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デザイナー・ダイアリー「パックス・パミール:第2版」

本記事は、Cole Wehrle氏が2018年8月14日から2019年1月17日にかけてBGG上に投稿した「パックス・パミール:第2版」のデザイナー・ダイアリーである。

前回、「John Company: Second Edition」のデザイナー・ダイアリーを翻訳した経緯もあり、このデザイナー・ダイアリーを翻訳することとした(が、非常に長いものとなった。)。

パックス・パミール:第2版」はかなりピーキーなゲームである。いわゆるPaxシリーズであるからといえばそれまでだが、ゲーム的な面白さはさておき、ある種のシミュレーション的な楽しさをどれだけ達成できるかに重点を置いたゲームである。

そんな作品ではあるが、デザイナー・ダイアリーも変わっている。最後のものは、箱(プロダクトデザイン)に関するものだ。色々な意味で読みどころがあるかもしれない。

なお、初版の「Pax Pamir」には色々なケチがついている。それはゲームそれ自体ではなく、そのルールブックに記載されていた付記が原因である。そういうことで、旧版のルールブックの付記も補遺として訳出している(旧版の付記1とされるものはルールブックの注釈に関するもので翻訳はしなかった。)。補遺②及び補遺③は悪名高いPhil Eklund氏によるものである。場違いな付記についても翻訳して残すということにも意味があるだろう。

元記事は各冒頭に付されたリンク先を参照されたい。ヘッダー画像はBGGから引用させたいただいた(クレジット: )。

その1:なぜ第2版をつくるのか?

私は第2版には警戒心がある。その身なりを小綺麗にすると約束しているものについては特にそうだ。私は、不安定な初版を好む傾向にある。はっきりとしない鋭いエッジ全てに対して敬服するよ。裾をズボンの中に入れ込む(tucked-in)シャツを着こなして健康的な節制で満ち溢れた顔をして生まれ変わったボードゲームなんて、私にほとんど刺激を与えてなんかはくれない。別に洗練されていてもいいわけだ。あまり適切にこなされてないアイディアというのは純粋な奇異さを与えてくれる。「カタン」以前の変わったユーロゲームと変なウォーゲームに対する私の偏愛ぶりについては割愛しよう。あえて言うならば、私は、「Lords of the Sierra Madre (Second Edition)」をプレイした後に、更に変なゲームである初版の「Lords of the Sierra Madre」を手に入れるのに数年間を費やすこととなった類の人間である。これはちょっとした問題だがね。

けれど、私がこんな風にキーボードを叩いており、第2版をデザインすることに関する一連のエッセイに取りかかろうとしていることに気づく。しかも、私が全責任を負うこととなるデザインに関してだ。少しの調整をした初版の再販をしてほしいと言ってきたのは私以外の人たちだった。抜本的な再デベロップのための空間を要求したのは紛れもない私だった。一体、何が起こったというのだろうか。

まあ、第2版に関する個人的な意見というのはあまり変わってないんだ。ある有名なSF映画シリーズのリマスター版のように、大抵の第2版は、コンセプトも出来映えもひどいものだ。普通、第2版というのは2つの罠の1つに引っかかるものだ。原作を取り除くか、無駄にバロック調にするか(「Dungeons and Dragons」、ごほごほ)、あるいはゲームを遊びやすくしようとして、結果的にデザインから緊張感を全て奪ってしまうことが発生するか(「Steam」、ごほごほ)となる。言い換えれば、あまりに自分のゲームのファンに迎合したり、オリジナルゲームのデザインと根本的に相容れない方法でプレイヤーの母体を拡大させることによってトラブルを起こす可能性がある。

こうした点を踏まえると、本質的に第2版を恐れるところなんて一切なく、単純にうまくやり遂げるのが難しいだけだ。うまく仕上げたとしても、新版が誰かを不幸にするだろうと考えてしまうありとあらゆる理由が存在する。「Twilight Imperium」、「Squad Leader」(※後の「Advanced Squad Leader」)、「A Study in Emerald」(※後の「ホームズ vs クトゥルフ 翠色の習作」)、「Brass」その他多数の作品の新版のデベロップとその受容を考えてみよう。今、これらについて掘り下げたいところだけど、暴動を勃発させたくはない。それに、いずれにせよ、「Pax Pamir」について書くこととなっている。さて、取り掛ろうか。

クレジット: Cole Wehrle

どのようにして「Pax Pamir」が誕生したかという充実した経緯については後ほど詳しく語れることを望んでいる。初版と第2版の双方とも長く複雑に絡み合った歴史がある。いずれ、これらの話をするだろう。けど、今のところ、みんなには私がこの版で何を成し遂げたいのか確実に理解してもらう必要がある。「パックス・パミール:第2版」は、最も大きくて、最も恐ろしい意味での「Pax Pamir」の第2版である。劇的にプレイしやすくなったし、ルールの説明も簡単になったし、初版の文字通り半分のルールしか含まれていない。また、Philとその会社がこんなに小さな箱の中で何を料理しているかに興味があるものの、ルールブックととり散らかったカードデザインに慄いて手を出す勇気がないプレイヤーにとっては、パックスシリーズの完璧な導入にもなる。

しかし、「Pax Pamir」の新版がそんなものであるならば、初版よりも難しく、意地が悪く、痛烈で、不透明なものとなっているさ。私が「Pax Pamir」の再デベロップに着手した時、このデザインをよりプレイしやすくする気はなかった。優先したことはゲームの状態を透明なものとすることだった。プレイヤーにはゲームボードを一瞥して、他のプレイヤーがかけてくるプレッシャーをもっと感じてほしかった。新しいデザインでのプレイしやすさは副次的な効果だった。私は、この種のゲームに興味を抱いている人たちに向けて「Pax Pamir」の更に優れたバージョンを作りたかった。もし、これにより、もっと多くのプレイヤーがこのゲームのファンになってくれたら(If it brought more players to the fold)、それはそれで良いことだが、それでは多数の一般向け的なファンを伴うゲームにはなり得ないよね。

さて、みんなが砂漠のどこかに旧版の「Pax Pamir」を埋めようとし始める前に、私がここで話しているのは意図だけだということを言っておいたほうがいいだろうね。私は、「Pax Pamir」を、ビジュアル的にもメカニクス的にもより賢く実現していて、より難しくて、より良いゲームにしようと目指した。けれども、そのプロセスにおいて、このゲームは変化した。それはいまだに「Pax Pamir」ではあるが、根本的に異なるものでもあった。その違いの核心的な部分は、結局のところ、以下に説明する2つの大きな変更点ということとなると思う。

1つ目は、このゲームの焦点が変更された。「Pax Pamir」の初版と「Pax Porfiriana」との違いがどのようにあろうと、根本的には、両者は政治体制(regime)をコントロールすることをテーマとするゲームである。このシリーズに馴染みがない人に説明すると、このシリーズのゲームは次のようなものとなっている。プレイヤーは、異なる勝利点の"スート"を収集する。どのスートが最終的に"正しい"スートになるかは現在の情勢に左右される。したがって、「Pax Porfiriana」を例に用いると、メキシコが無政府状態に陥った場合には、仲間にマルクス主義者が最も多くいるプレイヤーが勝利することとなる。こういった情勢(又は「Pax Porfiriana」で言うところの政治体制)のコントロールは、単純に、プレイされたときに情勢を変化させる能力を有する特殊カードを溜め込んでおくことで管理された。基本的には、シミュレーションや歴史に関するあらゆる議論はさておき、「Pax Porfiriana」はハンドマネジメントのゲームであった(めっちゃイカしたゲームでもあった)。

このシステムは、「Pax Porfiriana」においてメカニクス的にもテーマ的にも意味をなすものであった。けれど、私は、「Pax Pamir」にこれを破壊してもらいたかった。これを行うために、「Pax Pamir」は、勝利の得点計算に新しいレイヤーを加えた。基本的には、プレイヤーは正式な同盟の中で協力して適切な種類の勝利点を獲得する。そして、その同盟が勝利した場合には、最も"影響力"(そのとおり……別の通貨だ)のあるプレイヤーがゲームに勝利することとなる。私はこの不愉快な組合せ(marriages)がこのゲームの中心的なドラマを提供してくれることを望んでいたが、単純に難しすぎてゲームの大半の要素を追うことができなくなってしまうことがわかった。情勢のコントロール(基本的に、それが無政府状態である必要がある場合に、無政府状態であることを確かめること)が最終的にはより重要なことであって、プレイヤーが集中したのはまさにそこだった。私はこれをひっくり返したかったのだ。情勢は、なおもプレイされることとなるものであるが、もっと重要性を低めて、同盟をこのゲームの最も重要な要素に高めたかった。同盟の形成と、突然の痛みを伴う裏切りがこのゲームの中心である必要があった。

この解決策は最終的に単純なものとなったが、取り掛かるまでに長い時間がかかった。勝利から情勢のコントロールを切り離すために、単純に優勢判定を変えるだけのことは決してしないようにしなければならなかった。優勢は、現在の情勢にかかわらず、道と軍隊によって定まるだけだった。トマス・ホッブズも誇りに思っただろうさ。今では、各同盟の地位を評価する際に、プレイヤーは単純に1つのトラックを一瞥する必要があるだけとなった。ほら見てくれよ、帳簿なんていらないんだ!

