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【詩集】 真珠 ・荒川洋治

惑わされる...これはきっと叙情の惑いなのかと


こうなれば、もうどうでもなれと思いながら読み終えた。
詩というものを読んだことがないわけではない。
子供の頃から現在に至るまで、有名無名に限らずあらゆる詩を読んできた。
そして自分でも詩を書いた。
これだけ長いあいだ詩と関わってきたのに、荒川洋治さんの『真珠』にこれだけ惑わされて、「読み解けるもんなら解いてみる?」と、問われる詩集は始めてだった。

正直に白状しよう。
私は読み解けてはいない。
そもそも詩というのは、読み解くものなのかどうかという疑問もあるにはあるが…
それでも今まで読んだものは自分なりの解釈みたいなものをちゃんと文章にできたのに、これに関してはまったくどうしたもんだかという気持ちだ。
言葉は悪いが、胡散臭いマジシャンにしてやられた感じさえしている。
それは私がちゃんと詩というものを勉強してこなかったことが原因であることはわかっている。そのツケはが荒川洋治さんによって暴露されたのだ。

ひとりの子どもが
母親のお茶のために
その場に残されることがある
社会主義の影だけがそれを思い出すだろう
(一部省略)
明日もきょうだからね
いつ見ても平凡な看板の前
母親と子どもは 戦車を降りて
小石のように止まり
真珠のこぼれた
席へ向かう

『真珠』より一部抜粋

誰かそっと私に耳打ちしてくれないだろうか。
「惑わされなくても大丈夫だよ」と。

何年か後に、また読み返してみたい。
その時は何かわかるだろうか。
しかし考えようによっては、こういう本に出会ってそれをずっと持ってられるというのは、本当は幸せなことかもしれないな。

真珠・荒川洋治

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