新年、後ろからズドン
2024.1.3(水曜日) New Yesr
まずは …
1 月 1 日に発生した令和 6 年能登半島地震によりお亡くなりになられた方へご冥福をお祈り致しますとともに、被災者のすべての方に心より見舞いを申し上げます。
本来であれば「おめでとうございます」と、朗らかに投稿始めをするつもりでいた。
しかし、実際には不穏な新年の幕開けとなった。
元旦に起こった能登半島地震、2日には羽田空港でJAL飛行機衝突炎上事故と続いた。
いろいろ情報を目に耳にするたびに、私に何かできて何ができないのかということを考えさせられる新年となった。
1 月 1 日の午後 4 時 10 分、私はリビングのテーブルで書き物をしていた。
夫は自室で寝転がってテレビを見ていたと思う。
最初ゆるい揺れがあって「地震かな?」くらいのそれほど気にすることのない揺れだった。
その後、カウンターに寄りかかったまま動けなくなる私がいた。
キッチンにワイングラスがぶら下げてある。そのワイングラスが揺れてカランカランと音を立て始めた。落ちて割れたら大変と思ってキッチンに行ってグラスを全部シンクの中に移動させる。
その時点でものすごい揺れになっていて、夫は自室からリビングに来るも立っていられずにテーブルにつかまったままで動けない。
私はキッチンのカウンターに寄りかかったままで動けない。
猫用の水飲みボウルから水がこぼれてその辺りが水浸しになり、正月用の花が生けてあった花瓶が倒れてまたその辺りが水浸しになって、棚から鏡餅が転げ落ちて、壁にかけてあった額がガタンという音を立てて落ちた。それでも動けずにその水が滴って流れていく様子がまるでスローモーション再生を見ているようで怖かった。
実際の時間はわからないが、1 分以上揺れてたように思う。
揺れが少しマシになって思ったのが『これは南海トラフ地震だな』と。
大阪でこれだけ揺れるのだから南海トラフ地震に間違いないと…勝手に思い込んでいた。後にテレビをつけて能登半島地震だということを知るまで私の中にはそれしかなかった。
テレビの中にある能登半島の様子を見てびっくりした。
すでに画面では、早くも地震による火事の様子が映し出されていた。
私たちの被害といえば、リビングが水浸しになったことと壁にかけてある額縁が落ちて、鏡餅が落ちたことだけ。
その程度で怪我ひとつなかったにもかかわらず、こんなに動揺している自分が情けなくなって、被災地の事を思うともう胸がずしんと重くなった。
夫は会社の災害対策担当から安否確認をの電話を受けて、長話をしてるなぁと思ったら、会社の女子社員の一人が実家に帰省していて、その帰省先が石川県らしくて家が半壊しまったということだった。
その対策を会社としてどうするかということを話し合ってたらしい。
夫が一言『神様は人間に容赦ないな〜』って言いました。
よその国の戦争もそうだけれど、最近の神様は弱い人にたちに対して本当に容赦がないと私も思った。
夜になって落ち着いてきてから、私達に何ができるかって夫と話し合った。それと同時に何ができないかも話し合った。
ただ悔しさは半端なくある。
地震は予測できるものではないけれど、崩れ落ちていく家とか、避難するのに大変な思いをしている人たちとか、生活用水をもらうために長蛇の列を成している人たちとか、避難所で寒い思いをしている人とか、そういう映像を見ると。何もできない自分とそして何かをするべき政府はそのスピードに追いついていないがほんとに悔しい。
それと寄り添う側の格差にも驚く。
寄り添う、寄り添わないは自由である。
自由ではあるが、その差が年々広がっている気がしている。
それぞれがそれぞれの立場でこういう場合、寄り添う側になるにしろ被害者側になるにしろ、自分はどういうスタンスをとるのか考えることが必要だなと思った。
浮かれ気分の私の背中に後ろからズドンとピストルの弾が発砲されたような衝撃を受けた新年となった。
暗い話になるなとはわかっていたが、それをどうしても記録として配信したくてこういう内容になりました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しく新年を迎えている方々には、水を差す投稿となりましたことをここにお詫び申し上げます。
読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。