「パックス・パミール:第2版」のGen Conでのデモ
クレジット: Drew Wehrle

優勢判定を単純化させることで、私はこのゲームの複雑さを他の部分に"費やす"ことができるようになった。そして、勝利点システムをよりダイナミックに、よりゲームの状態に反応するよう構築することに費やすこととした。

当初、「Pax Pamir」は突然死んでしまうことがあるようなゲームとして想定されていた。けれども、勝利条件それ自体が複雑であったために、ゲーム終了のトリガーとなるカードが市場に現れた際に、ゲームが徐々に停滞することを意味していた。その後、大失速した後に、数アクションに裏切りとどんでん返しの連続が明らかとなり、1人のプレイヤーが勝利を独占する可能性が高いものとなっていた。勝利点により、プレイヤーはこのゲームの終了をゆっくりと展開するのを見ることができるようになり、プレイヤーの運命の移り変わりに反応することができるようになったことから、私はこのゲームのもっと長い期間にわたってこのドラマを拡張させることができるようになった。勝利点は、私が自分のプレイヤーに対してこのゲームで重要な2つの要素である忠誠心と影響力に注目させることができるようになったスポットライトのようなものだった。基本的には、支配力を持つ同盟に忠誠心のあるプレイヤーのみが勝利点を得る資格がある。そして、得ることとなる勝利点の値はその同盟における自分の地位に左右された。同盟において最も影響力を有するプレイヤーは5勝利点を得ることとなる。2番目に影響力を有するプレイヤーは3勝利点を得ることとなる。最も少ない影響力を有するプレイヤーは1勝利点を得ることとなる。どの同盟も支配の確保をすることができなかった場合には、個人の権力について大きな基盤を築いたプレイヤーにより少ない数の勝利点を与えることとなった。

個人的な見解として、このメカニクス的な強制により、このゲームには壮大な物語性の射程が生み出されることになった。優勢になるたびにわずかな勝利点が与えられて、そのプレイヤーは、自分の地位に基づいて友好関係を調整しながら少しずつ勝利に向かって進んだ。ゲームの終了までに、プレイヤーは、最終的に一世代に及ぶ紛争の中で没落した帝国を統一させた感覚を抱いた。

しかし、私は、初版のゲームにあったよりリスクの高い戦略の一部を焚きつけるために、突然死の条件があるという緊張感も必要としていた。私は、"4以上"ルールを用いてこれを行った。基本的には、得点計算の後に1人のプレイヤーが他の全てのプレイヤー(の個々の勝利点)よりも4勝利点以上の差があった場合には、そのプレイヤーが直ちに勝利することとなる。したがって、1人のプレイヤーが、最初の判定時に自身の力でなんとか全ての優勢を得た場合には、そのプレイヤーは5勝利点を得て他のプレイヤーは勝利点を得ないこととなる。ゲームは終了だ。同様に、ある友好関係が2回優勢となり、そのプレイヤー間で影響力の競争が混乱しなければ、首位のプレイヤーは10勝利点(5 + 5)を獲得し、次のプレイヤーは6勝利点(3 + 3)を獲得する。ゲームは終了となる。

初版の「Pax Pamir」のファンは、こうしたルールが表面的には全く異なるように見えるけれども、実際には、初版の国家建設バリアントのゲーム終了条件を正確に反映させたものだとわかるだろう。私が思うに、これは「パックス・パミール:第2版」の中核的な理念を最も適切に表現したものだ。初版のゲームに由来するもののほとんどは、いまだに「パックス・パミール:第2版」のデザインの中にあるが、そのメカニズムは、あちこちに散りばめられたクローム(chrome, ※メッキ加工されたもののように、見栄えが良いが中身が伴わないもの)の断片を通じてではなく、新しいルールの有機的に関連した帰結として見出されることになる。

段列(baggage train)や秘密の戦闘計画の攻略に係る初版のクローム的なルールを単一で、より強固なアクションシステムに統合することに関してもっと多くの言うべきことがある。けど、それは別の日を待つことにしよう。

その2:フリーアクションなんてものはない

このダイアリーは、「Pax Porfiriana」や初版の「Pax Pamir」においてどのようにアクション構造が機能しているかに馴染みがないのであれば、あまり意味がわからないこととなるだろう。だから、前もってそのことを理解しておいたほうがいいだろう。

「Pax Porfiriana」では、プレイヤーは各手番に3つのアクションを得る。そして、プレイヤーは、各手番で9つのアクションのメニューからアクションを選択することができる。ところで、こうしたアクションには重要な暗黙の留保がある(important qualifiers)。例えば、プレイヤーが実際に刑務所にいない場合には、"刑務所を脱獄する"というアクションを行ってもあまり意味がないわけだ。けど、そうであったとしても、9つというのは大きな数字だ。私の考えでは、アクションの数と公開のカード市場という情報の洪水が組み合わさって、プレイヤーがこのデザインを遠ざけてしまう大打撃となってしまった。

徹底的な投機市場
クレジット: Daniel Thurot

では、「Pax Porfiriana」を心から愛する者として言っておこう。確実に、私が「Pax Porfiriana」の新版をデベロップしようとするのであれば、デザインに関しては何一つ変更しないと思う。数枚の優れたプレイヤーエイドと新しいカードデザインは非常に役立つだろう。けど、「Pax Pamir」のデザインに取りかかった際に、私はゲームの入り口のところで障害となり得るものを取り除くのに役立ちたいと思っていた。私がした1つの方法は、カードのレイアウトを調整することだった。そのことについては後で話そう。私がした主なことは、ゲーム中のアクションの機能を変えることだった。

「Pax Pamir」の初版では、プレイヤーは、常に利用することができる複数のアクションがある。購入する、プレイする、破棄するだ。プレイヤーは、ゲーム全体でこれらのアクションを使用することとなる。そして、これらのアクションは、ゲーム全体を通じてプレイヤーが行う全てのアクションのうち圧倒的多数を占めるだろう。こんな形で、このゲームは、「Pax Porfiriana」と似ている。しかし、この3つのアクションだけでは、プレイヤーに行ってほしい全てのことを表すためには十分ではなかった。私は少し岐路に立っていたのだった。私は、新規プレイヤーにとって選択肢が膨大にあるようにはなってほしくなかったが、プレイヤーから興味深いツールを奪いたくもなかった。

私は、カードに"ホスト"のアクションを持たせることでこの問題を解決した。基本的に、自分のタブロー上でカードを購入したりプレイしたりすることで、プレイヤーは、徐々に行うことができるアクション数が増加していく。ゲームの最初の数手番では数個の選択肢しかなかったが、多くの選択肢になっていくようになる。こうすることで、「Pax Porfiriana」のルール説明よりもはるかに簡単にこのゲームのルール説明をすることができるようになった。まずは、カードを購入する。次に、カードをプレイする。最後に、行うアクションを使用するためにカードを置く。

このゲームのタブローは、「Pax Porfiriana」のタブローよりも活発である。
クレジット: Daniel Thurot

しかし、この単純化は否定的な側面も付随していた。通常のプレイの流れから離れて、私は多くのアクションを自由に思いついてしまった。「Pax Pamir」初期のドラフトの1つは十数個を超えるアクションがあった。実は、当時の私は、このゲームをより洗練されたものにしたと考えていたんだ! 今、この文章を書いていると、アクションを追加することでゲームが単純化すると考えるなんて、ちょっと馬鹿げた話だと気づいてしまうよね。私が言っていることを説明させてほしい。

「Pax Porfiriana」には、互いに込み入った(nest in one another)大量のルールがある。実際に、それが一種のPhilのデザイン美学でもある。例えば、プレイヤーが軍事ユニットをプレイする場合には、どこかにそのユニットを置かなければならない。そして、どこかに置くということは、移動コスト、戦闘値、撤退を理解することを意味する。要するに、実のところ、戦闘と軍隊の移動のルールはプレイカードのアクションの中に埋め込まれているわけだ。「Pax Pamir」を手がけていた際に、戦闘それ自体を特別アクションとする代わりに、そのルールをプレイカードアクションから全て引き出したほうが簡単だと思うようになった。

しかし、こうすることで別の問題が生じた。戦闘を独自のアクションに移行させた際に、既に厳しかったアクション経済が更に厳しいものになってしまった。これに伴う主な結果は、プレイヤーがこうしたイカしたアクションを全て選択することが一切なかったということだった。購入やプレイが物事を成し遂げる主要な方法であれば、プレイヤーはただそれをすることになるだろう。多くのゲームについては、軍隊は、ただお互いにじろじろ見ながら突っ立ってるようなものと化した。「Pax Porfiriana」を修正しようとする中で、私は、そのゲームからその命を吸い取ってしまったのだった。

これを改善するために、私は"フリーな"アクションというアイディアを導入することとした。基本的に、各アクションは特定の政治体制と紐付けされていた。現在の政治体制と合致したアクションは、その手番での自分のアクション制限数にカウントされなかった。これにより、多くのテーマ的な意味を持たせることができた(無政府状態にあるときには、軍隊を動き回らせて戦闘するのは簡単だ。)。また、これによりデザインから解放されて、複数カードのコンボや面白いボードの立ち位置ができるようにもなった。

しかし、あらゆるトレーディングカードゲーム(CCG)デザイナーが言うとおり、"フリーな"アクションはゲームシステムをダメにする一因だ。このゲームの大方の部分は非常にきつくバランスをとっていた。今や、プレイヤーは2つのアクションのうち1つを消費することなくアクションを行うことができるので、あらゆる種類の奇妙なことがゲームの盤面に起こり始めたのだった。私は2つの方法でこの問題を回避した。まず、勝利条件がプレイヤーに多くの奇妙な勝利方法をもたらしており、政治体制や情勢をコントロールするカードは自分自身のスートとは異なるものであった。プレイヤーは、強力な軍事アクションと開戦時に有利な状況をもたらす軍隊をプレイすることができた。しかし、それは、政治体制/情勢のを異なるスートに切り替える可能性が高いものでもあった。2つ目に、軍隊が自壊する傾向になるように疲弊ルールを追加した。そうすることで、たとえ星が一列に並ぶような幸運な状況にあった(the stars did align)としても、軍隊が荒れ狂ってボードを一掃しにくくした。これはうまく機能して、このシステムは初版が出版されるまでは生き残ったのであった。

古いアクションシステムの全容を説明したかった理由は、このシステムに内在する欠陥に気づくまでに長い時間がかかったからだ。「パックス・パミール:第2版」のデベロップの大方は相互依存性の研究だった。洗練されてないと気づいたシステムを見て、それを修正した。そして、私が施した修正が連鎖的なデザインの失敗を引き起こしているとゆっくりと気づいたのだった。1つの変更がゲームの別の要素を壊すという単純なものでもなかった。1つの修正が何かの要素を壊し、その要素が3つ目、4つ目のことを壊すというものだった。

