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そして、それでも生活は続く[最終話]

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。
いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。
『霜柱を踏みながら 23[最終話]』


たとえばとてもいいお天気で、暑くもなく寒くもなく、窓を開けていると穏やかな風が遠慮がちに入ってきて、そんな中でソファに寝転がって好きな本を読んでいたらウトウトと眠くなって、猫が横でにゃ〜と鳴いても気づかずに深い昼寝に入っていく。手に持った本はバサっと床に落ちて、床で開かれたページはなんてことない小説で、そこには複雑な意図も何かの予言も何も書かれていない。そんな私好みの昼下がりに突然心臓が止まってしまって、昼寝から目覚めることなく死んでしまったとしても私は後悔しない。むしろ喜ばしい死だと思う。悲しむ人は数人いるかもしれないが、それも長くは続かないだろう。そんな私好みの日が年に一度か二度訪れることがある。そんな時「あぁ、今、心臓が止まってもいいな...」と思う。でも幸か不幸かそんなに簡単に心臓は止まらなくてまだ私は生きている。

これは自殺願望でも私の死生観などでもない。生まれるときは状況を選べない分、『死ぬときくらい好きにさせてよ』という、どこかの女優さんの広告のコピーみたいにな気持ちで漠然と思っているだけだ。何事にも抗うことが嫌になってから素直に死について考えるようになった。年齢に抗って若さを手に入れようと躍起になることにも飽きたし、誰かと比べてその上を行かなきゃということにも飽きた。でも人間は実際の自分より良く見せようとすることで向上心などが生まれるというのも確かだから、そういう意味では私は向上心に飽きたと言えるのだろう。でも他人との比較ではなく自分の中にいるいろんな性格の私と戦うことは多々ある。それによってかろうじて向上心は保たれているような気がしている。今まで生きてきた年月の分、戦う相手は多い。優しい私、キツい私、我儘な私、バカな私、優秀な私、下品な私、礼儀正しい私、投げやりな私、清純な私、アナーキーな私...数え上げるとキリがないが、その相手との戦いに勝つか負けるかということではなく、みんなと折り合いをつけて最後は私の好きなシュチュエーションでこの世から静かにフェードアウトしたいということだ。

タクシーの運転手さんが、「その住所だけじゃわからないな、その辺もいろいろ変わってるしね。何か目印になる建物とか覚えてないですか?」と私に尋ねる。バスでのんびり行けば良かったのだが、時間がないのと早くその現場を見てみたいという焦る気持ちでタクシーを選んでしまった。私より随分若い運転手さんは困り顔だ。私はしばらく考えてその辺りでは比較的に有名なお寺の名前を伝えた。目的地からは少し離れている場所だが仕方ない。そこしか思い浮かばなかった。運転手さんは「そこなら大丈夫。まだ健在ですよ」と言いながらタクシーは動き出した。

「そこらへんはマンションがたくさん建ってね、昔は田んぼや畑だったらしいけど、今はもうお客さんの探しているものはないかもしれないな〜」

「そうなんですね...」

「お客さんはどのくらい前にそこに住んでたんですか?」

「もう40年以上前になります」

「そりゃ、もう何もかも変わってますよ。きっと行っても何もわからないんじゃないかな」

田舎のタクシー運転手はよく喋る。どこかそういう田舎くさい運転手さんの話し方が懐かしいなという思いがあったのも確かだが、ちょっと黙っていてほしかった。どこか見覚えのある場所はないか、思い出の片隅に残っている場所はないかと通り過ぎる景色を見つめていた。15分ほど走ってお寺の前に着いた。料金を支払って降りる時に「お気をつけて、ありがとうございました」と言われた時に、やっと自分の世界に戻れたような気がしてホッとした。

