『Beep21』 ササキトモコ 特別インタビュー サウンドで新しい風を吹き込んだクリエイター 〜クリエイター・リユニオン・ファイル Vol.6〜
過去のセガハードで多くのファンを
魅了した数々の名作、そしてそれらを
生み出してきたクリエイターのルーツと
初公開の足跡をリレーインタビュー形式で
お届けしている『Beep21』特別企画
「リユニオン・ファイルズ」。
あの名作を生み出したクリエイターの
子供の頃の話やゲーム業界を志した経緯
なども含めた各インタビューは、ある意味
その人の「伝記」的な内容にもなっています。
『セガハードヒストリア』のレジェンド
クリエイターインタビューは『Beep21』で
そのコンプリート版を順次掲載していますが
それらと一緒に並べて読んでいくと
読み応えも増していくと思います。
▼Vol.1〜Vol.5 過去のインタビューシリーズはこちらから
6回目の今回はセガサターンの名作
「NiGHTS into dreams…」の楽曲や
「ルーマニア#203」のセラニポージ
などを生み出してきた
ササキトモコさんが登場します!
なんと小学校1年から作曲の才能を発揮し
数々の名作に新しい風を吹き込んだ足跡を
見ていきますが、今回は初公開の写真や
エピソードの数々が満載で必見です。
現在は妹(ワカバ)さんとのユニット
東京ハイジとして活躍し、さまざまな
有名企業とコラボをするなど
現役でその才能を発揮している
ササキトモコさん。
今回はその幼少期から、ゲームと
関わりを持つまでの話、
そしてその後の活動に至る経緯を
貴重な写真を交えつつお届けします。
インタビューの最後には
ササキトモコさんのイラスト&
サイン入りCDのプレゼントも用意しました!
※プレゼントCDの当選者は決定しました。(2023/12/31)
ぜひみなさん、最後までご覧ください!
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さまざまな形で活躍中のササキトモコさんの近況
──ササキトモコさんは、雑誌に初掲載された最初の取材の時以来、「ナイツ(NiGHTS into dreams…)(1996年)」や「バーニングレンジャー(1998年)」「ルーマニア#203(2000年)」など、たくさんの作品でお話を聞かせてもらい、連載記事なども毎回楽しませていただきました。
──あの頃から20年以上経つので、本当にご無沙汰しておりましたが、最近も多彩な活動をされていて驚かされました。特に東京ハイジの活動では、いろんな企業タイアップ動画も手がけられていますよね?
ササキ 『東京ハイジ』ではサーティワンさんの日本上陸50周年を記念してB-Rサーティワンアイスクリーム株式会社とのコラボ動画を配信して、最近YouTubeに映像・楽曲を配信しました。
──東京ハイジは動画"総再生回数"が累計で3億回超えと聞きましたが、ものすごいですね。
ササキ ありがとうございます。東京ハイジはYouTube動画の再生数が多いこともあって、広告代理店の方からタイアップのお話がきたり、企業さんからもお話がきたりしてまして、そのご縁でいろいろな動画映像を作っています。あとは、ゲーム関連では、個人で「ひなビタ♪」というプロジェクトに関わらせてもらってまして、先日10周年イベントに参加して、初めての、ステージでのトークショーも経験しました。
──今もとにかくご活躍の幅が広くて、本当に素晴らしいですね。さて、ササキさんは雑誌時代には関わっていたゲームタイトルのお話を取材で聞くことはあったのですが、そもそも幼少期はどういう過ごされ方をしていて、その後どういう経緯でゲーム業界を目指すことになったのか?あたりはあまり聞く機会がなかったと思います。今日はそうした”ササキさんのルーツ”も含めてお伺いしていければと思います。
オーディオマニアの高校英語教師の父親の元で
──ササキさんは、青森県生まれ、とのことですが子供の頃はどんなご家庭でした?
ササキ 私の父親が高校の英語教員で、いわゆるオーディオマニアで、音楽がいつもそばにある環境でした。
──オーディオマニアのお父様だったということは、音楽環境がいきなり抜群なご家庭だったという感じがしますね。家ではいつも音楽が流れているような感じですか?
ササキ 父親がエアチェックをマメにしていて、カセットテープが天井の棚にまでずらっと並んでいました。
──FMラジオなどで流れる曲をエアチェックして、カセットに録音する...そういう時代でしたね。
ササキ 子供部屋にはスピーカーが設置してあって、朝になるとそこからビバルディやバッハが流れてきまして。でも、クラシック音楽だけではなく、マイケル・ジャクソンなどの洋楽も流れてました。
──さすがオーディオマニアなお父様という感じがしますが、流行りの曲も流すなんて、洒落た親御さんですね。
ササキ 父は洋楽ではビートルズが特に好きだったみたいで、私がピアノで伴奏を弾いて父が英語で歌う、なんてこともありました。
幼稚園の頃から"ピアノ人間"だった
──ササキさん自身は何か音楽を?
ササキ 私は幼稚園の時からピアノが大好きなピアノ人間でした。習うきっかけも「ピアノを習わせてくれなきゃ幼稚園に行かない」と親を脅して、無理やり習わせてもらっていました。
──幼稚園の頃に自分からピアノを習いたいというのは、すごいですね。かなり小さい頃からピアノを弾いていらっしゃったんですね。
ササキ 親から言われて、やらされて……ではないところがポイントですね(笑)。家にはピアノがあったわけではなくて、友達の家にエレクトーンがありまして。それを少し触ってみたら「すごくいいな」と思って。「猫ふんじゃった」が完璧に弾けるようになりたかったんです。それでピアノを習いに行った記憶があります。
歌番組と歌謡曲
──ピアノ好きから音楽と接点が?
ササキ 音楽はピアノだけではなく、歌番組がとにかく大好きで。でも父親が厳しくてテレビを見せてくれなくて。父親がいない時にこっそりNHKの「レッツゴーヤング」を観ていました。
──「レッツゴーヤング」は当時流行ってましたよね。
ササキ 私にとって一年の中で一番素晴らしい日は大晦日で。「レコード大賞」や「紅白歌合戦」は(父親からも)観せてもらえたので、とにかく歌謡曲が大好きでしたね。
──当時は民放だと「ザ・ベストテン」など、いろいろな歌番組も放映されていましたが、そちらは観ていましたか?
ササキ それは父が家にいる時間に放送していたので、観られなかったんですね。あとは本屋さんで『明星』というタレント誌を買ってました。この雑誌の付録には歌本が付いているんですね。(付録の)楽譜と歌詞を見て、知らない歌謡曲の楽譜を歌って「こういう曲なんだ、へー」って聴いたことがないものまでなんでも知りたかったんです。
音楽は聴くだけでなく小学1年生から作曲も
──音楽に囲まれた生活だったんですね。ピアノを習いに行ってその後は?
ササキ ピアノは4歳からで、『全音ピアノピース』という、有名な曲を1曲ずつ買えるシリーズがありまして、当時は1曲200円くらいで楽譜が買えたので、「エリーゼのために」や「乙女の祈り」を買ったりしました。少ないお小遣いで楽譜を買うのを繰り返して、たくさん集めて、自分で弾くのが趣味で、とにかく本当にピアノが大大大好きでした。
──ピアノは最初の頃から買ってもらいましたか?
ササキ ピアノを買ってもらったのは小学校2年生の時です。それまでは小さいオルガンで。
あの坂本龍一に採用された「逆さ戦メリ」
──小さい頃から曲を聴くだけではなく、アウトプットも?
ササキ 時系列で言いますと、小学校1年生の時に作曲をするんですけど...。
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