そこで、同盟ブロック(以前は帝国シリンダーと呼んでいた)を主要な構成要素とするためだけに優勢判定のシステムを変更すると決断した際に、最終的に、個々のアクションのデザインこのゲームの全体のアクション経済を壊すこととなった。その経緯を示そう。まず、私は、勝利条件をもっと理解しやすいものにしたいと考えた。今では、このゲームは単なるブロックの話となり、プレイヤーはどの同盟が勝利に近いか簡単に判別できるようになった。イカしてる。けど、疲弊ルールがこのゲームを停滞させた上に、スートとアクションのバランスを劇的に悪くした。このゲームの力学は塹壕戦のようなものに変化し、完全にその時代と適合しなくなってしまった。これを修正するために、私は攻撃アクションをより強力なものとし、軍隊が破壊したいものを決定できるようにして完全に疲弊ルールを取り除いた。これにより、その時代にかなり近いものになったと感じられた。というのも、無線が登場する以前の制限された軍隊の反応の速さは、イニシアティブをとってうまく利用することができる軍隊に報いるものであったからだ。

軍事スートが強力になりすぎないようにするために、私は、軍事行動アクションを"戦闘"と"行軍"に分けた。そういう形にすることで、プレイヤーは自分の意図を漏らさなければならなくなり、防衛側のプレイヤーが有利となった。これは非常にうまく機能したが、このゲームの情勢に(軍事アクションが"フリーに"行うことができるようになる)軍事闘争(Military Struggle)が選ばれると、すぐさまこのゲームは、思慮に富んだ支配権を巡る闘いからアフガニスタンを舞台にしたアーケードゲーム(Afghanistan: The Arcade Game)へと退化してしまった。軍隊は気ままに飛び回り、お互いを粉々に爆破し、大抵は、政治体制が変更した直後に、偶然にも初手番を行ったプレイヤーが利するだけだった。うわ、ダメだ。

この問題に対する解決策を認識して実行するまでには長い時間がかかった。この理由の1つは、アフガニスタンを舞台にしたアーケードゲームがなお面白くて興味深いものだったからだ。印象論的なこの変化は問題であるのか、単純にこれが「パックス・パミール:第2版」の向かうべき姿なのかの見当すらつかなかった。実際に、私は、このルールでレビュー用のコピーを送ってさえいた! けど、その返事が戻ってきたら、このシリーズの古くからのファンは決して夢中になってはくれなかった。多くの変更点については気に入ってくれたが、このゲームに関する根本的な誤りがあった。ほとんどの人は、問題が勝利条件における変更に伴うものだと思っていた。これは多くの問題の直接的な原因であったので理にかなってはいたが、私にはこれらの変更を元に戻す心の準備ができていなかった。

私は次から次へとゲームを観察した。そして、兄と話をしながら、この問題や「パックス・パミール:第2版」それ自体のデベロップに対する考え方について再構成し始めた。通常、何かを改善しようとする場合には、ゲームの核となる構造が良好であるかを確認するために小さく作業をするものだ。けれども、私が取り入れたい変更を支えるために、どのようにして核となるものを再構築するにはいいかを考える必要があった。私自身のデザインの実践に関していえば、私は総体的に考える傾向にある。私は全てを1つに結び付けたいのだ。これは、通常、デベロップ担当者が自分の役割に寄せるべき方法ではない。しかし、この場合には、このデザイン倫理に身を預けなければならなかった。たとえ、デベロップ担当者であったとしても。

クレジット: Cole Wehrle

その目標に向かって、新しいアクションシステムが生まれた。初版のゲームのように、プレイヤーは1手番に2つのアクションしか得られないが、情勢により示された"フリーな"アクションがいくつか追加される。アクションはもはや特定の情勢と関連づけられておらず、カードが関連づけられたこととなる。したがって、好景気の際には、経済カード上のアクションは"フリー"となる。良い市場と経済的資産を有するプレイヤーは、情勢が整った場合には、裕福になりやすくなる。こんな形で、新しいシステムは古いシステムと非常に似通ったものとなった。ただし、私は、カードにどのスーツがあるかに完全に基づいた形ではなく、そのカードのテーマ的な主題に基づいた形でカードにアクションを与えることにした。行軍アクションの一部は軍隊に残っているが、大抵の部分は軍用品や危険な峠を表す経済(スートの)カードにある。同様に、戦闘アクションの一部は軍隊にあり、他の部分は政治(スート)や諜報(スートの)カードにあるかもしれない。それは、結局、こういう人物の多くが軍事的指導者だったからだ! もちろん、裏切りアクションを有する政治的指導者は、適切な位置に密偵がいない限り役に立たない。適切なスートのユニットを配置することは、なお非常に重要であるが、今ではアクションシステムに一層強力な物語的要素が伴うようになった。

この新しいシステムは、大きな戦略的な空間も開拓したのだった。突然、プレイヤーは自分のタブローを構築しながら、スートについて考えなければならなくなった。ゲーム内の全てのアクションを行うことを可能にする単一のスートのタブローがある。しかし、自分に利がある情勢が転換してしまうと、自分がより多様な利益を有するプレイヤーと歩調を合わせようと必死になっていることに気づくだろう。あらゆる種類のコンボやシナジーが切り開かれた。そして、あらゆるシナジーに対する潜在的な妨害が他のプレイヤーにとって利用可能なものとなった。今にも断念しようとしていたアイディアである政治体制/情勢が、他のプレイヤーが潜在的に行おうとするアクションを支援したり妨げたりする手段となった。

この分断は、アクションの統合によって更に可能となった。アクションを検討しながら、旧版の10個そこらのアクションの特異性を分解して6個だけに煮詰めてみようとした。ここでは、旧版の特性を失いすぎることなく、「ルート ~はるけき森のどうぶつ戦記~」の教訓がより多く取り入れられた。戦闘にいくつかの調整を施すことで、軍隊と密偵を似たような形で戦闘させることができた。したがって、戦闘を行う際には、プレイヤーは単純に戦闘地域を選択して、敵駒の排除を処理する。その地域は、部族と道路と軍隊がいるマップ上の場所かもしれないし、お互いを見つけ出そうとしてうろうろしている密偵がいる宮廷カードかもしれない。

クレジット: Cole Wehrle

ほとんどの場合において、新しいアクション構成により、私は、クロームメッキ加工された初版のルールを直接このゲームの基本的な構造に密かに組み込むことができるようになった。段列ルールを例にしてみよう。初版では、軍隊が移動するためには合致した道路が必要であった。段列ルールにより、プレイヤーは少しのお金を支払ってこの要求を無視することができるようになっていた。初版のルールは、プレイヤーが忘れやすい類のものであった。また、テーマ的にもはっきりしなかった。これは私自身の失敗ではある。というのは、表現していたことというのは、言葉とおりの段列というよりも軍隊を移動させるための政治資本(お金)の消費であったからだ。新しいシステムでは、行進アクションには、特殊能力(詳細は後述する)がない限り、道路が必要となる。けれども、道路が敷かれることとなる2つの場所のどちらかを支配している場合には、少しのお金を支払って道路を敷設して自分の軍隊が移動できるようになる。政治的支配と作戦の柔軟性との間のテーマ的なつながりが的確に共鳴して(empathized)、捉えようとしていたことを失うことなく、少しだけルールが取り除かれた。

このような形で調整されたゲームの要素のうち、密偵システムは群を抜いて変更された。そして、これは最も特別な意味合いを持ったものだと思う。けど、これについては来週話すことにしよう。

その3:カブールの男

熟練の「Pax Pamir」のプレイヤーに新版を紹介するのはおかしなことだ。初版のゲームにはいまだに活発なコミュニティがあり、このゲームの評判もいいのだけれども、ファンの大部分はしばらくこのゲームをプレイしてなかった。しかし、初版のルールを理解することはややトラウマになる出来事になりかねないため、このゲームのルールはほとんど記憶に残っている傾向にある。こうした古いプレイヤーにルール説明をするのはいとも容易い話で、ちょうど覚えるのに苦労したルールは私が今のデザインから取り除いたルールであるため、物事は全て簡単に進む。5分以内に、いくつかの質疑応答があれば、概ねプレイすることができるようになる。

ゲームの後に感想を聞いていると、こうしたプレイヤーが初版と第2版との違いを識別するのに苦労するのはよくある話だ。「Pax Pamir: Khyber Knives」をプレイしてないプレイヤーにとっては、勝利点が新しいことが明らかだ。前回の投稿でお話ししたアクションシステムの変更について、古いプレイヤーが気づくのも同じだ。変更点全てをとってみても、なおこのゲームはかなり「Pax Pamir」らしさが残っている。

クレジット: Cole Wehrle

彼らが記憶から思い出せない変更点が1つあった。それは新しい諜報システムであった。

旧版の諜報システムは、「Pax Pamir」のデザインの中でお気に入りの要素の1つだった。通常、地政学をテーマにしたゲームは、他の国家権力の行使形態以上に軍隊の移動や大規模な経済活性を強調するものだ。どのように国家が建設されるか、国家がどのような機能を有するのか、そして、どのように国家が崩壊するかに関していうと、軍隊は始まりでもあり終わりでもある傾向にある。これはそこまで悪い傾向とはいえない。マックス・ウェーバーが合法的な暴力の独占として国家を理解するように奨励したのは正しかったと思う。軍隊と実力行使を投影するための他のツール(Armies and other tools for the projection of force, ※原文ママだが何か続けて書きたいものがあったのだと思われる。)。しかし、軍隊は、何もない状況では機能しない。軍隊は、ゲームでは大抵ぞんざいに扱われる兵站(logistics)や諜報システムといった補助的な要素に支えられている。

考えてみてほしい。第二次世界大戦のゲームでは、戦場でのあらゆる武器の特性についてのあまりにも詳細なディテールが述べられることが多い。だが、機密情報収集は、数枚の特殊な使用をするカードやイベントテーブルにまとめられてしまっているだろう。

私が大学院にいた頃、C.A. ベイリ(C.A. Bayly)という名の歴史家による著作と出会った。彼は、個人的には、私が歴史や政策の概要について知っていて理解していたことと、そういった政策により影響を受けた人々による手紙、報告書、考え、感情とを結びつけることができた珍しい歴史家であった。通常、優れた学術的な歴史家であっても、苦労して数個の小さな関係性をつなげるだけだ。ベイリの著作を読むことで、目がくらむ思いを抱き、明快なものとなる。それはまるで、広角撮影と近接撮影を同時に見るかのようなものだった。

