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【本の紹介】『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』


 「貴方は教養がある方だと思いますか?」と聞かれて堂々と頷ける人はどれだけいるのだろう。いやそもそも何を知っていたら教養があることになるのか。教養とは曖昧で分かりにくい。そのくせ、なんとなく格好良くて憧れる。

 実は、教養についての本は以前取り上げたことがある。


 こちらでは著者が「人格教養」と呼ぶものについての解説を行っている。

 そして、なにより大切なことですが、人格教養の核は、教養の知識的な中身ではありません。知識的な中身は、結果的には「ある」ということになるのですが、知識的な中身を習得するための修練をした痕跡のようなものなのです。
 思うに、人は、教養を身につけるときに、知識そのもののほか、知識の構造や論理やコンセプトを習得するのです。その論理やコンセプトを習得した雰囲気が、その人の人格の周囲に漂うというのが、私が「人格教養」と呼ぼうとしているものの根幹です。そして、それが、「教養が人間の尊厳・価値そのものになる」ということがらの意味です。

岡本浩一『一億人の茶道教養講座』(2013年、淡交社)14-15頁


 ここで言われる教養が私の憧れる教養である。こういう教養が薫る素敵な大人になりたい。

 だが、今回取り上げる教養は、著者が「ファスト教養」と呼ぶものである。

「楽しいから」「気分転換できるから」ではなく「ビジネスに役立てられるから(つまり、お金儲けに役立つから)」という動機でいろいろな文化に触れる。その際自分自身がそれを好きかどうかは大事ではないし、だからこそ何かを深く没入するよりは大雑把に「全体」を知ればよい。そうやって手広い知識を持ってビジネスシーンをうまく渡り歩く人こそ、「現代における教養あるビジネスパーソン」である。着実に勢力を広げつつあるそんな考え方を、著者は「ファスト教養」という言葉で定義する。
 ここでの「ファスト」という言葉にはいわゆる「ファストフード」での用例と同じような「栄養バランスを多少損ねるのと引き換えに摂取しやすい形になった(=大雑把に全体を把握するために表面的な説明になることもいとわない)コンテンツ」としての意図を込めているのに加えて、心理学者のダニエル・カーネマンが『ファスト&スロー―あなたの意思はどのように決まるか?』で提示している二つの思考モードを参照している。同書では「直感的で速い思考」をシステム1(ファスト)、「論理的で遅い思考」をシステム2(スロー)としているが、「お金を稼ぐのにつながるならば良いことに違いない」と熟慮することなく行動する態度にシステム1とつながる部分があると解釈して「ファスト」という言葉を冠した。

レジ―『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(2022年、集英社)27頁


 同じ「教養」とはいえ、先に挙げた人格教養とは対極に位置しているようにも思う。だが今の世の中で求められているのはこの「ファスト教養」だろう。

 一見なんだか味気ないようにも思うが、なにせ我々には時間が無い。世界の技術は加速度的に進化しており、今や処理しきれない量の情報が出回っている。その中でいかに自分にとって必要な情報を受け取るかが非常に重要なのだ。コスパ・タイパの良い方法を常に求めている。

 同時に「ワンチャン」という言葉が出てきたのも関係があるようだ。また「親ガチャ」が流行語大賞にランクインしたのも記憶に新しい。これらは、がんばれば報われるという考え方よりも、運が左右する部分も少なからずあるという考え方が優勢になってきたことを示している。


努力よりも運・ツキに左右されがちな世の中だから、地道に何かに取り組むスタンスは「コスパ」が悪い。それよりも、最小限の努力で最大限の成果を上げる方法を考えたい――理不尽な負荷を避けようとすること自体は決して悪いことではないのだが、こういった考え方は「物事をハックして成果を上げる」ことにこそ価値が置かれるファスト教養と非常に相性が良い。その点において、ファスト教養の拡大は今の社会の在り方を象徴する現象である。

同41頁


 なお著者はこのファスト教養を讃美しているわけではない。現在の世情を考察し、ある程度必要性を認めつつも警鐘を鳴らす立ち位置だ。


 「変化の激しい時代には教養を学ぶべし」となった時に、では本当に学ぶべき教養とは具体的に何なのか。その教養を学ぶことで、時代の変化にどういう形で対応できるようになるのか。そんな話は当然示されることなく、「教養が必要」という漠然としたメッセージと「教養を学ばないとやばい」というそこはかとない不安が増幅されていく。そこから生まれるのは「学びの楽しみ」や「自己成長への期待」といったポジティブな感情ではなく、「転落への恐怖」とでも言うべきネガティブなものである。

同52頁


 社会人として生活していると「知っていないと恥ずかしい」「社会人としてアウト」というトラップが多い。学校で習う基礎教育はもちろん、日々のニュースや最近のトレンドを常に追いかけ、場合によっては自らのスタンスを定めコメントができるようになっていないといけない。そしてその抜き打ちテストは突然来るのだ。転落への漠然とした恐怖を抱きつつ、情報収集を心がける気持ちはよくわかる。


