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【読書感想文】 いのちの初夜・北條民雄

重いです。
辛いです。
悲しく切ないです。
言葉のひとつひとつにそれらの感情が込められている。
そしてそのすべての言葉にリアリティがある。
それは単なる創作作品ではなく、自分の目で見て肌で感じてそれらに触ってきたから書ける言葉だなと思う。
しばらくこれほどの感情をぶつけてくる作品を読んでなかったせいか、
ちょっと戸惑いながら(不穏を隠せないまま)読み始めた。

この作品集は癩病(ハンセン病)を患った作者が書いたハンセン病患者を収容する強制隔離施設の様子を描いた作品である。
読み進めるうちに、どのエピソードを読んでも『死』の匂いがまとわりついてくる。
絶望しかない日常の中に未来はあるのか?
その中に希望があるのならそれは何なのか?
崩れていく自分の体を日々見せられるくらいならいっそ自ら死ぬことを切望する。しかし何度も試みるが死ねない自分もいる。
そんな中で目が見えなくなる前に必死で文章を書く青年の姿、ただ寝床に寝て痛みや苦しみの中唸り声をあげることしかできない患者の姿、身篭ってしまう女性の悲しみと苦悩、そして自殺する者、家族の愛に飢える子供…
著者の北條民雄もまたその中にいるのだが、川端康成に師事し作品を書き続けた。23歳で死去するまで「死」と「希望」との間で生き抜いた姿にまた涙が溢れる。

ハンセン病に罹ると差別偏見の目に晒され家族と離され、日本政府がが制定した『強制隔離政策』により故郷を追われ遠く離れた隔離施設で過ごすしかなかった。
その病の悲惨さをこれでもかというほどこの作品を読んで知ることになる。
病に罹患した本人だけではなく、残された家族・親族は差別を受けやはり故郷を追われることになる。現在でも名前を隠して生活している人がいるらしいと聞くとそれは切ない。
文章を読むだけでも目を背けたくなるような症状ではあるが、その患者本人がその病と向き合いきれない思いや、自分はどうなっていくのかという得体の知れない恐怖との戦いが症状以上に心に重くのしかかる。
この作品の中には数人のエピソードしか描かれていないが、当時日本では12,000人ほどの人が隔離されていて、死ぬまでそこで病に苦しみ死んでいった方々が大勢いるということだ。
1996年に隔離政策は廃止されたが、その傷跡は今もなお語り続けられている。

この作品のあとがきは川端康成が書いている。

私は北條民雄君に一度しか会っていない。『文學界』に出版した「いのちの初夜」がその雑誌の賞を与えられた時、賞金を受け取りかたがた東京に出て、鎌倉へも訪ねてくれた。しかし遠慮して家へは来ず、駅前から電話をかけてよこした。私は出向いて行って、駅の近くを少し歩きながら、またそば屋の二階に上がった。  ….中略…      二度目に会ったのは遺骸であった。

いのちの初夜・あとがきより一部抜粋

この作品を読んで、北条民雄という作家を知ることができてよかった。
知らなかったことを知るのは辛いことでもあるけれど、読後の正直な思いとして知れてよかったと思っている。

作者の北條民雄(1914-1937)がハンセン病に罹患したのは十八歳のとき。東京東村山のハンセン病療養所「全生病院」への入所を余儀なくされます。現在では極めて伝染性の低い病であることがわかり治療法が確立しているハンセン病ですが、当時の患者たちは、圧倒的な差別と偏見に晒されていました。一度感染すると社会から完全に隔離され、後は死を待つしかない病とみなされる中、作者の北條は、作品を通して自らの絶望的な状況を見つめぬきました。その果てに北條が見出したのは「苦しみや絶望の底にあってなお朽ちない、いのちの力」。それでも絶望を拭い去ることはできませんでしたが、北條は、最期の最期まで生き抜こうという意志を、執筆を通してつかみとっていきました。

北條民雄・100分de名著より



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