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【名言と本の紹介と】『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』

 人間の道徳は、他人の身体的な存在についての経験によって左右される。人間の現実は生物学的な現象だ。ある一定の距離に対応したものなんだ。その距離から離れれば、道徳はなくなる。だから法律が必要なんだよ。
 同じ理由で、ボタンを押して誰かを殺すことは簡単で、ナイフを使って殺すことは難しい。一つのボタンやドローンを用いてたくさんの人を殺すことはできるけれど、歩き回ってナイフで人々を殺したりはできないね。同じ人が、前者のことができても、後者のことはできないだろう。インターネットもそうだよね。ただボタンを押すだけで、前者の仲間になってしまう。でもあなたにはそれがわからない。あなたはただ、ある特定の話題についての会話をしているにすぎない、と思っているのだけれども、実際にはそうではないんだ。

丸山俊一『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』(NHK出版、2018年)81頁




 小学校でプログラミングの授業があるとか、高校で金融教育がスタートするとか、近年では学習内容が大きく変わっているという。時代に合わせて教育内容が変わることは当然だし、良いことだ。
 だが、個人的には倫理・哲学の授業(小学校だったら道徳というべきなのか)をもっと増やしてほしいと思う。ディベートでもいい。

 学生時代に受けた哲学の授業をよく覚えている、という人は少ないだろう。
 ただの試験対策として、ソクラテスが「無知の知」で、デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」で、パスカルが「考える葦」で、「神が死んで」いるのがニーチェだとか暗記したくらいだ。
 その言葉に至った経緯を覚えるどころか、葦がどんな植物か写真すら見てもいないだろう。何しろ授業時間が少ないのだ。でもこれからの時代、哲学は必要だと思う。


 哲学とは何か。真理の追究である。

 倫理とは何か。善の追究である。

 大切なのは、追究することなのだ。結果や結論ではなく、追究する過程にこそ意味がある。
 だが現代人は忙しい。効率的に生きているはずなのに常に時間が無く、結論だけを聞こうとする。

 ChatGTPはまさに現代人が望むものだろう。
 今ですら「アレ、誰だっけ。あの月曜のドラマに出てくる、前は高校生役をやっていた俳優さん」といったド忘れを、思い出そうともせずググる。
 ググれば、いくつかのサイトがヒットし、一番欲しい情報が得られそうなサイトを見比べることができる。

 だが、次の時代は私たち一人ひとりにコンシェルジュがつくようなものだ。質問すれば多くの情報から答えを選んで目の前に提示してくれる。
 ますます「考える」という行為をしなくなるのではと危機感を抱いている。

 これこそシンギュラリティだと思う。ただしAIが進化して人間を追い抜くのではなく、人間が退化してAIに追い抜かれるのだろうけれど。


 とにかく、効率も大切だが「考える」ことを完全に放棄してはいけない。

 そこで哲学なのだ。ネットに転がっている答えを拾うのではなく、自分の頭を使って考えること。
 だが「哲学」はどうも取っ付きにくい。


 哲学の有名な思考実験で「トロリー問題」と呼ばれるものがある。この思考実験を丁寧に展開する良著があるので紹介しておこう。


 そして件の「トロリー問題」とは以下の通りだ。

一人の男が線路脇に立っていると、暴走列車が自分に向かって突進してくるのが目に入る。ブレーキが故障しているのは明らかだ。前方では、五人の人たちが線路に縛りつけられている。何もしなければ、五人は列車に轢かれて死ぬ。幸い、男の傍らには方向指示スイッチがある。そのレバーを倒せば、制御を失った列車を目の前にある分岐線に引き込める。ところが残念ながら、思いがけない障害がある。分岐線には一人の人が縛りつけられているのだ。列車の進路を変えれば、この人を殺す結果になるのは避けられない。どうすればいいだろうか?

ディヴィッド・エドモンズ『太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること』(太田出版、2015年)19頁


 この本にはわかりやすく素敵な挿絵がある。

『太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること』より


 さて状況を把握したうえで、少し考えてみて欲しい。

 5人に迫る暴走列車。
 貴方の目の前には方向指示スイッチ。
 先には1人の人が縛りつけられている。
 貴方はスイッチを動かすだろうか。


 この問いには、割と「動かす」と答える方が多いようだ。
 5人が死ぬより1人が犠牲になる方がマシ、と考える。

 だが意図的にスイッチを動かすことで、貴方は明確な意図をもって確実に1人を殺している。

 「いや、でも」と反論しようとする人のため、もう一つ考えてみよう。



『太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること』表紙より


 これは本書の表紙の絵だ。

 5人に迫る暴走列車。
 貴方の前には太った男が橋から下を覗き込んでいる。
 貴方が背中を押せば彼は橋から転落し、暴走列車は彼にぶつかり止まる。
 5人は助かるのだ。
 太った男を殺すだろうか。


