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被害者がいるから、加害者ができる

こんばんは。id_butterです。

前回母との対話を書いた。

母と話しながら、ずっと考えていたのがタイトルの件だ。
少し前からずっと、わたしの頭の中にこのフレーズがある。

結婚という制度において、わたしは加害者であり被害者でもある。

わたしは不倫したことがある。
今まで書かなかったのは、単にその過去を忘れていたからだ。
不倫相手は例の元夫だ。
当時20歳の大学生だったわたしは、当初彼が既婚者であることを知らなかった。とはいえ、知ってからも関係を続け、約10年後その相手と結婚したのだから罪は軽くならない。
彼が毎日わたしの家に帰ってくるという同棲状態だったから知らなかったのだとか、わたしとの関係が始まる前から彼はもう家を出ていてすでに関係は破綻していたとか、彼の奥様はわたしの存在を知っていても訴えることも別れることもしなかったこととか、色々言い訳はあるものの、責任はある。
つまり、結婚制度における不貞行為に加担した加害者である。

被害者である、という理由はこちら↓

因果応報、といえばそれまでのこと。
それで、前回母の姿を見ながら、20数年前わたしが傷つけたであろう元夫の元奥様のことを考えた。

結論からいうと、元奥様は、被害者にならなかった。
だから、わたしと元夫は加害者という意識を持たなかった。
というとんでもない事実に気づいた。(今更ではある。)

加害者と被害者、という大仰な言葉を使わなくても、日常のシーンで同じような力関係になることはよくある。
例えば、こういうセリフが飛び交う時だ。

「どうしてこんなことするの?」

誰の責任なのか、ということを暗に問う言葉。
言ったひとはその時点で被害者となり、自動的に相手を加害者にする図式。
現実に因果関係を持ち出すと、こうなる。
こういうことは、なぜか口に出さなくても、心の中で思えば伝わる。
わたしのせいで、という自責の念も同じ作用を持つ。
そして、被害者になれば、加害者の順番が回ってくる。
永遠に続く連鎖に巻き込まれる。

好きなひとや大事なひとに言われた一言こそ、傷つく。
どうでもいいひとに言われた言葉は気にしない、傷つかないことを選択しやすい。

けれど、本当は好きなひとや大事なひとにこそ言われたことに傷ついてはいけないのだ。

そう思ったのは、この時だった。

傷ついて被害者みたいな気持ちになってしまったら、好きなひとを加害者にしてしまう。
傷ついてしまうかもしれない人を前に、ひとは自分のことを素直に話すことはできない。
それは対等な関係になれないということだ。
傷つくか、傷つかないかは自分で選べる。
わたしは後者を選択する。

だから、わたしはあなたから言われたことやあなたの行動に傷つかない。
そのままでいてほしい。
ということを、本当は彼に言いたかったの、この時。

母のはなしを聞きながら、タイトルのフレーズが頭の中をくるくる回っていた。
そして、もしいつか彼に会うことがあったら、ちゃんと笑顔で話せますように、と思っていた。


結論、この女あっぱれだと思うのだ。


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