 さて、では具体的にファスト教養とはどんなものなのか。本書でも一例を挙げられているが、最近書店でも「教養」と題する本が多い。「教養としての〇〇」とか、毎日1ページずつ読むタイプもあるし、日めくりカレンダーになっているものもある。

 だが、それよりも影響力が大きいのが教育系YouTuberである。本書では、ひろゆきや中田敦彦、カズレーザー、DaiGoといった影響力のあるYouTuberが取り上げられている。

 正直、私自身こういったチャンネルには大変お世話になっている。本を紹介・要約してくれるチャンネルも何種類か登録しているし、時事ネタを取り上げてくれるものや、健康マニアとしては栄養やダイエットに関するチャンネル等も登録している。YouTubeは娯楽としてよりもスキマ時間で効率よく情報を収集するツールとして見ている節が多い。

 だが、気を付けなければならないのは、本の要約や解説は発言者のフィルターを一度通していることだ。著者の伝えたい内容と異なることを発言者が意図せず伝えてしまう可能性もあるし、視聴者受けが良い脚色や取り上げ方もあるだろう。

 またインフルエンサーは個人の意見を発していることを念頭に置いておかねばならない。その言葉は真実でも真理でも無く、間違っている可能性もある。あくまでも発言者の思想・立場からの発言である。そして、多くは自由主義的なスタンスを取る方が多い。


ここまでいくつかのキープレーヤーを紹介しながら論を展開してきたが、大きく共通しているのは「公共との乖離」である。彼らは人々が支え合う社会といったモデルをうっとうしいと否定するかの如く、個人としてのサバイバルを重視する。

同123頁


 本書の中では、DaiGoのチャンネルで炎上した、二〇二一年の「生活保護の人たちに食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい」「ホームレスの命はどうでもいい」という発言が取り上げられている。この件については、本書でも矢野利裕の記事を引用されているのだが、興味深いので是非ご覧いただきたい。



 DaiGoも今の学生も「納税」がキーワードになっているようだ。保険に近い考え方かもしれない。きちんと納税している対象者であれば、万が一の時に税金にて保護される。だが納税していないのであれば助けられなくても仕方がない、という論だ。しかしそうなると、どうしても働けない等の事情で生活保護を受けている方々が苦しい立場に追いやられる。さすがに公共は保険よりもセーフティネットを広げてほしいと個人的には思う。

 そして矢野利裕の記事の中の引用を見てみると、DaiGoの「より高い金額を納税している自分の方がバッシングをしてくる人よりもホームレスを助けている」という論がある。ここには納税額が多いほど偉いという考え方が見えるように思う。

 お金に関して言えばFIREが一大ブームになった。すでに働かなくても生活できる彼らはもはや上級国民だ。「貧すれば鈍する」ともいうくらいだからお金は必要である。

 中間層の我々は日々働きながら彼らに憧れて過ごしており、彼ら成功者の言葉をありがたく拝聴する。かなり自由主義的な思想も自然と受け入れているのかもしれない。だが踏み外して下層へ転げ落ちることもあれば、下層から出ようにも出られない人もいる。それを公共が冷たく切り捨てる社会になるのは、さすがに行き過ぎているように思う。


 取り上げられている多くのインフルエンサーは学歴も高く、経営者としても優秀で、頭の回転が早い。彼らを追随する多くの優秀な方々が現れれば社会全体は高回転し良くなるだろう。だが、そういう人にこそ、ふと立ち止まり下層のことを顧みてほしいと思う。

 以前取り上げた、上野千鶴子の東大入学式の祝辞の一部を再掲させていただく。

貴方たちの頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を貶めるためにではなく、そういう人々を助けるために使ってください。

上野千鶴子 平成31年度東京大学学部入学式 祝辞(一部抜粋)




 今回は本書の内容の一部を紹介させていただいている。当時話題となった時事ネタが多く詰まっており、本書を読むだけで奇しくも近年の大まかな時事を知るファスト教養となり得る一冊だ。

 AKB48のCD戦略やSNSアカウントの〇〇回再生のように「本来は好きな音楽を聴くシンプルな娯楽が、応援という名目のもとで「数字を上げる」という目的に向けた活動にすり替わってしまっている」(同172頁)という指摘等も興味深いが、今回は割愛している。


 個人的にはファスト教養も必要だと思うが、タイパが悪くとも冒頭で紹介させていただいた人格教養を身につけるための時間も欲しいし、無駄な時間や無駄な知識も心身のためには必要だと思う。

 昔、放映されていたテレビ番組「トリビアの泉」は復活しないのだろうか。「生きていく上で何の役にも立たない無駄な知識、しかし、つい人に教えたくなってしまうようなトリビア」というコンセプトが好きだった。まあその番組で得たトリビアは何一つ記憶に残ってはいないのだが。



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