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もっとたくさん人を愛して死んでいきたい

「某・川上弘美」を読み終えた。
不覚にも最後は涙するという結果になって、私にもまだ人間のやわな心が残っているのだと再確認した。

「某」という言葉の意味をネットで調べてみると、『人の名前や、地名、場所、時などについて、それとはっきりわからない場合、あるいは、それとはっきり示さず表現する場合に用いる』と書いてあった。
なるほど...と思う。はっきりわからないのだ。
何もかも。

主人公の「わたし」は、突然この世に現れた。人間のような姿をしているが、名前も年齢も性別も生きているのかさえ自分ではわからない生命体だった。「わたし」が病院を受診するところから物語は始まる。世界に100体足らずのそういった「誰でもなない者」が存在するという。彼らは次々と姿を変えて永遠に世界中で生き続けていくらしい。「わたし」は、まず担当医の指導のもと、「丹羽ハルカ 16歳 女子高生」として生きていくことになったが…

誰でも変身願望はあるだろう。素敵な女優さんを見たら「私もこんな人に変身できたらなぁ」とか才能のある人を見たら「あんな才能がある人に変身したいなぁ」など。でもそれは不可能であるとわかった上で勝手に憧れているだけで可愛らしいものだ。でもこの物語に出てくる「わたし」を始めとする数人の誰でもない者は、次々と様々な人に変身していく。でも、変身願望のある私がこの本を読んでてそれが羨ましいと思わないのは何故だろう。

誰でもない者たちは生きるということにあまり実感がなく、人間の感情がうまく掴めない。人間と接していくうちに「これは愛という感情なのか?」「これが好きということなのか?」と自問自答しながら生活しているが、はっきりとこうだとは言い切れない。それは、とても悲しいことなんじゃないかと読みながら思った。私たち人間は好きな人ができたり愛する人ができたりすることによって人生の幸せを感じることが多い。それがたとえ悲しい結果に終わる愛であってもそれを経験することによって人生に深みが出てくるのだと思う。彼らにはそういう想いがなかなか訪れない。

川上弘美さんはSF作家でもあるけれど、そしてこの作品もSF作品のようにも思えるが、私はそれだけではないような気持ちで読んでいた。
以前、映画「i ROBOT」を見た。その時にも同じようなことを思ったのだが、自分以外の誰かを愛するということの素晴らしさを教える愛の物語なのだと。
ラストは少し切なく涙が溢れる。
私たち人間が忘れかけている誰かを心から愛するということは、こういうことなのだと教えられたような気がした。



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