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消えていくためにまた生まれるもの

2020年8月15日(土曜日)の日記

昨夜、洗い物をしている時にごはん茶碗がパカっとふたつに割れた。それは見事な割れっぷりで、あらかじめ何者かによって細工をされていたのではないかと思うくらいに綺麗に半分に割れた。なにぶん古い人間なので、突然こういうことが起こると「何か悪いことでも起きるんじゃないか?」と思ってしまう。子供の頃から、何も力が加わってないのに、箸が折れたとか茶碗が割れた時に必ず家族の誰かが「悪いこと起こらなきゃいいけど...」と言って家族の顔を不安そうに見回していた。何度もそんな言葉を聞いた覚えはあるが、その後何か悪いことが起こったためしはなかった。時代は変わって令和になった今でもそういうことはよく耳にする。自分自身も確かに言っている。でも昔も今も我が家に限ってかもしれないが、悪いことが起こったためしはない。

「割れちゃったよ」と夫に言ったら、「そりゃ20年も使ってたら劣化するよ」と言われた。20年!夫に言われてあらためてびっくりする。そりゃそうだろうと私も思う。反対によくも20年も持ち堪えたなと感心するほどだ。そうだ劣化だ。そう思うことによって気分は明るくなる。Instagramでこのことを投稿したら

「お茶碗が身代わりになってくれたので悪いことは起こらないと思います」

とコメントをくれた人がいた。なるほどね...そうなのかとこの歳になって初めてわかった。昔の人が言っていたのはこういうことだったんだと思った。身代わりになってくれたのだから破損したものたちを労いましょう...かな?

新しい茶碗を買わないとと出かけた。買うなら波佐見焼と決めていた。たくさんある中で迷って迷って最後に色を決められずに、2個買ってしまった。

これが割れる時にまた言うのだろうな

「何か悪いことが起きなきゃいいけど」

今朝、新しい茶碗でごはんを食べた。「軽くてもちやすい」とか「柄が可愛い」とか言いながら。割れた茶碗のことなどすっかり忘れていた。

読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。