ベイリにとっては、諜報は権力の執行と投影の中心だった。どのようにイギリスがインドで活動したかを知りたければ、「Empire and Information: Intelligence Gathering and Social Communication in India(※帝国と情報:インドにおける機密情報収集と社会的コミュニケーション)」を読まなければならない。これ以上はやめにしよう。

ベイリの業績が際立っているもう1つの点は、それがいかに広範囲で学際的であるかというところだ。彼が行っていた主張は、イギリスの行動を切り離して考えなかった場合にのみ焦点が当たるものだった。私が初めてインドの藩王国間に存在した複雑な関係性を垣間見たのはベイリの著作からだった。アフガニスタンに目を向けて、「Sirāj al-tawārīkh」(※アフガニスタンの王子で後にアミールとなったHabib Allah Khanが王室の側近であったFayz Muhammad Khanに公式の国史として委託したものとのこと、直訳は「歴史の灯火」(Lamp of History))を読んでいたら、どのように政府が活動していたかについて明確な関係性があった。いくつかの大きな洞察が一斉に起こったのだった。

まず、諜報員の管理が軍事的な実力行使の論理に従わないというのが明確だった。プレイヤーは、軍隊のように命令することができるのと同じようには、密偵を移動させることはできない。諜報員との距離が彼らに価値をもたらすのである。たまたま幸運なことに、このことは私の「Pax Pamir」のデザイン方法と共鳴するものだった。ゲームボード上には、動き回って戦闘するなどをする駒があった。しかし、軍隊は、それ単独で戦闘することはできなかった。戦闘は、個人のカード列にあるカードによって引き起こされる必要があった。このような形で、軍事行動の可能性は、軍事的なリソースと切り離されることとなった。

こうすることで、私は、密偵がゲームボード上にいるべきではなく、その代わりに各プレイヤーの個人的なカード列にいるべきであるという考えに至った。そんなふうに、密偵は、プレイヤーが行うことができるアクションの種類を大混乱に陥れるために送られるようになった。密偵は軍隊を殲滅させることはできないが、移動したり攻撃するのを妨げることができる。これを促進させるために、タブローがつながっていて、プレイヤーは時計回り又は反時計回りでそのプレイエリア(※タブロー)中を密偵に移動させることができるというのを思い描いた。こうすることで、私は、密偵には指示者からある程度の距離があるという感覚をプレイヤーに抱かせるために、もう1つのより大雑把な地理をゲームに入れ込むことができるようになった。もし、プレイヤーがカブールからパンジャブに密偵を移動させたいと思ったとしたら、義務ややり残した事項を処理するために、まずはヘラートに向かわなければならないと判明するなんてことがあり得る。論理の欠如がここのポイントだ。

クレジット: Cole Wehrle

このことの多くが、「パックス・パミール:第2版」で維持されてデベロップが加えられている。密偵は基本的に同じように移動する。それに、密偵は忠誠による報奨を得たり、忠誠度の変化を引き起こしたりするためにカードを裏切る。しかし、初版の熟練したプレイヤーの中では、諜報カードはゲーム内で簡単に最も強力なカードとなった。その理由は、初版の出版直前になって私が初版のルールに追加したちょったしたルールがあるからだった。このゲームの初版では、密偵には密告者としての機能があり、戦略的な価値がある特定のカードの上に居座って影響力を生み出すことができた。このルールの当初の意図は、自分のカードが敵の密偵により情報流出がされるようになり、そうでなければ自分に与えられることとなっていた影響力点を無効化することにあった。これは実際にやってみると、ほとんどの場面でうまく機能した。特定の盤面では、プレイヤーは、自分の影響力のポートフォリオを調整しようとして、スパイをあちこち移動させるのに全ての時間を費やすこととなった。こうしてしまうと、自分自身の同盟についてプレイヤーの関与が減少してしまい、本当に奇妙なゲームの物語が生み出されてしまった。これにより、プレイヤーは、適切な場所に十分な数の密偵がいる場合には、基本的に忠誠(の対象)を変更することを防ぐことができるようになった。密偵が重要であって欲しかったが、影響力を生み出す彼らの能力は、忠誠をめぐるこのゲームの中心的なドラマの多くを吸い取ってしまっていた。

ありがたいことに、それでも、このゲームは奇妙なバランスをもってしてもうまく機能した。けど、「Pax Pamir: Khyber Knives」のデベロップ中やその後にこのゲームをプレイすると、うまく調整する重要な機会を見逃したと考えざるを得なかった。

「パックス・パミール:第2版」の作業に取り掛かった際に、最優先事項の1つとして掲げたのは、4つの権力のモード(※スートのこと)のバランスを適切にすることだった。テーマ的な理由で取り入れたものと、ゲームの盤面を透明化するのに資するために取り得れたものの双方の重要なルールを取り除く必要があることは明らかだった。しかし、これは、初版のプレイヤーが歓迎してくれた変更ではなかった。実際には、勝利点以上に、みんなが文句をつける傾向にあった調整の1つだった。たとえ、調整する論理を理解していた場合であったとしても、プレイヤーは、敵の愛国者を探るために自分の密偵を踊り回すのを怠ったのだった。

けど、こういうプレイヤーは、このシステムの重要な利点を見逃していた。新しいシステムに自分の戦略を調整すればすぐに、なお踊りは発生したし、それは有機的な関連性をもったものだった(organic)。この新版では、忠誠がより一層重要なものとなった。そして、密偵は、適時の裏切りを演出することで外交的な柔軟性を実現した。1つの同盟に固執することでもゲームに勝利することは十分可能だけれども、柔軟性を維持できることは重要な利点であり、密偵はこれを実現する重要な要素となった。

軍隊に兵站支援を提供することができるといった諜報の他の利点の多くは、密偵がカードを人質にとることができることによる更に柔軟なシステムの中に組み込まれた。このシステムは、司教がホストのカードを沈黙させることができるという「Pax Renaissance」の宗教システムから適用させたものだった。「パックス・パミール:第2版」については、私は、基本的に部族が賄賂を要求するという形を密偵にまで広げるというもっと解像度の高い手法を選択した。プレイヤーカード上に最も多くの密偵がいる場合には、密偵が特別アクションを使用するために賄賂を支払わなければならない。それゆえ、密偵は、本質的に敵のカードを無力化して劇的な逆転を可能とする。

クレジット: Cole Wehrle

私は、密偵が配備される方法も変更した。旧版では、諜報カードをプレイしたら、新しい密偵がプレイされたカードの上に配備された。これはうまく機能したが、プレイヤー人数が多いゲームで変な問題を生み出してしまった。プレイヤーは、密偵を2人送り込むペルシアの諜報カードをプレイすることができた。しかし、既にプレイされているカードの枚数のせいで、密偵がテーブルの反対側にあるペルシアのカードからあり得ない距離の場所に置かれる可能性がある。初版では密偵は非常に強力だったために、これは必要なバランス調整だと考えていた。しかし、奇妙なプレイヤー数に基づく力学を生み出していた。今では、密偵は少しは弱まったので、現在プレイされている場所のどのカードの上にも密偵を置くことができる新しいルールを導入することができた。こうすることでマップは小さくなり、優れた情報収集活動が誰かのタブローにかけることができるプレッシャーを増加させることができた。

また、プレイヤーがもっと地理的な正確性をもってプレイさせることができるようにもなった。一、二個の地域のみを中心とする権力基盤を築くことには多くの利点があった。これにより、プレイヤーの位置におけるより一層の場所に対する特別な感覚を生み出すことができた。これは、プレイヤーが自分のタブローのカードから少し切り離されたように感じることが多いPaxシリーズ全般において歓迎すべき追加要素だと思う。

また、私は、蜜月(Honeymoon)システムという各優勢判定後にゲームが部分的にリセットされる要素を用いてこういったつながりを強調しようともした。もちろん、これは全く別の話であり、次の投稿の主題になる可能性が高いね。

その4:はるか昔、遠い彼方で

「Pax Pamir」は、多くのプレイヤーが19世紀初頭のアフガニスタンに初めて触れることとなる可能性が最も高いゲームだ。私はこの事実を痛感している。心から正直に話すと、この考えが絶えず頭によぎるんだ。私がこのゲームの初版を制作していた際には、ちょっとした歴史的事実や人物をあらゆるところに詰め込もうとしていた。カードのリストは、その時代、その場所の簡略化された名士録となっていた。時に発音困難な名前や外国の制度によってプレイヤーを圧倒していたかどうかなんて考えもしなかった。いいや、私があの小さい箱の中にできる限り多くの情報を入れ込むことが重要だったのだ。

このゲームが出版されてから、私は、没入感やプレイヤーを別の場所と時代に引き込む方法について多くのことを学んできた。私が自分の作品に曖昧な主題を選びがちということがあって、作品を発表するたびに多くの研鑽を積んだ分野であった。今では、「Pax Pamir」を改めて見返すと、プレイヤーに対するゲームの見せ方について私が犯した初歩的な過ちが多くみられる。

今回は、私がテーマについてどのように考えているかを少し話したいと思う。その上で、「パックス・パミール:第2版」において、どのようにしてゲームの舞台をより親しみやすくしようとしているかについて話そうと思う。最初に、前回のデザイナー・ダイアリーを読み終えたばかりの人たちのために注記しておくと、蜜月システムの採用について触れることとなるが、この記事の少し後のほうで話すこととなる。いいね、本題に移ろう。

私にとってテーマは、ゲーム内の2つのレベルで影響がある。まず、美的なレベルがある。ゲーム内にどんな種類のアートが取り上げられるのか? ゲームそのものをどのように見せるのか? このゲームが試みようとしているストーリーテリングに素材それ自体が役立つようにする。「トワイライト・インペリウム:第4版」において、どうしてプレイヤーボードが少し宇宙船のデッキ上にあるスクリーンのように見えるかについて考えてみよう。そのボード上のヘックスタイルは、自分のゲーム内のアバターが参照している姿を想像することができるような天体図のように見える。ほぼ全てのレベルにおいてグラフィックデザインは没入できるものとなっている。これは、Fantasy Flight Gamesが本当にうまくやり遂げた部分だと思う。

