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朝立ちぬ

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私の師匠は堀辰雄の「風立ちぬ」が好きで何度も読み返しては新しい作品のインスピレーション としていたようです。
朝立ちぬ…この言葉は師匠が最後の旅路の途につく時におっしゃった言葉です。
末期がんに侵され…いつ亡くなってもおかしくない中…師匠はいつも無理をして元気に振る舞ってくれました。
師匠は死を達観したような方で死ぬことも生きることも地続きなのだから死を悲しんではいけない…といつもそう仰っておりました。
人は弱い生き物…どんな人も死を前にしては弱気になってしまうと私は思っていたのです。
しかし、師匠は違いました…
悲しみで創作活動を邪魔してはいけない…もうすでに私はあなたの腕に宿って生き続ける…そしてまた君が弟子をとるだろう…そうやって私は永遠に生き続ける…そこまで言うと師匠は吐血してしまいました。
師匠それ以上は…しかし師匠は話すことはやめませんでした…
もう身近に迫った死を感じていたのでしょう…
最後に一言…「朝立ちぬ、いざ生きめやも」とニッコリと笑って旅立っていきました…
今まで #冗談 を言ったことなどなかったのに…私はボロボロと流れ落ちる #涙 を拭いながら口角を上げて師匠を見送ったのでした…

※「風立ちぬ」の巻頭には、ヴァレリー の詩の一節「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」が引かれています。
「風立ちぬ、いざ生きめやも」はそれの翻訳です。
直訳すると「風が起きた、生きることを試みねばならない」の意味となります。要するに、吹いた風を契機に、著者の「生きるぞ!」との決意を現わしているのです。
ところで、堀辰雄はここの部分を、「いざ、生きめやも」と訳している。「生きめやも」は「生き+む(推量の助動詞)+やも(助詞『や』と詠嘆の『も』で反語を表す)であり、現代語になおすと「生きるのかなあ。いや、生きないよなあ」となる。ダイレクトに訳してしまえば、「死んでもいいよなあ」であり、つまりは生きることへの諦めの表現です。
誤訳といえば、誤訳ではあろうけど、私は小説「風立ちぬ」では、「生きめやも」でもいいと思う。

晴れの日も、雨の日も より引用
http://promontory.cocolog-nifty.com/promontory/2013/08/post-12cd.html

師匠は悲しみを乗り超えて自分の分まで生きろ…そう私に伝えたかったのでしょう。

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