弱さと向き合う/edge behaviorってなんですの?-KP+体験記no.4
hej!少し間が開いてしまったようなきがする。先週1週間は秋休みだった。
(この時期のお休みはpotato holidayって呼ばれている。この時期はじゃがいもの収穫があるらしく、昔は子供たちの手も借りる必要があった。そのため学校はお休みになっていたという伝統があり、今でも小〜大学まで1週間休みになるらしい。デンマーク、そして多分ドイツにもある。両方じゃがいも大国だからね)
ドイツにはまだそんなに友達おらずやることもないのと、コペン離れる前から、コペンが恋しかったので、秋休み絶対デンマーク戻る!と決めており、3-4日のつもりがなんだかんだで1週間丸々デンマークにいた。2週間前はオーフスにいたし、コペンハーゲンも1ヶ月半ぶりなので、いうほど久しぶりでもないのだけど笑
とはいえ、8ヶ月は住んだ小さい町なので、ベルリンよりもよっぽど知っていて、落ち着くし、会う友達もたくさんいてかなり充実していた。少し久しぶりな人たちと会って近況を報告。このお休み期間中に自分の次のステップを考えなきゃな、、、とも思っていて、そのことも考えたり、共有したり。
すると、ベルリンでの生活の自分ってかなり小さい世界しか見えてなかったなと思わされた。そしてかなり焦っていたな、と。
フォルケの時もそうだったのだけど、自分の中にばっかり意識が向きすぎていて、しかも自分の嫌な部分ばかりに目がいってしまってしんどい、、となっていたような気がする。コミュニティが小さいとか、他にあんまり友達がいないとか、いろんな理由があるとは思うけど、もっと視野広げたらそんなにしんどい気持ちにならなくていいのだと気付けたことがコペンハーゲンに行った一番の収穫だった。
帰りのバスで、次また知らぬ間に視野が狭まっていた時にどうやったら自発的に広げ直せるのか?またはそもそも視野を狭まらせない方法ないのだろうか?なんてことを考えていた。
そんなわけで本日からカオスパイロットのプログラムが再スタート。
この前まではグループでのプロジェクトだったのだが、今日からの2週間はEdge workという個人でのプロジェクトになる。
名前を聞いた時、ん?edgeって縁ってことだよね?どんな意味があるのか、、
なんて考えていた。何が起きるのか全然想像できないな。
今回のプロジェクトに関しての説明がリームリーダーなされる。
Edgeの意味についても説明してくれた。
以下リーダーが説明時にくれた引用
何かの始まりであり、終わりの近くの点。またはその境界線。
つまり移り変わりや変化(transition)のポイントを指すものであるといえる。
またサブカルチャーもedgeの一つと言えるよね、メインのカルチャーがあってその終わり/端っこにあるようなもので、余白があるような場所と言えると。そう教えてくれた。
なるほどな。縁と訳してしまうと私の頭の中は完全に額縁みたいなものを想像してしまっていたのだけど、物事の端っこにあり、そのものとそうでないものの間を作っているものみたいなことだろうか。marginという言葉も使っていて、余白の部分みたいなもの。まぁかなり抽象的だけど、今回のテーマはそういったところにあるようだ。
この定義の最後にある、 on edgeという熟語を私は初めて知ったのだが、チームリーダーは Edge behaviorという言葉も教えてくれた。
人が心地悪いな、ちょっと不快だな、嫌だな、、って思う瞬間に出てくる態度のことらしい。例えば1000人の前でいますぐ歌って!って言われた時とか、嫌いな人にどうしてもお願い事をしないといけないとか、、あるよね、そういう時に感じる心地の悪さと躊躇いみたいなもの。
ただ、「このなんかわからんがやりたくないわ、、」とか、「どうしてもやるのに勇気が必要やわ」みたいな物事ってめちゃやるのは嫌だけど、実はやったほうが絶対良いということも多くて、それが変化を引き起こしたり、物事をうまく進められたり、はたまた自分を成長させられるきっかけになるよねと。
今回のプログラムではそういった自分のedge behaviorと向き合うものらしい。
明日と来週2つのお題が与えられてそれに自分で取り組む。
なんてドキドキな!!!