クレジット: Ashley Grenon
Gen Con 50で披露されたFantasy Flightブースでの「トワイライト・インペリウム:第4版」

今後の投稿において、「パックス・パミール:第2版」のコンポーネント的な熱意についてはお話しするだろう。しかし、差し当たり言いたいことは、コンポーネントは重要だけれども、それだけでは限界があるだろうということだ。的確なテーマの統合という最も重要な要素はデザインのレベルで生ずるものだ。

個人的な考えだが、このテーマのデザインへの統合というのは、要するに、できる限りゲームの意思決定空間を表現豊かにするということだ。"補給が不足するため、自分のユニットの1つを後列に移動させる"ってイベントカードは要らない(Commands and Colorsシリーズには申し訳ないけど)。そうではなく、自分の敵が補給線を断ってきた場合に、単純だが表現豊かなシステムに従った有機的な関連性を有する形で自分の軍隊が崩壊していくこととなるような、デザインに組み込まれた補給システムが必要だ。ここで私が"表現豊かな"という言葉を使いたいのは、アクションがその文脈によって様々な意味を有することができるシステムを作ろうとしているからだ。1つのアクションで広い範囲の物事を伝えることができる。プレイヤーには自分のプレイを通じて語ってほしいと思っているし、物語を動かす1人であってほしいと考えている。私は簡略化した物語とならないようにしている。全ての設定に箱庭を与えるのがふさわしい。

つまり、デザインに関していうと、私の高校時代の英語教師であったHouser先生のライティングに関するアドバイスに従おうとしている。それは、名詞は具体的なものを、動詞は力強いものをということだ。

これは多くの"テーマ性のある"又は"アメリトラッシュ"ゲームが失敗する分野だと思う。デザインをわかりやすくしようとして急ぐあまり、デベロップ担当やデザイナーは、本当に面白い(そして、そう表現豊かな)システムから可能性を抜き取ってしまい、その代わりに、イベントカードのようなものの中にこうしたテーマ的要素を隠そうとしてしまう。さて、デザインにおいてランダム化されたイベントカードを用いることには良い形と悪い形がある。けど、ほとんどのイベントカードは、「Mad Lib」(※おそらくリンク先にある穴埋め形式のワードゲームのこと。名称の由来はmadとad libから)と同じくらいの印象的な力で私の心を打つのである。

コンポーネント的/デザイン的にゲームのテーマの要素を本当にうまく表現しているゲームの1つは、「Ortus Regni」であると思う。デザイナーとしてもプロデューサーとしても私がするであろうとは決断とは異なる決断がされているけれども、徹底的にこのゲームを称賛するよ。数年前にこのデザインについてレビューを書いたほどだ。このゲームに関して卓越していると考えるところは、コンポーネントの製造と実際のデザインの双方が、プレイヤーに対して、プレイすることとなる広範な空間を与えようとしている方法にある。その目的の優先順位の関係でゲームの一部を無視する場合であっても、真剣にその主題に取り組んでいるゲームである。そのビジョンに向けた関与について賞賛すべき点は多くあると思う。

クレジット: Doctor Meeple
木製トレイ

じゃあ、「Pax Pamir」について話そう。

デザインに関していうと、私は初版のデザインにかなり満足していた。しかし、先ほどお話しした表現の豊かさを生み出すために、そのデザインに組み込まれていたちょっとしたクローム的な要素にやや依存しすぎていた。「パックス・パミール:第2版」ではこれをかなり修正したと思う。最初に書いた2つのデザイナー・ダイアリーにおいて、こうした決断について既に書いたことから、詳細については踏み込まないことにしたい。

だが、デザインがその時代の多くのことを的確に捉えているけれども、「Pax Pamir」をいくばくか特別のものとしていた数個の要素を台無しにしていたとも思う。冒頭で言及したとおり、「Pax Pamir」はほとんどの人が知らない時代と場所をテーマとしたゲームだ。私はこの知識格差を解消しようとしてこのゲームをテーマに満ちたものにした。けど、プレイヤーを没入させるどころか、圧倒してしまったのだった。

このゲームが発売された年に、私は何十人もの人にルール説明をして、多くの人がこのゲームにつまずくのを見た。主要な原因として注意力の問題があった。プレイヤーは、あまり多くの事柄に集中することはできない。それに、新規プレイヤーはルールと戦略に多く集中してしまい、テーマについては集中してくれないこととなる。ゲームは、エルフをエルフとして取り扱い、ナチスはナチスとして取り扱うと確実に信頼できる空間において大抵はプレイされるので、通常、こういったことは問題とはならない。これは「Pax Pamir」ではあまり適用されるものではない。プレイヤーはゲームの戦略的なニュアンスを探るのに注力するので、このゲームの入念で具体的な設定というのは単なるホワイトノイズになってしまった。ある発音しにくい名前は、別の発音しにくい名前とほとんど同じようなものとなっていたのだ。

私が「Pax Pamir: Khyber Knives」のデベロップをしていた際に、この問題に対処するための戦略を思いついた。拡張で、デックを薄める大量の新規カードをこのゲームに導入するというものだ。プレイヤーにテーマ的なよりどころ(anchors, ※原義はいかり)をもたらすこれらの新規カードの名前を曖昧なものにすることによって、この戦略に気づいたんだ。そういうことで、具体的な監獄は単に"地下牢"となった。さもなければ、具体的な亡命したドゥッラーニー朝の貴族の支援は単に"古来の血統の要求"となった。

コンボの一例
クレジット: Cole Wehrle

悲しいことに、この選択は第2版の検討の俎上に一切上がらなかったんだ。デックを膨らませることはゲームの安定性とリプレイ性に別の帰結をもたらすし、初版のデックの量に近くなるように戻したかった。しかし、私が気にいった「Pax Pamir: Khyber Knives」の全ての内容は第2版のデックに直接組み込んだ。その内容を中心的なデックに組み込むことは問題ではなかったが、より多くの機能を果たしていたカードが減ることとなったため、プレイヤーに対してテーマ的なよりどころをもたらす能力を失うこととなった。

この問題に対応する中で、私は2つの戦略を採用した。まず、そしておそらく最優先にしたであろうこととして、イラストをより大きく、人々の記述をより詳細にして、カードを通じてその個性を輝かせるようにした。ほかの戦術は、国家建設バリアントを標準ルールに昇格させることで可能となった。

長い間、私は「Pax  Pamir」をプレイする最高の方法として国家建設を好んでいた。基本的に、この(※国家建設バリアントを採用した)ゲームは、1回の突然死の争いではなくなり、最大4回の優勢判定で展開される。これにより、適切な世代の幅を有するドラマがもたらされた。また、一部の人が好むかもしれないプレイ時間よりも、ゲームが少し長くなってしまった。第2版では色々と時間を短くしているけれども、最終的に、1時間程度で2回の優勢判定を行うゲームをプレイしたい人のために、ショートゲームのバリアントを導入することとなるかもしれない。

その仕組みは次のようになる。基本的に、(優勢判定と呼ばれる)得点カードが場に出た際に、どの同盟が優勢となっていて、その優勢判定の結果に応じた得点を獲得するかどうかを確認する。そして、盤面がリセットされるようにゲームボードを完全にクリアにする。優勢判定が成功しなかった場合には、プレイヤーのタブローはそのままとなり、重荷と化す。優勢判定が成功した場合には、タブローにあるカードを全て手札に戻して、またこれらのカードがプレイできるようになる。

このルールで「Pax Pamir」をプレイしたら、プレイヤーがタブローにあるカードを識別し始めたことに気づいた。最初の手番に購入されたカードは、ゲーム全体で数回プレイされる可能性がある。優勢判定が失敗し、タブローのカードが卓上に"囚われている"場合には、プレイヤーは、どのカードが自分にとってより意味のあるものかについて厳しい決断をしなければならなかった。そして、ますますプレイヤーがカードを見るたびに、フレーバーテキストを読み、カードの人物名を自分のものとし、そして一般的に、このゲームのテーマが何かについて注意を払う時間が増えていった。

今では、この得点システムの採用が納得するようになるにはテーマ的な理由では十分ではなくなった。ありがたいことに、この決断に至った際に、このゲームのデザインにとって大きな利点があった。この中でも最大の利点は、国家建設バリアントが極端な逆転を促進し、裏切りが突如として可能となったということだった。これにより、旧版の(政治体制に基づく)勝利条件を断念したことで失われた多くのメカニクスを改めて導入することとなった。

勝利システムのデベロップは、多くの形でより広範な第2版のデベロップに反映されている。アクションシステムの見直しと同じく、メカニクス的な解決策もゲームの物語的な要素を引き締めたのであった。一つの不正(fix)が別の不正を招き、そして、願わくば、このゲームのテーマから距離を置いたままのプレイヤーが、自分のプレイによって生み出された物語の中で新しい切迫感を見出してほしい。

クレジット: Cole Wehrle

その5:箱を組み上げる

ゲームや長い文章のような大きいプロジェクトに取り組んでいると、普通は、自分が最終的にそのプロジェクトのあらゆる要素をまとめ上げることとなる。とりわけ自分が何でもかんでも制御したい人間だとは思わないし、私は他者と仕事をするのが好きである。しかし、大きい仕事に関していえば、通常、最後に"提出"ボタンを押すのは自分になる。ある程度は、このことは、私の能力がプロセスの中で役に立つところが一因となっている。私は、レイアウトやデザインの作業を行うことが多い。これもちょっとした偶然だった。それを学び始めたのは、自分のワークフローを他人に依存させたくはなかったというのが主な理由だ。それに、まあ、1回のグラフィックデザインの依頼が別の依頼を呼ぶってのもある。今のところ、私は自分がデザインした全てのゲームにおけるグラフィックデザイン全てを手掛けている。そして、私の次の大きなプロジェクトに着手する準備が整った際には、このことが当てはまったままであると考えている。

