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不整脈のような自分を明け渡す。

2020.9.20(日曜日) pain

どうも様子がおかしい。日替わりで体に痛みがやってくる。首筋、腰、右膝、左膝といった具合に。今日は左膝の日だ。こうやって並べてみるとまるで老人ではないか。まぁ若いとは言い難い年齢ではあるのは確かだけれど。日替わりというところが多少の容赦があるのだろう。これが痛みが重なるとなるときっと耐えがたい苦痛になるのではないかと思っている。

頭痛持ちの友人がいて、その人が「頭痛は快感」だと言っていた。何をふざけたことを言うのだと思って詳しく聞いてみたら「痛みはどこかに不具合があるという証拠でもあるけど、生きているという証拠でもある」だって。だから頭痛が始まりそうになると「あぁ、私は今日も生きてるぞ」と思うそうだ。なんてポジティブな考えの人だろうと彼女に会うたびに思う。それと似ているかどうかわからないが、90歳を過ぎた方のブログにこんなことが書いてあった。

 朝起きると昨日とは違う体の不具合に気が付く。初めて体験する不具合が毎日やってきて、生きているとこんなことも起きるのかといつも驚きの朝を迎えてる。今朝は眼の白い部分が目玉焼きの白いところみたいにぶよぶよになってびっくりした。こんなこともあるのかと思いながら「そうか、今日はそう来たか」と老いていく自分を楽しんでいるところもある。(一部抜粋)

自分でどうにもならない痛みや不具合は、視点を変えて楽しむのが得策かもしれない。我慢しきれない痛みには鎮痛剤を投与し、我慢しきれな苦しみには医者を頼る。それ以外の「あらまっ、こんなことが」くらいなら「生きてる証拠」と思えたらいい。明日は足が動かなくなってスーパーにも行けなくなるかもしれないけど「ほぅ、そう来たか」と言えるようなおばあちゃんになりたい。できないことはすっぱり捨て去り、できることを卒なくできるおばあちゃんになりたい。そうなるには着実に時間は過ぎて行ってることを自覚しないといけない。それができない人はいつまでたっても若い自分を捨て切れないのだ。

夫にワインを買ってきてもらった。

痛みも苦しみも、だいたいのことはワイン1本でどうでも良くなる。

私の場合...


読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。