 なお、これは思考実験だ。太った男がぶつかっても列車が止まらないとか、押しても落ちないとか、そういうケースは想定しない。前の問いと同じ、5人を見殺しにするか、1人を殺すかのどちらかだ。

 男の背中を押すのは、さすがにためらう人が増えるだろう。方向指示スイッチはまだ間接的だったが、背中を押すのは直接的だ。

 「いや、それでも5人よりは1人の犠牲の方がマシだ」というツワモノには、もっと極端な例を引用しよう。


五人の重症患者がいて、全員が緊急の臓器移植を必要としているとしよう。二人は腎臓を、二人は肺を、一人は心臓を必要としている。臓器が間に合わなければ、彼らは今日中に死ぬ。運のいいことに、健康で血液型も適合している罪のない若い男が、年一回の定期健診のためにやってくる。外科医は彼を殺し、その臓器を危機に瀕している五人に分配すべきだろうか?

ディヴィッド・エドモンズ『太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること』(太田出版、2015年)56頁


 今取り上げた3つの例はどれも、5人を助けるために1人を犠牲にするのかどうかだ。でも同じ人でも例によって答えは異なるだろう。

 「いやいや、私は方向指示スイッチも替えないよ」という人もいるかもしれない。

 だったら、暴走列車をモニター越しで観ていて、目の前のボタン一つでスイッチできるならどうだろう。

 モニター越しの映像ではなく、誰かから電話やメールで状況を伝えられ押すよう依頼されたらどうだろう。



 さて、この記事の最初の引用に戻る。もはや覚えていないと思うので、再度引用してみよう。

 人間の道徳は、他人の身体的な存在についての経験によって左右される。人間の現実は生物学的な現象だ。ある一定の距離に対応したものなんだ。その距離から離れれば、道徳はなくなる。だから法律が必要なんだよ。
 同じ理由で、ボタンを押して誰かを殺すことは簡単で、ナイフを使って殺すことは難しい。一つのボタンやドローンを用いてたくさんの人を殺すことはできるけれど、歩き回ってナイフで人々を殺したりはできないね。同じ人が、前者のことができても、後者のことはできないだろう。インターネットもそうだよね。ただボタンを押すだけで、前者の仲間になってしまう。でもあなたにはそれがわからない。あなたはただ、ある特定の話題についての会話をしているにすぎない、と思っているのだけれども、実際にはそうではないんだ。

丸山俊一『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』(NHK出版、2018年)81頁


 あり得ない設定を考えさせる哲学が嫌い、という人に出会ったことがある。
 確かに人生で線路に括り付けられている人と出会うことはまずないだろう。
 でも、インターネットが普及し簡単に人を傷つけることが可能になった。
 ナイフで人を殺すように、ドローンでシューティングゲームをするように、ボタン一つで人を傷つけることが出来るのだ。

 その一言が相手や第三者にどのような感情を抱かせるのかを考えなければならない。ハリセンでツッコミを入れたつもりが、気づけば機関銃を撃ってしまっているかもしれない。


 私はそんなことしない、SNSの運用にも自信がある方もいるだろう。

 そんな人に読んでいただきたい小説があるので、合わせて紹介しておく。


 出てくるのは10名の大山正紀。
 ある日、同姓同名の男が六歳の少女に性的暴行を加えようとして抵抗され殺害する。
 事件は大きく報道され、同姓同名の大山正紀たちが風評被害に遭う。

 別人だと理解されつつも避けられてしまう、その様子がリアルである。同姓同名でも混乱せず読み進められる筆力と、あえてミスリードさせてラストへ持って行くミステリーが楽しめる。

 犯罪者と誤解され嫌がらせを受けたり、別人だと理解されたうえで就職できない等、世の中で本当に起こり得る話だ。


 リツイートするだけで株価が160億円も暴落するようなことだって実際に起こっているのだ。
 SNSは井戸端会議ではない。
 ここだけの話でもないし、義憤に駆られて行ったことが思いがけない事態を引き起こすこともあるだろう。


 近年は理系の学問の発展が目覚ましいが、同時に文系の学問も発展していかないと、分別をわきまえない猿が戦車を乗り回すような時代になってしまう。
 法・政治・経済とともに倫理・哲学がさらに発展し、それをエンタメが先取り広め、大衆化していかなければならない。


 マルクス・ガブリエルやマイケル・サンデルのような有名な哲学者がもっと現れ、もっと盛り上がってくれることを期待している。
 問題は、私たちがなかなか彼らの話についていけないことだけだ。



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