この5年間を振り返ってみると、1つだけ、このルールの大きな例外がある。初版の「Pax Pamir」の箱絵である。あの箱絵は少し不幸な出来事であった。このプロジェクトを終える際に、Philと私は残りのマーケティングの作業を分担した。当初は、Philがルールのグラフィックデザインを行う予定だったが、彼は時間に追われていて「Greenland」で忙しかったので、彼は私にレイアウト作業を引き継いでくれないかとお願いしてきたんだ。私は、彼の作業負担が楽になると喜ぶと考えて、ゲームの箱絵も作業しようかどうかと尋ねたが、彼は私に気にするなと断言したのだった。正直な話、私は少し呆気にとられてしまった。私は、自分の最初のゲームの箱絵を試してみたかった。そう思いつつ、私は新人デザイナーであったし、彼は出版側であった。彼は、既に私にあり得ないほどの信頼を寄せてくれてたのだった。箱の1つ、私にとってそれほど重要ではなかった。

初版の箱絵に関しては、Philは、ジョン・テニエルの有名な第二次アングロ・アフガン戦争に関する政治的風刺画である「Save me from my Friends!(※友人から私を救ってくれ!)」を選んだ。一見すると、これは見事な選択であった。今日のプレイヤーは「不思議の国のアリス」の挿絵という仕事で彼を知っているだろうが、当時、彼は広く増刷されていた漫画家で、国内外のありとあらゆる問題についての漫画を出版していた。そのイラストの上に、Philは、ゲーム中に描かれている異なる帝国を表す3つの色を配色した。ゲームの政治システムである押し引きをうまく捉えたシンプルで効果的な箱絵だった。

2015年10月に発売される「Pax Pamir」の箱絵
クレジット: Phil Eklund

まず指摘すると、この箱絵は時代を誤ったものだった(anachronistic)。「Pax Pamir」は、カードリストには1808年から1860年までの範囲に広がる外れ値があるものの、1823年から1845年までという非常に限定した時代を舞台にしていた。テニエルの政治的風刺画は1878年に発表されたものだ。これは些細な違いのように思われるかもしれないが、第一次アングロ・アフガン戦争と第二次アングロ・アフガン戦争は、その順々に起きたかのような名称であるにもかかわらず、全く異なる2つの出来事であった。これは、第一次世界大戦のゲームを宣伝するのにベトナム戦争に関する漫画を使うのと少し似ている。

もう1つの問題もあった。ゲームの箱絵は立場を伝える必要があると思う。そして、「Pax Pamir」の初版の箱絵はただそれをしていなかった。3人用のウォーゲーム又は3人用の政治ゲームのように見えた。

当時、私はあまり箱絵に気にかけてなかった。Philが出版前に箱絵を見せてくれたのは間違いなくて、私が心からその箱絵を承認した可能性が高い。自分の初作品が出版されることはわくわくすることで、箱絵(あるいは大英帝国に関する場違いなエッセイ)のようなものを見過ごすのはありがちなことだ。それに、私ならもっとうまいものができたとは思えない。当時、私が製作していた「Pax Pamir」の箱絵は、私が見つけてきたいくつかの当時のアートに不慣れなPhotoshopで約1時間かけて加工した非常に露骨な混ぜ物(mash up)だった。

クレジット: Cole Wehrle

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(※「Pax Pamir: Khyber Knives」の)箱絵
クレジット: Cole Wehrle

ひどくはないが、少し露骨である。アフガニスタンの要塞の上にイギリスとロシアの国旗が互いに衝突している。全体的なデザインはそこそこだけれども、この箱絵に関しては、今見るとすくみあがってしまうことが100個はある。「Pax Pamir: Khyber Knives」の作業が安定してくると、私は箱絵にもう一度挑戦することとした。この時点で、私はIllustratorを学んでいたし、さまざまなレイアウトを試していたんだ。

手短にするが、「John Company」の形式の横長の箱に入った「Pax Pamir」の2刷目の話があった。その考えに魅了されて、私は早急に別の箱絵を準備したんだ。

クレジット: Cole Wehrle

この箱絵は、基本的にPhilの当初のコンセプトに私のアレンジを加えたものだ。帝国の色は、このゲームの最も重要なアイコンと共に表現されていた。空の代わりに、カブール近郊のエリアの地形測量を背景に、色のついた"山"を置いた。

この時点では、箱絵の制作は単なる趣味であった。新しいゲームのために素材を集める時はいつでも、このプロジェクトでテンションを上げるためにコンセプトイメージを大まかに描く。グラフィックデザイン全般を学ぶのには恰好の練習であったが、実際に誰かがその技能を向上させるのに役立つような種類の制約には欠けたものであった。いずれにせよ、実際に箱絵は何をする必要があるのだろうか。結局のところ、私は、出版に向けて箱絵をデザインしようとする者というよりかはバンドのロゴをいたずら書きしてるガキのようだった。

ここで、少しかいつまんで話そう。「Pax Pamir」(といくつかのゲーム)の箱絵を作っていた頃、私の生活は非常に忙しくなった。ゲームの作業をし続けていたし、家には多大な時間のかかるよちよち歩きの幼児がいて、仕事でいくつかの骨の折れる調査プロジェクトを抱えていた。ゲームに費やす時間は、更に硬直した仕組みという様相となった。私は、今までタスク管理アプリやto-doリストを使うような類の人間ではなかったが、今ではそれなしには生きていけなくなってしまった。切迫感や実用性が私のグラフィックデザインに反映されるようになった。そして、私のゲームデザインとグラフィックデザインの両方ともそれゆえに格段に良いものとなった。

ゲームの箱は、巧妙な並置(juxtaposition)、イカした記録の発見、グラフィック的なテクニックを展示するかっこいいポスターなだけではダメだ。箱に配置する本物の需要があった。Tom Russell(※現在のAmabel Holland)が私に「An Infamous Traffic」の箱絵を依頼したときは、彼が探し求めていた種類の箱絵に関するテンプレートとかなり具体的な指示があった。「John Company」の箱絵のデザインに着手した時は、大まかなデザインはあったが、ゲームの見た目に関するほぼ全てのことは、PhilとSierra Madre Gameのビジネスモデルによって与えられていた形式上の要素が反映された。「ルート ~はるけき森のどうぶつ戦記~」の箱に関する私の作業は最小限だったけれども(Kyleがイラストで、Nick Brachmannがグラフィックデザインを行なった)、その箱絵も、Patrick LederとKyle Ferrinが「Vast: The Crystal Caverns」で培ったその会社のスタイルが大きく反映していた。

今まで話してきたこと全ては、次のことを言うための長い道のりである。つまり、重要なことは、「パックス・パミール:第2版」は、プロダクトデザイナーとしての私の最初のプロジェクトである。「パックス・パミール:第2版」の箱に反映させる核心というのは単純なものではなかった。つまり、どうしたら特定の形式上の要素の見栄えを良くすることができるのかという話ではなくて、ゲームの箱はどのようにあるべきかという話だった。

まずあるとしたら、大きすぎる箱は望まなかった。私は巨大な箱を嫌悪している。過去10年間の大部分を小さなアパートで暮らし、最重要の移動手段として自転車に頼り切っていると、コンポーネントのための十分なスペースが収納できる小さい箱を高く評価していた。同時に、大きい箱にするという逆の方向性ではエラーが多すぎる可能性があるように感じた。Philの素敵な小さな箱のゲームには強いパンチ(a huge punch)があったが、セットアップや片付けが大変になる可能性がある。それに、デザインそれ自体に対して惜しみない形でゲームを表現するだけの十分な空間があれば、素晴らしいゲームデザインとプレイしやすさの仕事の多くが実現するだろう。

私が称賛する形式的な要素を1つ挙げるとすれば、おそらく古典的なAvalon Hillサイズの箱になった。GMT Gamesのブックケースサイズのゲームよりも少しずんぐりしているが、Avalon Hillの箱は簡単に横にして置くことができ、カウンタートレイを置くのに十分な深さがある。大型のプレイヤーエイド、備え付けのゲームボード、(普通であれば)ページ数をけちることがない充実したルールブックを入れるのに十分な大きさだ。Drewと私が新しいゲームを世に送り出すのであれば、私はこの例に倣いたいと思っていた。ゲームの箱はゲームのための十分なスペースがあるだけでなく、ゲームが必要な姿を取るべきのに十分な大きさでもなければならない。

次に、私たちはたくさんの寸法を測った。レジン駒用のカウンタートレイの大きさ正確な把握し、このゲームに他の駒のための本格的なインサートが必要かどうかを考えた(要らないということになった。)。

重要な検討事項はこのゲームの布製マットだった。布製マットは大きなボードを小さなスペースに詰め込む優れた方法だったが、「Pax Pamir」については布製マットが折りたたむ必要がないように確実にしたかった。こうすると、布製マットは箱自体よりも長いものにはできなかったこととなる。また、布製マットがつぶれないようにするために縦にも横にも収納されるように箱を区切る必要もあった。基本的なデザインはこんなふうになった。

クレジット: Cole Wehrle

これはかなり良い出発点だと判明した。私の見積もりの多くは誤っていたが、Panda(私たちの製造工場)のチームと作業して、290x230x50mmという正式な箱のサイズにたどり着いた。レターサイズの紙よりもほんの少し大きくて厚さは2インチだ。私はテンプレートを描いて箱絵の作業に着手した。

この時点で、Drewと私は数か月間箱絵に取り組んでいたこととなる。私たちには3つの基本的な選択肢があった。私たちには、ゲームのアートには用いなかった大量の歴史的イラストを使うことができた。こうすることで、典型的な現代ウォーゲームのプロダクトデザインに見られるものを作ることとなるだろう(GMT GamesにおけるRodger B. MacGowanの仕事を参照)。(Philの最近のゲームのように)自分たち自身のアート作品を使用することができる。さもなければ、もっと抽象的なものを試してみる。1つの選択肢に決めるよりも、それぞれの選択肢を追求してどの選択肢がこのゲームに最も合うかをみることとした。

