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映画 『死刑にいたる病』

公開直後、観ることが怖くて時期を引き伸ばして今になってしまった。
映画『死刑にいたる病』を観た。

何をしても面白くないと感じ鬱屈した生活をおくる大学生の筧井雅也の元に、ある日突然一通の手紙が送られてきた。その手紙は、24人の若い男女を猟奇的な方法で殺害した犯人である榛村大和からの手紙だった。
拘置所から送られてきたその手紙には『会いにきてくれませんか』と書いてあった。
雅也は数日間いろいろ考えて榛大和に会いに行くことにした。
面会室で雅也は大和から思わぬことを聞かされる。そして雅也はその後、この事件に必要以上にのめり込んでいく。のめり込んだ先にこの事件の本質が現れ雅也は深い沼に沈んでいく。

殺害シーンは目を背けたくなるくらいの強烈な映像となっている。
本当に怖い。榛大和が本当に怖かった。
人が猟奇殺人を犯す心理というのは、理解はできるものではないが、人間の心の闇というのは何をどうこねくり回してもどう足掻いても抑えることができなくてそれを誰も止めることができないのだなと思った。

最後の最後のシーンで「やはり...」と思う。
最後の最後に鳥肌が立つ。
この映画にもし私が出演するとしたら、必然的にこのシーンのこのセリフだろうと思う(観た人しかわからないと思うが...)
そう、そういう心理はあながち特別ではないのかもしれない。
私の文章力ではなかなかうまく表現することはできないが、

どんな正気のなかにもわずかな狂気が存在し、
狂気の奥底には正気の種がちらついている

ということなんだろうと思う。
狂気は私にもどんな真面目な人にも存在していて、奥底にある正気の種がそれを出さないように制御している。制御できない、あるいは制御するつもりがない人間が榛大和になってしまうのではないか。
榛村大和は凶悪犯人でありながら、なぜか人を惹きつける魅力を持っている。それが正気の種だとしたら人間って本当に怖い生き物だとまた違った意味で怖くなった。

主演の阿部さんは私が愛してやまない俳優さんだが、昔から立っているだけでどこか狂気が漂う役者さんで、舞台で3枚目役をやっていても「この人なんかしそう...」と思わせる人だった。そういう雰囲気が好きな理由でもあるのだけど、今回の映画はその何十倍もの狂気が出まくり、さすが私の愛した人だと感心した。

観る時期は今で良かったと思う。
比較的に落ち着いて観れたように思う。
映画や本って読む時期によって自分の感情が変わるのが不思議だ。
この作品に関しては封切り間際に観たら、嫌悪感しかなかっただろう。
そのくらい狂気というものは至るところに転がっている。





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