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『Beep21』ソニックを30年間創り続けた男 ─クリエイター・リユニオン・ファイル Vol.4 飯塚隆インタビュー

セガハード専門誌時代から活躍していた
セガファンにはおなじみのクリエイター達が
“あの時”の話を語っていく
クリエイター・リユニオン・ファイル

ここまで数々の名作を生み出した
クリエイターの方々に登場してきてもらいました。

Vol.1 「パンツァードラグーン」を創った二木幸生氏

▼Vol.2「電脳戦機バーチャロン」を生み出した亙重郎氏

▼Vol.3 AM2研で「レンタヒーロー」「シェンムー」などを手がけた岡安啓司氏

今回はセガを代表するキャラクター
「ソニック」シリーズを30年間創り続け、
2023年4月にクリエイティブオフィサー
セガの執行役員に就任し、
世界のソニックビジネスを統括して見ている
飯塚隆氏が登場します!

ちょうどセガの重職に就任し、日本に
一時帰国したタイミングで取材の時間を
いただくことができました。

飯塚氏はソニックシリーズにたずさわった頃から
誌面に登場してくれていましたが、
子供の頃の話や、ソニックチームに
参加した経緯とその後などは今までに
意外と詳しく聞く機会がありませんでした。

今まで語られていなかった数々の裏話から、
映画の大ヒット以降、急速に広がりつつある
ソニックのワールドビジネスの最新事情まで
たっぷりとお届けしていきます。

どうぞ最後までお楽しみください。

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【飯塚隆 (いいづか たかし)】1970年3月16日生まれ。1992年4月セガに入社。その年の年末に、新人のまま「ソニック・ザ・ヘッジホッグ3(1993年)」の開発メンバーとしてアメリカに赴任。「ソニック3」「ソニック&ナックルズ(1994年)」の企画の後、日本に帰国し、セガサターンへは「NiGHTS into dreams…(1996年)」のメイン企画として参加。「ソニックジャム(1997年)」を担当しつつ、ドリームキャスト「ソニックアドベンチャー(1998年)」を手がけ、その完成後は再びアメリカに開発チームを率いて「ソニックアドベンチャー2(2001年)」を開発。それ以降も含め、実に30年間ソニックシリーズを見続けてきた。2023年4月には、セガの執行役員兼クリエイティブオフィサーに就任。アメリカで人気絶好調のソニックの現地での話題も含め、たくさんのお話をお伺いしていきます。 

ソニックチームUSAを拠点に執行役員兼クリエイティブオフィサーとなって活躍する飯塚氏

──大変ご無沙汰ぶさたしておりましたが、飯塚さんは最近はアメリカがメインですか?
飯塚 そうですね。ここのところは特にコロナで、ほとんど日本に来てなかったというのもありますが、今回はちょうどビザの更新で(日本に)一時的に戻ったところでした。

──2023年4月1日付の人事で執行役員兼クリエイティブオフィサーに就任されたとのことですが、お仕事的にはどんな感じで?
飯塚 通常、執行役員というと事業部の責任者だったり、ビジネス的な責任者でもあることが多いのですが、私の場合は”ソニックのクリエイター”としての部分を今回評価していただきまして、私自身は事業部を持っていないんです。

──事業部を見るというよりは、ソニックに関連するクリエイティブやビジネス全般を見るということですね。
飯塚 そうですね、ソニックビジネスに携わる者の責任者の一人として。

──ソニック以外の他のタイトルも見たりすることはあるんですか?
飯塚 いえ、私はもうずっとソニックです。入社以来ずっと。

──本業の拠点がアメリカということですが、アメリカサイドの開発チームというのはどんな感じなんですか?
飯塚 SOA(セガ・オブ・アメリカ)はアーバインという、ロサンゼルスから南に位置する場所にヘッドクォーター(※本社)があるんですけども、それとは別にSOAの所属部門で「ソニックチームUSA」という、主に欧米でのソニックビジネスのヘッドクォーターとして、バーバンクという小さな町に組織をかまえているんですね。40人くらいの小さな規模のチームなので(こちらには)開発チームは持ってないんですよ。

──バーバンクというとハリウッドにも近くて制作環境としては良い立地ですね。
飯塚 ゲームの開発は日本のソニックチームが担当してますので、(アメリカにいる)我々は、ソニックビジネスをたばねる者として、映画だったり、コミックだったり、ライセンスだったり、アニメだったり…、ゲームについては日本(の開発チーム)と協力しながら、ソニックチームUSAと一緒に仕事をやっている感じです。

──最近のソニックは開発規模も結構なボリュームに感じますが、どれぐらいの人員がいるんですか?
飯塚
 第二事業部に所属する日本のソニックチームは400人くらいいます。

──400人! 昔の頃の倍くらいは軽くいますね...。
飯塚 もちろん(第二事業部の)全部がソニックを作っているわけではないです。「ぷよぷよ」をやっていたりとか、アーケードの開発チームもいますし。

──アメリカの現地スタッフの方というのは、マーケティングやPRをやられる感じですか?
飯塚 そうですね、マーケティングとかPR、ライセンス。あとは(ゲームの)開発に関して言うと、私をヘッドにして主にローカライズとか、現地プロデューサーという形で、ソニックチームが作る各タイトルにプロデューサーを付けて、ラインコントロールをしている感じです。

10年かかった先に大ヒットをしたソニックの映画とキャラクターとしての人気ぶり

──最近だとソニックは映画も大ヒットとなりました。

©2020 Paramount Pictures and Sega of America, Inc. 2020年に公開された「ソニック・ザ・ムービー」

飯塚 ありがとうございます。本当に結果的にはそうなりましたけど、それまでは長い道のりでした。

──最初はちょっと不安視されてた部分もありましたが、そのへんも含めて?
飯塚 そうですね。お客様にお出しする時には、良い状態でお出しできたのが良かったなと思いますが、そこにたどり着くまでは、本当にいろいろありまして。実はあれ、裏では10年以上も前から進めていた話でして。「ソニックを映画化しよう」という動きが最初にあった頃から私も参加していたんですが、形になるまで10年かかりました。

──10年も?  それは最初からCGで映画化を?

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