このプロセスの最初のステップは、このゲームがどんなものであるかを考慮することだった。こんなようなプロジェクトに参加する際は、自分のデザインが完全にユニークでカテゴリに属さないものであると安易に想像してしまう。ちょっとしたことが非常に役立ち得る(A little distance can go a long way)。はっきりと言えば、「Pax Pamir」は政治に関するゲームであり、戦争に関するゲームである。プレイヤーはお互いに苦闘し、その苦闘は真剣に表現される。このゲームは馬鹿らしいものにもなる可能性があるが(私がプレイしたゲームのほとんどはそうだ。)、通常、その馬鹿馬鹿しさは不条理な運命の思わぬ展開と悲劇的な失敗となる計画の形を取る。「Pax Pamir」は、西洋のゲーマーの大多数にとって非常に馴染みのない特定の場所と時代に関するゲームでもある。そうだ、このことに関する研究に私の専門家としての生活の数年間を費やした後であっても、いまだに私にとっても異質な場所である。こうした理由で、このゲームはそれ自体を真剣に表現し、教育的ツールとしても提示すべきである。

私たちは、ゲーム全体のビジュアル的な表現についても検討した。一般論として、ウォーゲームは少し美的に決まりきった型にはまり込んでると思う。そこで、「パックス・パミール:第2版」においては、伝統的なムガールのゲームのスタイルをまとわせたものとして提示することでいろいろなことを再構成したいと考えた。抽象化はゲームデザインの重要な部分である。そして、「パチーシ」や「チェス」(どちらもインド由来のゲームで、当時、その地域やペルシア各地で広くプレイされていた)といった伝統ゲームに見られる非典型的なコンポーネントデザインの伝統に取り組みたいと思った。

クレジット: Cole Wehrle

マップや駒は、西洋美術が大半を占めるカードのデザインとの対比の役割を果たすだろう。ここでは、このゲームのカードの多くに描かれていたイラストについて長く書いてきた。しかし、この作品の目的に向かって、実質的にこのゲーム内の全てのカードにはユニークで、時代に沿ったイメージがあることは留意すべきだった。こうした素晴らしいイラストを引き立たせるために、初版と似たような質感の紙をカードに用いることとした。カード単体を取り出した際には、カードデザインは非常に満足のいくものだったが、全てのコンポーネントを卓上に広げると(dump)、薄茶色の色合いが支配的となる。一般論として、ゲームデザインに関していえば、これは良いことだ。薄茶色の紙の質感は簡単にコントラストを出せるし、その色が目を引くのに資する効果がある。しかし、プロダクトデザインの観点からは、かなり早い段階から、いろいろな要素を混ぜこぜにした箱絵にしたいということがわかっていた。

当初、私の計画は、19世紀後半のアフガニスタンの本扉を模倣したものにするというものだった。しかし、全てが1つに統合されるのを見て、考え直すこととなった。デザインそれ自体が心を打つものでなかったとしても、コンポーネントと調和したものにはしたくなかった。

この手法には別の問題もあった。私が既存のメディアを模倣するだけでは落ち着かなくなっていったのだ。「Pax Pamir」はゲームである。書籍のような見た目にはしたくなかった。


ここで、このゲームの一般的なグラフィックデザインの話に戻るべきだろう。「Pax Pamir」のカードの制作に着手した当初、私はスキュアモーフィック(skeuomorphic, ※異なる素材により質感を模したというのが原義)なデザイン要素に大きく依存していた。スキュアモーフィックとは、昔の物体を真似るために作成されたデザインの装飾のことである。今日ではこういったデザインがいたるところで使用されている。例えば、多くのプログラムにおいて"保存"アイコンが3.5インチのフロッピーディスクとなっていることを考えてみるといい。さもなければ、みんなのデジタルカレンダーは紙のカレンダーに似せて作られている。スキュアモーフィックは、それ以上に些細な機能も果たし得る。ほとんどのプログラム上のベベル(bevels)は、私たちのユーザインターフェースに物理的な特徴をもった外観(※立体感)をもたらしている。

ボードゲームは、そのユーザインターフェースとムードの構築のために、こういった種類のデザインテクニックを多く用いている。これは悪いことではない。同時に、私は、これが軽率に行われることが多いと思うし、まずい形で古びると思う。物事を年代物や写実的に見えるようにしようとするときは、特にそうだ。「Pax Pamir」の初版は、この種のものに満ちていた。スートは、封蝋に見えるように作成された。初期のバージョンのカードには各カードの場所があったが、カード上にたまたま用意されていた"別の"紙に印刷されていた(※訳に自信がないので原文を参照されたい。)。

「パックス・パミール:第2版」においては、あまりにも物真似に接近しすぎないように試みつつ、当時の素材を少し想起させる中間的な方策を見つけようとした。ゲームのデベロップが大体半分まで進んだ際に、初期の構想にあったベベルのアイコンを放棄して、セミフラットのスタイルを採用した。多くの駒の輪郭には、手描きの美しさをそれとなく示すためにむらのある短い線を加えたが、過度に強調したくはなかった。視覚的に紛れないようにするために(For visual separation)、最終的なアクションアイコンは別のアーティスト(素晴らしいAbol Bahadori)による木版画のスタイルで作成された。

クレジット: Cole Wehrle

箱絵を手がけている際に、初版のカードに反映されてしまった同じ罠にはまり始めていることに気づいた。このゲームの箱絵をそうじゃないもののようにしようとするために懸命になりすぎていた。そこで、私は基本に立ち返った。実用性はこのゲームの箱のサイズに反映された。箱絵にも実用性を反映させたかった。箱絵には何をすべきなのだろうか。

1つは、箱絵はこのゲームを識別できるものでなければならなかった。「パックス・パミール:第2版」は、小売店では最小限の存在感しかないだろう。だから、店の棚で目立たせることに関してはあまり心配してなかった。だが、私は、このゲームの所有者の棚で目立つようにしたかったんだ。みんなの目につくように表示された作品名があることは良い出発点のように思えた。また、箱絵に大量の歴史的アートや1枚の大きな作品を取り入れたくはなかった。「Pax Pamir」はゲームであり、美術館のガイドではない。

私は、着想を得るために、当時の書籍の表紙、ペルシアのカリグラフィー(calligraphy)の作品、リトグラフ、新しいゲームの箱や古いゲームの箱を含む素材を再び収集した。こうした品々を用いて、私たちは基本的な計画を考えついた。それは、ペルシアのカリグラフィーの作品(「Of the War Between Kabul and Kandahar」(※カブールとカンダハルとの間の戦争について」)という当時の重要な歴史書からのテキストを添えて)で、ビクトリア時代のスタイルの手書きの文字のスタイルと対立させるというものだった。これが全体的に統一されたデザイン要素となるだろう。箱のある面には伝統的な"ブックケースの背"があり、Avalon Hillや3Mのブックケースゲームを思い起こさせる。このゲームの箱の裏側は、コンポーネントの写真、アート、物語的な紹介を備えたもっと伝統的なゲームの箱のように見える。

箱裏
クレジット: Cole Wehrle

念頭に入れる方向性に沿って、兄と私はこの仕事に取り組むことができるカリグラフィーを作成する人(calligrapher, ※カリグラファー、書道家)をくまなく探し回った。これは困難なプロセスだったし、見込みのある短いリストを用意するために世界中の大学の人たちに連絡をとり続ける地味な作業を約1か月行った。私の連絡を受けて、最終的にこの仕事に非常に適したカリグラファーであるJosh Bererとの連絡を仲介してくれた人たち(一部の支援者も含む。)全員に深く感謝しているよ。

早い段階で、最終的なデザインがいくぶん凝ったものになることはかなり明白だった。こうした理由で、単一の色で統一された輝度が弱いデザインがこの作品の良さを最も引き出すだろうとなった。適切な色の対比を確立するには、非常に明るくするか、非常に暗くする必要があった。何個か試しに作ったら、明るめの色ではこのゲームのシリアスさを伝えられないということが明らかだった。そういうことで、私たちは暗めの色調に合わせることとなった。最終的に、統一的な色として紫色に落ち着くこととなった。こうしたのはいくつかの理由があった。「Pax Pamir」は究極的には政治に関するゲームであり、このゲームにおける政治スートは紫色である。紫色はこの地域における政治的秩序と長い関わり合いがある。これはほとんど、ナーディル・シャー(Nader Shah)によるアフガニスタンの征服と18世紀におけるドゥッラーニー部族連合の権力の確立に由来する名残である。ドゥッラーニーの最後の支配者であったシャー・シュジャー(Shah Sujah)は、頻繁に紫色のローブを着た姿を描かれていた。また、一般的に、ゲームデザインにおいて紫色は有効に活用されていないとも思う(特に、箱絵について)。

「パックス・パミール:第2版」の箱絵
クレジット: Cole Wehrle

当初の計画は、質感を際立たせるスポットUV加工をしたフラットカラーを使い、文字を強調させるというものだった。この箱絵については十分なものであると強く感じて、先行してBGGやKickstarterのアップデートにおいて公開したんだ。その評判は賛否両論だった。かなりの数のゲーマーが非常に否定的な反応を示し、どういうわけか、もっと伝統的な髪の質感のものや、落ち着いた色を好んだ。紫色は、アフガニスタンに関するゲームにとって適切ではないように思われたのだった。

私は、良いものも悪いものも含めて自分の仕事に関して目についた全てのコメントを読むように最善を尽くしている。私は、自分の行うことがもっと良くなってほしいと思っており、私が悪い仕事をしたと思う人たちから意見を聞きたいと思っている。これは大学院時代に残ってしまったマゾヒストな衝動だと思う。とにかく、そういったコメントの全てによって、数晩費やすこととなり、箱絵を作り直して新しいデザインを試した。もっと良いデザインが出てくるのであれば、それを見つけたかった。何十種類もの色の組合せをやり尽くしたが、当初のデザインに戻ってしまうばかりだった。

これはかなり良い兆候だった。私の作品を追っている人たちであれば、上手くいってないと思うことを壊してしまうのに躊躇がないということを知っているだろう。だから、当初のデザインに舞い戻ってくることには意味があった。同時に、完全にこの箱絵を放棄することなく、時代と場所をよりよく伝える方法があるということに気づいた。

このことをいくつかの表現方法で行った。まず、作品名を上に移動させて、Atkinsonのリトグラフから取ってきたヒンドゥークシュ山脈(Hindu Kush mountains)の山頂を入れ込んだ。背景からこの山脈を際立たせるために、その背後に光源を置いた。こうすることで、ある種の箱絵に荒々しい夕焼けの雰囲気がもたらされた(このゲームの主題にふさわしいものだ。)。また、紫色に経年と資格的ノイズを少し与えるようための質感も箱絵に持たせるようにした。最後に、金色の装飾を強調するだけのためにスポットUV加工のパターンを変更することとした。