カオスパイロットのこのプログラムのいいなーと思うことの1つにこういった個人での学びの時間があることが挙げられる。「みんなで」何かすることはこのプログラムの大切な要素でなので、個人ワークをするのは逆の動きに一見思えるかもしれない。が、人と何かをやるときっていつでも自分自身との向き合いが必要というか、個人の成長なくしてグループの成長はないように思える。
なぜなら個人でプロジェクト回せるのだったらいくらでも自己中にできるが、グループでいると、たまには自分がやりたくない仕事やらないといけないとか、意見が合わない人と一緒にやらなきゃいけないとか、。この言葉が正しいのかがわからないが「人間性」が非常に重要だし、それってチームでではなくて、個々人で乗り越えたり、成長していかないといけない部分だと感じるからだ。
私がカオスパイロットに参加している一つの理由にこの「人間性」を磨くことがあるし、グループワークやこの秋休みに考えていた自分の将来を考えてみてもやはり、自分との向き合いは非常に大切だと感じていたので、それを個人単位ではあるものの、プロジェクトの中でチームとして取り組めることは非常に意味があるし素敵だ。
ここまで書いてて、Edge work を自分流に訳すなら、「弱さとの向き合い」だなと思った。スキルを身につけるとか、英語が話せるとか、知識を蓄えるとか、もちろんそういったことも大切なのだけど正直そこは後でいつでもその気になればできることだと思っていて、それよりも人間としての成長がない限り、そのほかのものは意味はなさない。で、その成長とは自分の弱いところと向き合うことにあるのではないかと思っている。
ここでいう「弱さ」はやったほうがいいとわかっているのに、怖いとか恥ずかしいと思ってしまうこと、または素直になれない何かや、怠けてしまうポイント。
具体的にいうと「英語を間違えるのが恥ずかしいから、思うことがあるけど発言しないでおく」とか「失敗するのが怖いからチャレンジしない」とか「知らないと思われたくないから、質問しないor知ったかぶりをする」とか「人見知りだし、嫌われるのが怖いから、パーティで憧れのあの人を見つけたけど話さないでおく」とか。単純に「何か一つをやり切る力がない」とか。
(弱いポイントは人それぞれなので、この例えがあんまりピンとこない人もいると思う。誰かにとって簡単なことと、自分にとって簡単or難しいことはかなり違う)
いや、別にチャレンジすることが正解でもないし、人見知りせずに話す人だけが偉いわけでもない。ただこうしたい!ああなりたい!があり、そのために必要なプロセスもわかっているのに、それをedge behaviorが理由に諦めてしまうのは勿体無いし、横でいとも簡単にそれをやってのける人をみた時に、「私はどうせ、、、」と卑屈になってしまうのはダサいよなとそろそろ思い始めたというわけである。
まだ23歳ながら弱さと人生の半分くらいは向き合ってきている自覚があるし、ここ一年になるまではずっと「私はどうせ、、、」で生きてきたので、弱いことは悪と思いたくないし、弱い人を責めるつもりもない。弱い人(自分も含め)に寛大な社会であってくれよ!といつも思うし、自分は人より弱い部分がたっくさんあることも知っている。
でも弱さと向き合い切れば、かなり人生楽になるのでは?と思っている。ただ弱い部分は隠したい自分の嫌いな部分なので、そもそも弱い部分が何なのか気付きたくない!!というところから始まるし、向き合うのはかなり根気と、勇気とが必要。
と、話が少し脱線してしまった。急に自分の弱みを全て解決できるとかは全く思ってないが、これからの2週間はedge workということで、どんな変化が自分の中に起きてくれるのか、とてもワクワクだ、、、!!!!
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