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第40話

 

まっくろな カラの桶が 高く 積まれている

しんとした 作業場に 立っている

あたたかいコーヒーや

芋の香りが 通り抜けていく

蛇口をひねって シンクを 濡らす

まっくろい 桶を ひとつ 取って

いきおいよく 出る水を そそいでいく

水が 冷たい

デンワが鳴る

きらさんだ


電話口では 声の小さい きらさんだが

もくもくと 作業するひとだ

市場から アーケードまで

花を届けてくれるひとだ

都内の大きなお店を何軒かまわって

大半の荷を 下ろしたあと

アーケードまで来るのが

きらさんの ルートだ


作業場を出て 従業員専用入り口に向かい

守衛さんに会釈をして 外に出る

きらさんが 自転車置き場と 歩道の間の

小さな空間に 台車を止めて 待っている

台車の上に すすきが

立てかけて のっている

きらさんは ひたいに タオルを 巻いている

おつかれさまです、きらさん

きらさんが 小さなお辞儀をする

小さな声で きょう すすき 長いですよ という

すすきの穂が ビニールから 飛び出ている

きらさん、コーヒー 買ってきます

となりの自動販売機で あたたかいコーヒーを 2本買う

コーヒーをきらさんの手のひらに置くと

寒いんですか?

と きらさんがいう

きらさんの声は 行きかうトラックや 街の騒音に

ほとんど かき消されてしまう

きらさんは 暑いんですか?

わたしの声は とてもよく 響く

きらさんは、路肩に停めた 自分の中型トラックをちらちら 気にしている

でも コーヒーは ごくごくと 飲んでいる

空には 雲一つ 浮いていない

きらさんは この仕事が終わると

家に帰って 寝るらしい


もう、9月ですね

きらさんが言ったあと

あれ?と思う

今日は、きらさん、あんまり、急いでいない


飲み終わった缶を

自動販売機の横のゴミ箱に捨てて

きらさんが 戻ってくる

あたたかい日なのに

触れる空気だは、一層 つめたい


今日で、いちお、終わりなんで……

突然 きらさんが 言った

きらさんは、どこか 別の場所に 行くらしい


今日はたくさんすすきを下ろしました

ぼーっと しますね、すすき

きらさんは 市場には 残るんですか?

そうです

ただ 届人では なくなるだけです

よくわからないけど 少し ほっとした


こどもが 生まれたんで

部署を 変えてもらいました


産まれた

きらさんは そんな風に いった


産まれたんですか

おめでとうございます

知りませんでした


はい

きらさんは、ポケットから

車の鍵を 取り出した


あの、これから、どちらに、帰るんですか?

家に、帰ります

すすき、少し、持っていきませんか?

きらさんは表情をかえずに、でも

車の鍵だけ 手の上で ころがした


すすきって どうすれば いいんですか

今、作業場から 急いで きれいな大きな花びん

持ってきますから

それにどさっと 生けて ください

きらさんは 家に花びんがないそうだ

それに すすきは 長いから

背の高い 花びんじゃないと たおれてしまう


作業場の、くろい桶に 一束だけ 浸かっていた

トルコキキョウと 花びんを持って

きらさんの方まで 走った


きらさんは 台車にのった すすきの穂を

なでていた


道を通る人々に混じって

すすきとトルコキキョウの花束を つくった


きらさんが 台車の上に 花束をのせた

少し笑っていた 

またいつか、そう言ってガラガラと台車を押して

道を渡って行った


わたしはアーケードに戻って 開店の準備をした

すすきは入り口にどっさり飾った

アーケードに風が吹いた

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