総疲労列島であることをまず解消するべきだ。
私は今まで数々の職場で女性の上司や役職に就いている女性たちを見てきたけど「この人みたいな生き方がしたい」と思えるような人に出会ったことがない。じゃあ私が新しいロールモデルになればいい? ……そんな単純なものでもない。第一私は絶賛引きこもり中なのだから。

私はこれから手っ取り早く身銭を稼げる職を持ち、家を出て、誰かと結婚し、子どもを産まなければ「輝き対象」にすら入れない。誰もが輝けなくなっていて、私人であるという一番えらい人の奥さんがよくも悪くも一番輝いている。奥さんを輝かせることに関してだけは超一流な手腕としか言いようがなくて、なんて皮肉めいた現実なんだろう。

女性は誰しもが何かの犠牲になって生きている。身近な母は父の犠牲になり、姉や義姉は子どもを持たないという犠牲をはらって生きている。その犠牲は新しく偏見というものを連れてくるからやっかいな代物だ。
かといって、仕事も家事も育児も全部両立させると全部自分に跳ね返ってきて「自己責任」を問われるのが今の社会だ。

世間は結婚しないでいると「ご結婚は?」と聞き、結婚をすると「お子さんは?」と聞き、ひとり目ができると「ふたり目は?」と聞いてくる。そして最後に「お孫さんは?」とダメ押ししてくる。いつまで経ってもひとつも自由を尊重してくれない。

自分たちは優れた人間だとはきちがえて、えらいと思っているおじさんたちは自分の権力のテリトリーを少しでも広げることに必死で、保身のことだけしか考えずに、今日も自分の発した言葉に責任を持たずに発言を撤回する。油断すると朝ごはん論法をしかけてくるし、あるはずのものをないと子どもでもわかる嘘を平気で重ねる。

性別関係なしに大人も子どもも輝くことがあたりまえで、世界に向けて体裁をよく見せるために一部の女性を利用しているだけで、その登用された女性が輝いているかといえばそうでもない。勘違いを重ねて若く見えることだけしか考えていない元大臣もいる。女性を活用しているという「やってます感」のスケープゴードにされているだけなのが悲しい。

政治に対して右か左かでいつまでも争い続けることは端から見ていてもうおなかがいっぱいだ。そんなことよりも、日本人の本質的なものを見る目が濁ってきているのかもと思ってしまう。
忙しさに目をつぶって、教養を身につけることや自分の意見をはっきり言うことがおろそかになっているのではないだろうか。
4月からずっと「おしん」を見続けているけど、そこから感じ取った「貧乏のまま教育を受けさせることなく、思いどおりに国民を操る」という戦前の体制に逆戻りしているのではないかと思わずにいられなくて、激しく危惧しているのは私だけだろうか。

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この文章はコロナウイルス上陸前に書いたものだが、今まで目をつぶっていた人たちの目がきちんと開いてきて、前よりも安心している。
こんなことになって初めていきあたりばったりだった女性進出政策に、いろいろな弊害や脆さが現れ始めている。これがきっかけでこの先の働き方に大きな影響をもたらすだろうし、政治に対しての見方が変わってくるだろう。
目に見えないものが大事なんだと思ってはいたけど、目に見えないウイルスによってまた自分の価値観や生き方も変えられていく。ウイルスは肺炎とともにいろんなものを連れてくるんだなぁとぼんやりしながら毎日ニュースを見て震えている。

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