その結果は、より一層力強い箱絵となったと思う。デザインに関する多くの物事のように、このプロセスに興味のあるコメントや批評がなければ、実現することはなかっただろう。

クレジット: Cole Wehrle
クレジット: Cole Wehrle

追記
このプロジェクトも終わりに近づいていて、これ以上多くのエッセイを計画してない。このゲームの特定の要素について聞いてみたいというのであれば、教えてくれれば、喜んでお話ししよう。私が書こうと計画している1つのことは、このゲームのルールブックのスタイルを決定するプロセスだ。それを除くと、「Pax Pamir」についてもう長文を書くことはないかもしれないが、みんなの質問は喜んで答えるつもりだ。

更に追記
もうすぐBGG上にアップデートされた箱絵をアップロードするつもりだ。けど、製造前のテストが届くのを待っていて、本格的な製造に至る前には(before pulling the trigger)、全てが良く見えるように100%確かめられると思う。

補遺①:文献に関するエッセイ(by Cole Wehrle)

このゲームは、複数の分野における多くの学者の仕事を活用している。以下の段落では、このゲームやテーマに一時的な興味を抱いた人だけでなく、このゲームのコンセプトをもっと深く入り込みたい人に対して、こうした著作を手短にかいつまんで紹介したいと思う。

グレートゲームの初期段階についての最も一般的な歴史は、イギリスとロシアの諜報員を重要人物として扱うというものだ。これは無理もない衝動である。この地域は優秀で創造的な思想家を魅了するが、彼らの影響力を過度に重視すべきではないし、彼らを主軸に置く文章には注意すべきである。好例は、"ヘラートの英雄"というヴィクトリア朝時代の小説によって、その名のとおりのように信じられていたエルドレッド・ポッティンガー(Eldred Pottinger)である。実際に、ヘラートの包囲戦が一人の独創的な西洋人によって戦況が変わった可能性は低いし、アフガニスタンの歴史ではポッティンガーの関与に滅多に触れられることはない。そうしたヴィクトリア朝時代の伝説に係る遺産は、ピーター・ホップカーク(Peter Hopkirk)の「ザ・グレート・ゲーム 内陸アジアをめぐる英露のスパイ合戦(The Great Game)」(1992年)といった優れた著作にもしぶとく残り続けている。ホップカークは、この紛争の最も興味深い人物の魅力的な描写を多く提示している。けれども、ウィリアム・ダルリンプル(William Dalrymple)の「Return of a King: The Battle for Afghanistan(※王の帰還:アフガニスタンのめぐる戦い)」(2012年)といったその時代に関する最近の著作では、より豊富な分析がされている。また、ダルリンプルは、当時のイギリスの政策の矛盾を捉える特別な才能も有している。このテーマに対してより学術的で厳密な取扱いを求める人であれば、M.E. ヤップ(Malcolm Edward Yapp)の著作が有用だろう。彼の著作である「Strategies of British India: Britain, Iran, and Afghanistan(※イギリス領インドの戦略:イギリス、イラン、そしてアフガニスタン)」(1980年)は、このテーマについて影響力の大きいテキストであり続けている。ヤップは、イギリスの外交機構(diplomatic apparatus)の官僚制度的な弱点を深く掘り下げて、インドの北西辺境に関する疑問とその政治に介入することができるイギリスの能力に関する(ロンドンとインドの双方における)利害関係を理解するのに役立つ。

こうした政治を理解することに関していうと、クリスティン・ノエル(Christine Noelle)の「State and Tribe in Nineteenth Century Afghanistan(※19世紀アフガニスタンにおける国家と部族)」(1997年)は、私がアフガニスタンにおける権力と特権の様相を捉えるのにあたって大きく参照した優れたテキストである。ノエルの著作では、ドースト・ムハンマド・ハーン(Dost Muhammad)の支配が成功したのは、権力中枢の融合というマネジメントが理由であると説明している。また、ノエルの著作では、19世紀アフガニスタンにおける経済状況を考慮に入れて、慣習や賄賂の役割や、経済勢力と政治勢力との間の関係性に対して特別の注意を払っている。ノエルの研究のこのような側面の多くは、プレイヤー間の政治的な意図と能力の盛衰を捉えようとする、このゲームの半クローズのキャッシュシステムに反映されている。

このゲームが諜報というリソースを重視しているのはC.A. ベイリ(C.A. Bayly)の権威ある「Empire and Information: Intelligence Gathering and Social Communication in India(※帝国と情報:インドにおける機密情報収集と社会的コミュニケーション)」(2000年)によるところが大きい。ベイリが主張するには、インドにおけるイギリスの成功の大部分が情報をコントロールし、他の政治権力の中枢が一体となっている機密情報の経済に関与する能力と結びついていたとのことだ。その結果、諜報は、このゲームにおいて非常に重要な要素であり、戦略的な柔軟性(手札の数)、軍事的行動の力(タブローの混乱と機密情報)、そして影響力がより大きくなることを可能にした。

このゲームのデザインに着手した当初は、勝利条件から手をつけていたが、実際のところ、2年以上にわたるデベロップにおいて変わることはなかった。帝国と主権に関する一般的な理論は、ジェーン・バーバンクフレデリック・クーパーの「Empires in World History: Power and the Politics of Difference(※世界史における帝国:権力と差異の政治学)」(2011年)に由来する。バーバンクとクーパーは、帝国が実際には覇権的なものではない上、効果的な帝国の運営には伝統的な権力中枢に鋭敏に反応する堅固な社会基盤が必要となることを示唆する。こうした理由で、帝国は、支配体制にかかわらず、最低でも4つの権力様式の中で存在感を示す必要がある。

補遺②:帝国と優位性(by Phil Eklund)

このテーマに関する最も的確な文献は、トマス・ソーウェルの「征服と文化の世界史」である。この本では、"政治的資本"は"弾丸"の婉曲表現と考えられている。放っておいてほしい場合や権力を共有したい場合には、その地域で最も弾丸を保有している者にルピーを与えることとなる。これは経済とはほとんど関係がないものであって、その地域における生産基盤、取引の自由及び労働者の能力のことである。最後の労働者の能力について、ソーウェルは"人的資本"と呼んだ。アフガニスタンにおいては、基本的に人的資本と弾丸しかなかったのだった。

補遺③:イギリスの植民地主義に対する擁護(by Phil Eklund)

悪評もたくさんあるが、イギリスの植民地主義は、その植民地の一部がどれほど発展したかを見れば明らかなとおり、これらの植民地にとって意義深い利点があった。アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、香港、シンガポールは、今日では最も文明化されていて生活するには最高の場所の1つとなっている。

イギリス法の伝統。イギリスは事実上の三権分立は、最初、貴族と王との間でなされ、その後王と国会との間でなされ、経済取引を円滑に進める独自の法の枠組みを生み出した。政府の三権が1人の軍閥の指導者に具体化された部族の正義に比べて多大な進歩である。

パクス・ブリタニカ。イギリスの統治は、取って代わった脆く、腐敗し、うつりげな政治体制よりかは安定していた。インドもアフガニスタンも、小軍閥の間の争いに何世紀も悩まされていた。だが、インドでは、局地的な1857年のインド大反乱で損なわれたのみで、イギリスによる統治が1世紀に及ぶ平和をもたらした。1947年のインドの独立の直後に、パクス・ブリタニカの終焉がタミル人の分離独立運動だけでなく、終わりのない一連の印パ戦争や紛争を引き起こした。今では、両国とも原爆を保有しているため、次の戦争は、世界とって悲惨な結末を伴う核戦争となるかもしれない。

奴隷制。イギリスは率先して1807年に国際的な奴隷貿易を撤廃し、1833年に奴隷制それ自体を撤廃して、何世紀にもわたってその植民地に定着していた制度を終わらせたのだった(カード51、53、64、67を参照)。これはおそらく史上最も重大な政治的な偉業だろう。

グローバリゼーション。イギリスの産業革命による大量生産品は植民地における消費者の生活の質を高めた。土着の手工芸品は工場生産された商品とは競争になり得なかったため、職人は、盛況な輸出市場に移行し、低いイギリスの間税を享受した。

アフガニスタンはこれらの利点のうちどれを享受したというのだろうか。何も享受してないわけだ。というのも、アフガニスタンは植民地ではなく緩衝地帯だったのである。緩衝地帯とは、(ヨーロッパにおいては)アンドラ、スイス、カラマン、フィンランドといった超大国に挟まれた起伏の激しい(rugged)領域である。どちらの超大国も、多少の独立性と中立性を備えた緩衝地帯を維持する中で相互安定という利点を得たのであった。

超大国のおもちゃとしてのアフガニスタンに遺されたものは、生活するのに世界で最悪の場所の1つとしてだった。女性の識字率は17%だけだ。腐敗指数上では176位中174位に位置付けられている。1978年にソビエト連邦が手を引いて以来、内戦は継続している。こうした冷戦時代の米ソの熱い戦争(hot war, ※武力を伴う戦争)は、"グレートゲーム"の時代と全く同じく、わずかな利益のために大量の破壊が付随して伴うものだった。

隣国のインドはイギリスの植民地としてもっとうまくやってきたが、ここでも政策の失敗が、間もなく世界で最も人口の多い国となるであろうことに対して傷痕を残している。人口の4分の1近くが貧困にあえいでいる(1日約1.25ドル)。一般軍務入隊法(the General Service Enlistment Act, ※定訳はないようである。)といった他の政策は国内の不安を増大させ、1857年のインド大反乱とイギリス東インド会社の最終的な国有化に寄与してしまった。さらに、中世のジャジマーニー制度(Jajmani system)の継続と換金作物(cash crops)への依存により、1876年の大飢饉のような飢饉の周期に対してインドは脆弱なままとなってしまった。それでもなお、イギリスによる統治は、多くの主要な対立からインドを防衛し、インド経済の現代化に資するものであった。非植民地化(Decolonization)は、多大な自治権を与えた一方で、今日のパキスタンとの致命的な核対立のお膳立てもしたのだった。

以上

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