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「これやりたい!」って言えない自分


 コペンハーゲンで出会う日本人はみんなすごい。ワーホリから就労びざに切り替えた人、研究職で仕事をもらっている人、素敵なお店のバイヤーをやっている人、、、すごい人がたくさんいるというより、すごい人に簡単に出会えるまち。

 まだデンマークに来たばっかり!っていう人も、みんな自分の「やりたいこと」を持っている人がほとんど。
日本にいた頃私の周りは大学4年できっちり就活して、大企業に内定もらって、、みたいな人しかいなかった。だからレール外の道で奮闘したり、自分なりのレールで生きている人の話を聞くといつも元気が出る。


 が、周りがみんな「私はこれがやりたい!」「こんなのが好き」「これを極めたい」と話しして夢や野望を語っているなか、一人私は何も言えずにいる。。

ここ数年ずっと「何がやりたいかわかんないんだよね、、」と言っている。


でも気づいた。やりたいことがないのじゃなくて、「これやりたい!」っていうことが怖いんだと。


 私は、デザインずっと好きだった。写真にこだわろうとデンマークに来てからインスタの写真にこだわっている。どんな場所にいても服のことはいつも考えてて、自分ファッション好きだなって思う。
なのに、なのに、「服が好き」「デザインが好き」「写真頑張っている」って
どうしても言えない。

何が怖いのだろうか。。。


ふとそれは「それに向かって何も努力していないから」かもしれないなと思った。
「何がどう好きなの?」「どんなことしたいの?」「その好きのために何をしているの?」

好きだ、そこでおわっている。
趣味だからこれは、といえばそれまでかもしれない。でもなんか「これが好き!」って言えない自分が恥ずかしい気になってくる。
まるで中身が何もないような。

 自分に自信がないのももちろんあると思う。自分の程度でやりたいとか好きとか言っていいのかな、、、って思ってしまう。


はぁ、なんと情けない。。。
デンマークに来てから人と比べて焦る自分がだいぶ減っては来たので、みんなの話し聞いて自分には何もない!って落ち込むほどではないけれど、でもちょっぴり心がひやっとする感覚がある。


 何かを「発信すること」も昔からやりたいと思い続けていることの一つだ。
このnoteはその意味で、やりたいことの一つなのだけど、あまりにも食い込んだ内容描きすぎてリアルの友達に見せるのが怖くて誰にもやってること言っていない。でも友達とそういう話ししてると、なんで私隠しているのだ?みたいな気持ちになる。

自分の将来やりたいことのためにインスタを積極的に活用している友達もいて、見ていると、「あれ?私もこういうのしたかったんじゃなかったっけ?」と。
「自分の考えや日常を発信したい!」思いと、でも明らかにフォロワー増やそうとしてるの目に見えると「承認欲求バンバン出してる自分が恥ずい」と友達が頑張っているのを見て「他の人がやっているならもういいやという究極の天邪鬼」の気持ちが混じって混じって、、、、www

要するに自分の性格めんどくさいし素直じゃなさすぎる。



今日はそんなもやーとしたことをもやーのままに乗せて書く日でした。

やりたいこと、好きなこと口にするとその分チャンスが巡ってくるとよくいうけど、それはなんとなくだけど、そうな気がしてて。
今すぐじゃなくても、あと1ー2年後ぐらいでもいいから、これやりたいだよね!って堂々と言っている自分になりたいな。。。。

 「今やりたいことはEU圏の大学で公共デザイン/公共政策/サービスデザイン系の分野の勉強すること!」

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