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サカノボル日記7月3日〜6月27日

7月3日

今日やったことは本当にやりたかったことなのか?もしかしたら「やっておきたい」ことだったかもしれない。「やらなければ」ほどではないけど、やりたいという感覚よりもなんとなくやっておいたらいいなという思考が優位になっていた気がする。とはいえ、そのおかげで今日も素敵な人とあたたかい交流ができて、それがなによりうれしい。
そうか、そのやることよりそれを通じて交流することが私のやりたいことなんだな、っていう説にはちょっと説得力あるな。うん。

7月2日

なんとも充実した1日だった。朝イチで海に行ってシュノーケリングをして、午後は子どもたちを連れて映画。子どもと映画館へいくのがけっこう好きで、定期的にしたくなる。子どもも楽しいし、私も(タイトルによっては)楽しい、1人だったら観ないようなお付き合いタイトルだったとしても、子づれなのに静かに1人で目の前のものに集中できる時間が貴重なので、好き。
それから最近は車を運転するのに慣れてきて、ドライブが好きなのか?は分からないけどちょこっと運転したいという気分もあって、車で映画館にいくのがちょうどいいみたい。
そのあと夕方から海開きした海へ。見事なサンセットを前にのんびりビールを飲めるのが最高!なんたって目の前は大きなお砂場だから子どもたちは永遠に遊んでるわけで。そして飲んでる途中で隣の”家”で友だちが飲んでることを知って、2軒めに移動。海の家はしごするってまた最高。この土地にきて友だちになった大好きな人たちと一緒に過ごす夏の夜。とにかく最高!

7月1日

子どもが休むとたいていは私の予定もパーになる。げーって感じだけど、どこか分かってたような諦めがいい自分もいる。これはなんなんでしょうね?私がこの状態だから、子どもが休むということなのかな?
とはいえ、ずっと子どもに合わせているととても疲れるので、途中で抜け出して友だちとお茶。これまた、こちらに越してきてできた友だちだけど、それでも私が元気ないらしいと知ってすぐにメッセージくれてお茶に誘い出してくれるのがとってもありがたい。やさしいなほんと。
夜は家族で外食してたのだけど帰り道LINE電話が。私が元気ないらしいと知って心配して電話くれた、これまたこちらに来てできた友だち。もう本当にそんなことしてくれるなんて思ってもみなくて、感動しまくり。やさしいなほんと!
そして、、、今までだったら人に心配かけることが苦手だった。物理的な怪我や不調でもないのに、心理的に弱ってるなんて人にはほとんど言えなかった。今回たくさんの愛を素直に受け取れている。愛されている自分を確認したかったのかもしれないけど、そんなダサい自分にもOKだせてます。

6月30日

「存在としてのコミュニケーション」という新しいクラスがはじまる。今日のところまではGFLでいう”一緒にいる”と同じことをいっている。これをここからどれだけ身体技術として表現・認知できるかがこれからの楽しみ。

6月29日

呼吸のブラッシュアップ講座へ。個人で受けるフォローセッションとは勝手が違うので、どんな質問をしたらいいかちょっと迷うところがある。自分だけの感覚や解決したいところは他の人にとっては意味がわからないかもしれないと思いつつ。でもそういうお題だったとしても一人ひとりのレベルに合わせて指導してくれるので問題なかった。
帰宅して免疫細胞療法の先生のオンライン相談会。とても安心感のある先生で、勇気づけられた。いつかお世話になるだろうなと思った。

6月28日

セッションというのは何か解決するためじゃなくて勇気づけられるために受けてるんだなって思う。解決とは肉体をもって行動して現実が変わるから解決するのであって、セッションはその行動に向かうための勇気をもらう場所なのだ。行動のヒントももちろんもらえるけど、表向きはそっちが目的だけど、でも実際は一番はあたたかい応援が力になっている。
夜はだいじな友だちとのオンラインおしゃべり。「大好きな友だち」というより「だいじな友だち」っていう感じがする。長い付き合いで誕生日が近くて特別なご縁を感じる。仲がいいし大好きだけど改めて「大好き」なんて表現しないような、ライバルでもあり、友だちでもあるっていう”姉妹”のような感覚があるのかもって気づいた。(実際に姉妹はいないからわからんけどw)
それにしてもただ話して受け取ってもらえて共感してもらえる。気持ち的な共感は当たり前だけど、話の内容も似たような境遇のところで共感してもらえるのは、それだけで癒やされるし励まされる。本当にありがたい。

6月27日

はじめてここから実家の方まで1人で車を運転していったよ。朝から高速のって2時間くらい。ドキドキしていた割にはすべてスムーズにいったけど、とにかく1人で高速運転しているのってつらい。スピードのアップダウンや左右のハンドル操作などの変化が乏しいので、私にとっては苦痛。仕方なくB'z流して歌いながらやりすごしました。
病院で父の治療方針について医師の説明を聞いた。事前に本を読んでいろいろ調べていたし疑問点をまとめていたのでその場でいろいろな質問ができた。こちらが質問をしたことにはちゃんと誠意をもって答えてくれるので安心はできたけど、答えを聞けば聞くほど、こちらの「質問力」が問われるなぁと痛感した。自分で調べて知って考えることがすごく大事。ってこう書くと当たり前なんだけど、医療の領域って「医者が言うんだから」と専門家に任せがちだよね。というか、そういう生き方の姿勢がもろに問われる病気だよな。「先生が言うんだから」「みんなが言うんだから」という姿勢で生きてきて、じゃあこの場面でも同じようにしますか?


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

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