私はこの「私小説・霜柱を踏みながら」の最後の仕上げをするために物語の舞台である子供の頃過ごした奈良県にあるこの町を訪ねることにした。その場所がどうなっていようと、過去の出来事が変わるわけではない。でも変わってしまっているであろうその場所に変わってしまった私が立つとどうなるかを感じてみたかったのだ。そのお寺の前でタクシーを降りて周りを見渡す。中には数人の観光客がいた。昔は竹藪だらけの中にちょこんと建っていたが、今はずいぶん立派なお寺になっている。ちょこんと建っていたというのは私の思い過ごしかもしれないが、お寺の前に同級生の家があったはずだがそれは見当たらなくて、そこは観光客用の駐車場になっていた。うっすらと覚えている道を歩き出す。家から一番近くにあった何でも売っている商店はコンビニに変わっていた。大きな屋敷が建ち並ぶ地主さん達の住んでいた地域も小綺麗な建売住宅地へと変わっていた。ずいぶん風貌は変わってしまったが、ガソリンスタンドはまだあった。ピクニックごっこをして遊んだ空き地にはスーパーマーケットが建ち、カズヨシとミユキと遊んだ田んぼはマンションに変わっていた。ここの田んぼの霜柱を踏みながら私は学校に通っていた。寒くなると霜柱が立つのが楽しみで仕方なかった。ザクザクという音が心地よくて、いろんな悩みや家族の不都合やこれからやってくるであろう嫌な予感にもそのザクザクを聞いている時は気にならなかった。ずっとその音を聞いていて学校に遅刻したこともある。1日の始まりの覚悟を決めるため、あるいは1日の嫌なことを忘れるため、その霜柱はあった。何もかも変わった。そりゃそうだろう。私だって変わってしまったのだから。

引っ越してきた日、雨の中を泣く母に引っ張られて歩いた道、迎えにきた父の無言の背中を見ながら引き返した道。全部新しい何かに上書きされて、知らない誰かの思い出の道になっている。私の後に道はないのだ。もちろん私の前にある道も永遠には続かない。そう思うと青臭い青春白書みたいだが、人間は今を生きるしかないのだと思う。

写真は一枚も撮らなかった。

私の心はもうここには存在しない。それでいい。

今、私は大阪のほぼ中心の街で夫と猫とでマンション暮らしをしている。夫は人から「すごいね」と憧れられる職業をしている。でも私にはそんなことはどうでもよくて私の人生に何の意味もない。どんな仕事をしていても本人が有意義に過ごしてくれる方が重要だ。私も時々仕事をする。それはアルバイトと言えるほどのものでもなく、突発的に「やりませんか?」とお誘いを頂いてその時にやる気があればやるという程度のわがままな仕事の仕方だ。それで頂いたお金で大好きな本を買い漁っている。日々の暮らしはこのnoteの「うすのろ日記」に綴っている通り、うすのろな毎日でそれを楽しみに読んで下さる方もいて言うなれば健やかに時を過ごしている。でも、ほんとうはもっと人間の奥底にある本音を書きたいと思っている。「いいね」や「スキ」に惑わされるようなものは書きたくないと思っている。そんなものは窓からエイヤァ〜と捨ててしまいたいと思っている。だが、それができない小心者である。健やかであればおまえはそれで満足なのかと自問自答する...

...が、その「今」を生きるしかないのだ。

『その今を生きるしかないのだ』そう思う自分もいつかこの世からいなくなる。そしてその跡には何も残らない。私は一般人なので著名人のように何年経ってもその人の作品や功績が受け継がれるようなことはない。新しいものにどんどん上書きされて更新されていくのが人生であり世の中の常だ。死んだらそこで上書き、更新は終了となるということを念頭に置いてこれからもここに存在するつもりである。

* あ と が き *

個人的で、それにさほどドラマチックでもない私の物語『霜柱を踏みながら全23話』を読んでくださりありがとうございました。

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。
いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。

この言葉をサブタイトルに付けて、ずっと書いてきました。これは、数年前にとある雪国に旅をした時にふと思った言葉です。雪が舞うように降っている道を宿に向かって歩いていると、雪道に私の靴の跡がつくのだけど、振り返るともうそこには新しい雪が積もって足跡が消えているという体験をしたときに感じたことです。数秒で消えていく足跡。それは数分、数時間、数日、数年と時間を重ねると、今歩いている道や、横に見えている建物や、挨拶を交わす住民や、玄関先で吠える犬や、そんないろんなものがなくなってしまうのだろうなという焦燥感でした。

悲しからずや人間の脳からもいろんなことが消えていきます。今私の脳に残っている記憶を何かの形で残していきたいという気持ちからこの物語を書きました。それに第三者である皆様に乗っかって頂き、応援して頂き、何とか記憶をたどりながらここまできました。

ほんとうにありがとうございました。

ここで終わり。

でもまたいつか。

2021年10月21日 イトカズ

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