マガジンのカバー画像

[私小説] 霜柱を踏みながら

24
私小説です。時系列でなく、思い出した順番で書いてます。私の個人的な思い出の物語です。
このマガジンは私の私小説風のエッセイで、月に3本くらい2000文字前後の作品を投稿していく予定です…
¥100
運営しているクリエイター

#霜柱を踏みながら

そして、それでも生活は続く[最終話]

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 23[最終話]』 たとえばとてもいいお天気で、暑くもなく寒くもなく、窓を開けていると穏やかな風が遠慮がちに入ってきて、そんな中でソファに寝転がって好きな本を読んでいたらウトウトと眠くなって、猫が横でにゃ〜と鳴いても気づかずに深い昼寝に入っていく。手に持った本はバサっと床に落ちて、床で開かれたページはなんてことない小説で、そこには複雑な意図も何かの予言も何も書かれて

無花果なんてすべて思い出の果て

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 22』 小学生の頃の友達の家の庭には大きな無花果の木があった。学校の帰り道、その子の家の前に差し掛かると、玄関より先にその無花果の木が目に入ってくる。「じゃ〜ね、また明日。バイバイ」と手を振る。その子が玄関へ入っていくのを見送ると、私はもう一度大きな無花果の木を見上げる。夏になると立派な実をつけていた。後になって知ったことだが、無花果には「夏果」と「秋果」があって

油断した夜、ラブリーさが滲み出る

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 21』 私はまだ20代前半という年齢だったにもかかわらず、胃・十二指腸潰瘍を患っていた。原因はおそらくストレスだろうと医者に説明された。その医者の説明には1ミリも反論はなかった。その時は自覚できなかったが、今から思うと相当なストレスも抱えていたのだろう。それを紛らわすためにお酒も飲んでいた。友人たちはに「おじさんの病気みたいだね」とからかわれた。それに対しても1ミ

あのころあの町のクリスマスの片隅で

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 20』 子供の頃のクリスマスの思い出はあまりない。現代のように恋人同士がデートをしたり、高価なプレゼントを交換しあったり、家族や友人同士でホームパーティをしたり、私が子供の頃のクリスマスはそんな煌びやかなものはなかった。ただ日常と違うのは町のケーキ屋さんが店頭にワゴンを置いて、何日も前に作ったと思われるケーキを並べて、居酒屋の呼び込みのようにに大きな声を張り上げて

時がたち、インクの滲みが消えるころ

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 19』 私の部屋のクローゼットに、スカーフやハンカチなどの小物が収納された籐カゴがある。何枚ものスカーフが折り畳まれたその一番下に一枚の古い絵葉書が仕舞われている。その絵葉書だけは誰にも見られたくない。やましいことが書かれているわけではないが、それは私の人生に影響を与えた出来事が関係しているからだ。消印は1998年3月3日となっている。グアテマラからのその絵葉書に

愛の匂いのするスープ

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 18』 先日何気なく見ていたテレビドラマの中で、不治の病でもうすぐ死ぬであろう娘がお父さんにひざ枕で耳掃除をしてもらうというシーンがあった。子供の頃の思い出を最後にもう一度味わってみたいという娘の願いに応えた父の姿がそこにあった。そのシーンを見た時に、とても悲しい場面のはずなのだけどすごく懐かしい気持ちが込み上げてきた。それは、ずっと忘れていたけど私も子供の頃こう

青春は、傲慢と謙虚のはざまでゆれる

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 15』 両親があんな風だったせいもあり、それに加えひとりっ子だったせいもあり兄弟・姉妹の世話をすることもなく、親戚も遠方にいたため四六時中の付き合いもなく、両親と向き合っていない時はひとりで時間を過ごすことが多かった。今のようにインターネットやゲームなどはなく、ひとり遊びの原点といえば漫画本を読むか児童図書を読むかくらいしかなかった。今の子供たちからすればなんて退

まさにその世界で、笑っていた無垢なアイツ

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 14』 その子は、名前の一部を取ってみんなから「シン」という愛称で呼ばれていた。高校の3年間を通して付かず離れずの友達だった。親友と呼べるほど親密ではなかったけど、常に振り向くとそこにシンはいた。シンは小柄で髪はショートカットで日焼けしたような小麦色の肌をしていた。顔は特別可愛いというわけでもなくかといってブスでもなく、平凡な顔だったように思う。でもどういうわけか

最後まで、あなたは溶けきらない氷でした

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 13』 早朝、ベッドの中で起きようかどうしようかとうだうだとした時間を過ごしているときに携帯電話が鳴った。着信画面から相手は誰だかわからないが、日本からだということがすぐにわかって電話に出る。 「もしもし。私、お母さんだけど、ちょっとお願いがあるのよ」 「何?」 「明日ね、乳癌の摘出手術を受けるのよ、家族の立ち合いが必要なんだって、病院まで明日来てくれない?

眉毛のない男と恋をする

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 12』 私は17才の誕生日を迎えていた。高校生なった時から17才ってなんとなく特別な年齢のような気がしていた。16にも18にもないキラキラに少しヌメリやコクを足したような特別さがあるように思っていた。キラキラ感だけじゃなくそのプラスアルファが欲しくて早く17才になりたかった。なぜそんなふうに思っていたのだろうか...流行りの歌謡曲には「17才」という言葉ががよく使

八月の暑い午後、静かにすすむ予感

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 11』 8月15日の午前11時半、灼熱の太陽が照りつけている。拭っても拭っても吹き出してくる汗に辟易していた。念入りにお化粧したつもりだが、ハンカチには汗で流されたファンデーションが付着している。うんざりだと思う。待ち合わせの駅に到着して思わず自動販売機でソーダ水を買った。それをふた口飲んだところで待ち合わせの相手が遠くから手を振っていることに気がついた。相手に負

別人になりきれない苦悩と終の快楽

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 10』 『あんた、盲(めくら)なの?』 その台詞がどうしてもうまく言えなかった。何度も何度も演出家の「違う!」というダメ出しを受けてもう何が何かわからなくなっていた。若干16才の小娘にこの台詞は強烈すぎた。今でも映画や演劇を観ていると、この台詞をいうのに苦労したんだろうなと思う台詞が必ずある。それが言えたらピシッと芝居が決まる。言えないまま続行された芝居はどこか

神様は、ときどき優しい顔をする

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 9』 私は生まれてこのかたずっと無宗教だ。ほとんどの日本人と同じように、大晦日にはお寺の除夜の鐘を感慨深げに聴き、年が明けたら神社に初詣に行き、お盆にはお寺で手を合わせ。ハロウインにこそ手を出してはいないが、クリスマスになればチキンを食べ、煌びやかなケーキも食べる。心の底から何らかの宗教を信仰されている国の方からすれば、なんて優柔不断な国民性なんだろうと思われてい

混沌が閉じ込められた部屋

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 8』 ある日、唐突に父が家出をした。ある日...などと呑気に表現するにはあまりの出来事に我が家は、特に母は狂うかと思うほど狼狽えていた。父は数日分の着替えと我が家の全財産が入った貯金通帳を持ってメモ書きひとつ残さず家出した。 朝から「お父さんがいなくなった」と大騒ぎする母を、何が起こったのか把握できない私はぼんやりと見つめるしかなかった。11才の夏休みを母の実家