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欲の鎮静化

私はいつもとは違った意味で動揺していた。いつもルーチンでやっているメールチェックをしていると、タイミングよくクレジットカード会社から請求書がメールに届いた。開いてみてびっくりして「えっ!」と小さく声をあげてしまった。請求額が多いのではなくて、少な過ぎてびっくりしたのだ。「何か計上し忘れていませんか?」と問合せしたくなるくらい少なかった。家計簿のようなちゃんとしたのではないが、使った金額をまとめてあるノートをチェックしたらカード会社の計算は間違いではなかった。単に私が買い物をしなかっただけのことだった。

以前は、服飾品や外食費や旅行代が数十万円請求される月もあったくらいある意味、欲にまみれていた。買い物しなくなったのはやっぱり新型コロナが原因であることは確かだ。外出できないからお洒落な洋服もいらないし、外食もNGでほとんど自炊。旅行はもちろんどこにも行けなかった。今は少し緩和されてちょこちょこ出かけられるようになったにはなったけど。コロナのせいとはいえ、お金を使わない生活が身についてしまったわけだ。

先日、足の小指を家具にぶつけて軽く骨折してしまった。日頃、足の小指のことなんて考えても見なかった。そこにある。ただあるだけ。5本のうちの1本で、手の小指ほどの働きもせず存在感もうすい。そう思っていた小指を負傷して冷や汗が出るほど痛くて、立って歩くごとに激痛がある。あんなに存在感のなかった小指が、これほどまでに存在感を発揮している。小指側が地に付けれらないということがこんなに歩行の妨げになるなんて思ってもみなかった。スーパーに買い物にも行けず、備蓄してある食材でなんとか凌いでいる。生鮮食品は夫に仕事に出たついでとかに買ってきてもらっている。我が家の財布は夫婦別々で、買い物した人が払うのがルールとなっている。だから私はここ数日1円も使っていない。動かないからおやつもいらない。薬を飲まなきゃいけないからお酒もいらない。それでも全然大丈夫なのだ。何かを無性に食べたいという欲が今はない。

「自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって、自らを決定するのである」

誰だったか忘れたが、誰かの言葉を思い出した。経験に与える意味ね...、とてもよくわかる。コロナの真っ最中であってもばんばん買い物をする人はするだろうし、動かなくても美味しいスイーツを毎日食べる人はいるだろう。夜な夜な高級なシャンパンの栓が抜かれて、それをがぶ飲みしている人もいるだろう。それがいいか悪いかは別として。

私は私の経験に「ある意味」を与えたのだと思う。コロナは憎いし小指の痛みは辛いが、欲の鎮静化の効果はあった。

人間は時々辛い思いをした方がいいかもしれない。何かが鎮静化するかも。

経済も回さないといけないのはわかる。お金は使わないと増えないのもわかる。でも今は鎮静化された欲の塊がとても心地いい。

飽きるまで鎮静化していよう。


読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。