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「聴いたことがない」が好きだから

コーヒーはハンドドリップで淹れると、毎日少しずつだけど味が違う。お茶もほうじ茶にすると、熱の入れ加減で少し味が変わる。味噌汁も具の種類や味噌の量や溶き方で味は変わる。
ちょっとした変化が好きだし、それに気づく生活を続けることで新鮮な気持ちでいられるような気がする。

逆に、コーヒーは市販のものだと同じ風味になるし、お茶もティーバックだと安定した風味になる。味噌汁もお湯をいれるだけのものだとほとんど同じ味になる。同じ味になるということは、大変な技術の集積だ。
だけど僕は同じ風味が毎日続くと飽きてしまう。単純に飽き性なのかもしれない。

ジャズセッションを続けていると「〜みたいな演奏」を好む人とたびたび出会う。チャーリー・パーカーのフレーズを完璧に演奏して楽しんだり、定番のキメを求めていたり、お決まりのイントロやエンディングを用意してこなすことを是とする人たちだ。それが良いとか悪いとかではなく、誰しも聴いたことがあるジャズを目指している人は少なからずいる。
かたや僕は、そういった「〜みたいな演奏」をやりたいと思ったことがない。いや、少しはあるが、たとえばパット・メセニーのようなフレーズを弾いたとして、それを弾いた後に感じるのは「うまくモノマネできたな」くらいの達成感しかない。演奏をコピーする楽しさはわかるが、ことジャズに関してはコピーしたフレーズで演奏するたびに”一歩遅れているような感覚”に陥る。「それは先にやられてるよ」と音楽の神様が耳打ちしているような感じだ。

同じ感覚が、曲を作っているときにも起こる。Audiostockに投稿をする初期のころ、YouTuberがよくBGMで使うような曲を作ろうと試みたのだけど、どうしても「うまくモノマネできたな」くらいの感想しかなく、数曲作っては飽きてしまった。やっている最中に飽きてくるのだから、僕はそういう”モノマネ”がだいぶ向いてないのだと思う。職業作家なので「〜みたいな曲にしてください」という依頼を受けて、それに寄せて作ることはできるし、さほど苦労も感じないのだけど、それはギャラあっての話であって、好き好んで誰かさんみたいな音楽を作るようなことはほとんどない。「仕事になるなら」と試みてみる程度の話であって、心底楽しんで音楽制作をしているときとは、テンションが違っている。

きっと音楽を仕事にするのであれば(仕事でなくてもインプレッションを稼ぎたいのであれば)、誰もが聴いたことがある音楽を作る方が近道だ。いまなら有名ボカロPが作るようなポップスや、YOASOBIのようなトラックと歌を目指せばいいだろう。
ジャズプレイヤーとしても、ウェス・モンゴメリーやパット・メセニーやグラント・グリーンのようなサウンドやプレイをコピーして演奏録画して投稿すれば、精度がよければ良い反応が得られるかもしれない。
つまり、世間の多くは「知っているもの」を評価したがるし、「聴いたことがない」ものについて反応が鈍るのだと思う。

僕はあまりそっちを向いていない。
YOASOBIのような音楽を聴きたいならYOASOBIを聴けばいいし、メセニーみたいな音楽を作るよりはメセニーの新作を期待して待つ方が有効な時間の使い方だと考えるからだ。


(アレンジではなく)作曲をするときは、鼻歌みたいに音楽が聴こえてくる。僕はこの”自分にしか聴こえていない音楽”のことをInner Music(内なる音楽)と呼んでいる。多分、作曲をする人はみんなInner Musicに心当たりがあるんじゃないかと思う。お風呂に入っている時にメロディが思い浮かぶ、みたいなやつのこと。
ジャズの演奏をしているときもほぼ同様に”自分にしか聴こえていない音楽”を演奏する。もしかしたら誰かのフレーズが手癖になっているものかもしれないし、音の並びやリズムが誰かに似ているかもしれないけど、その”誰か”を意識して演奏することは一切ない。音楽理論のシステムとリズム遊びでジャズを楽しんでいる。

別に特殊能力だとは思わないし、オリジナルの発想ではない。この発想は、関西のピアニスト竹下清先生が「次に鳴りそうな音を演奏する」と言っていたことがヒントになった。
それで、ずっと演奏できるシステム、ずっと作曲できるシステムを自分なりに構築しようと考えたときに、『頭の中に鳴っている音をアウトプットする』『次に鳴りそうな音をアウトプットする』を鍛えるのが最適解だと行き着いた。(この2つは微妙に違う)
もちろん、そのアウトプットが100%純粋にできるわけもなく、頭の中に何も鳴っていないときは”誰かみたいな”をやるテクニックも必要だと思う。そのためのテクニックを日々磨いている、それが音楽家という生き方なのだと思うようにしている。


好きな音楽を好きなだけ作ってたいのが理想で、誰かの役に立ちたいという気持ちは2番目で、誰かのための曲が自分の好きな曲であるように努力するのが道理。
ライブ演奏も、自己陶酔の楽しみと観客の満足度のさじ加減だったりする。
どちらもテクニックが必要だし、鍛錬なしには得られないのだろう。
繰り返しになるけど、これは良し悪しの話ではなく性癖の話なので、社会性のある音楽家や演奏家について批判するものではない。むしろそういった努力を続けられる方々には頭が下がる。
僕は少しだけ、ワガママなんだな。

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