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今を生きる、のつづき

テスト期間が終わり、テスト返却の期間になっている。
結果は今のところ再試になっていないが、いくつかはもしかしてもしかすると、追再試になるかもしれない。
知らないものは知らない。知ろうとしなかったという事実がある。

知ろうとすれば良かったのだろうか?

いいえ、知りたいと思わなかった。それを気分を上げるとか、頑張るっていう気持ちだけではなんともならないことだった。
もし、自分に必要な知識や学問であれば、卒業するまでに、足りないから補いたいと感じて学び始めると思う。
今、そう思わないただのテスト範囲で、上澄みをすくうような勉強しかしない自分に、そうなんだとしか声をかけられない。
そこに時間を使うべきではないと思う。人生の残された時間が、20代より圧倒的に少ないしね。

つべこべ言わず覚える、そう言われてもできない。道理がわかって覚えたいと思えないと、ただ覚えるなどヤル気にならない。
学生だろう、だからやるのだにはならない。
テストの作問が意味をなすものかも考えた上で、今必要なのかその暗記?と思うなら、必要だと思うときに覚えたら良い。

単位取得と関係なく、必要だし学びたいという内容もある。
だから、勉強そのものが嫌なのではない。それ以外でも、知りたいと思うまで待つことにした。
点数はまったくこだわらない。不思議なくらい、どうでもいい。
何を気にするかと言えば、勉強に費やした時間が有意義だったかと言うこと。無駄な暗記、やらされ感、そういうことに時間を費やし、しかも出題もなく、下手な点数をとるくらいなら、思うような勉強方法で、モチベーションを落とさない方が良いと思っている。

採点ミスで少し点数があがる教科があった。そもそも、そんな点数が狂うテストを作る教員が無能。シンプルイズベストです、テストは。
いちいち3,4点をもらいに訂正を求めに行かない。追再試ラインを超えていれば、どうでもいいのだ、本当に。

そう、今を生きる、のこと。
引っ越しを目前にして、仲介業者との骨の折れるやりとりをしながら、工務店とリフォーム準備をして、その他行政の手続きなど抜かりなく進めることにすごく疲労困憊してしまった。
テストなんて、どうでも良いと思い、いやいや、それでは追試だよと自分を励まして、無理矢理ペンを持った。
効率の悪い時間をすごし、ペンを持って頑張った自分をねぎらった方が良いのか?

とにかく、自分ののんびりした時間など全くないまま10月は終わってしまい、11月に突入した。

学生生活は生活の一コマであり、
いちいちテストに引き回されないようにしようと誓う。
生活すべての中の、学校はただの生活の一コマでしかない。
家を買った後、楽しんでDIYをすることや、庭を楽しむ、そんなことも一コマで、テストとウエイトは同じだ。
今流れている時間を生きている、そんな自覚があるようでなかった。
何かに追われて、やらなくちゃっていうたいしたことのない行動の堆積に疲れさせられていたのかも。

人がどうしていようと、自分の学び方を大切にしよう。

「テストがどうであろうと、それまでにここわかった、深掘りした、ここは手を付けていない、やりたくなかった、などなど感想を持つ。その感想そのものを受け入れて、あくまで私の勉強をしよう」

もし、テスト期間だったとしても、落とさない程度で、趣味も封印しないこと。勉強を苦行にしない。そんな気持ちで今を生きていくよ。

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