”コミュニケーション”の難しさ
【コミュニケーション(communication)】
社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする。
引用:広辞苑
みなさんはコミュニケーションが適切にとれていますか?
僕が病院で働いていたころは、自分自身のコミュニケーションは全く問題が無いと思い込んでいました。今思えばただの痛いヤツですが、意外とそのような方は多いのではないでしょうか。
自分のコミュニケーションが問題ないと思っていた理由としては
□患者からクレームが来ない&割と関係が良いと思っていた
□訓練内容や今後の流れの説明をしていた
という理由でしたが、今考えたらてんでダメだったと思えます。
今回は、その理由も踏まえてコミュニケーションが難しいということをひたすら書いていきます。ちなみに、今回の記事で話が前進することはありません。ただ、悩みが書いてあるだけの記事です。
伝わっているようで伝わっていないこと
コミュニケーションあるあるの一つ、「伝わっているようで伝わっていない」。1週間に1度は経験している人も多いでしょう。
かなりコミュニケーションエラーで多い&損害があるのが、期限についてです。
期限に限らずコミュニケーションは言い手・受け手のあらゆるものに左右されます。
●物事の認識
●教養
●価値観
●経験
●倫理観 etc…
上記の黒羊の"明日まで"は「明日の午前中には終わらせて、お昼には見せられるようにして」という意味です。
白羊は「明日の終業時間前に終わらせる」という意味で解釈していたようです。
もし、白羊側が色々な解釈をしたとしたら・・・
「明日の午前中に終わらせておく」
「明日の終業時間前に終わらせる」
「明日には終わらせるが、見せるのは後日」
「明日"まで"のまでっていつまでの話し?」
と、十人十色で考えるかもしれません。
しかし、"まで"はそのものの終わりの時までを示します。
ですので、日本語的な意味では「明日の23:59までに終わらせる」が正しい意味になります。しかし、「明日まで」と言われたら明日の業務時間内に終わらすのが通例かもしれません。
今回に関しては、上司の日本語が誤っていたことになります。
が、それが通用しないのが日本社会。
日本語的には解釈が正しかったとしても、言葉の意味はその人の経験等によって異なります。無難なやり方は相手の解釈を理解することが鉄則です。メンドクサイ(;´Д`)
え、やってくれると思ったのに・・・事件
回復期病院でよくあるの話。
通常、回復期病院では医師(Dr)、看護師(Ns)、PT、OT、ST、MSW(相談員)などがチームを組んで一人の患者を診ていきます。
それは、各々が各分野の専門家であり業務を分担することで、患者に適切で多角的な支援ができるものです。
例えば脊髄損傷の患者の場合。
僕が病院時代にPTとして働いていた時は、当然のように他職種が各々の仕事を進めているもんだと思って仕事をしていました。
この時、他職種間との"コミュニケーション"とは
●他職種の患者や家族支援の進捗状況を確認すること
●他職種へ連絡を取る頻度
●他職種へ連絡を取るタイミング
●他職種へ伝達する内容
これらを指すと思います。
慣れてくると流れや確認する事項が分かってくるので、そんなにコミュニケーションで苦労することはありません。
って、そんなことはありません。
どうしても人間がやる仕事なので、ミスがあったり我道を突っ走る人がいたりして思うように事が進まないこともあります。
個人の経験則ではありますが、他職員のコミュニケーションが上手くいかない時は
●家族や業者への連絡忘れ
●経験不足で退院支援の流れを分かってない
●分からないならまだしも、相談すらしない
●めんどくさくてor諸事情で他職種への連絡が後回しになってる
●チーム内の誰かが我道に突っ張り、状況がよく分からない状態になってる
●ミスを隠蔽している
●患者or家族のクセが強い
このような事が背景にある場合が多かったです。みなさんもどれか一つくらいは感じたことがあるのでは?
※最後の「患者or家族のクセが強い」は基本的にチームの各々が完璧に仕事をこなしていても、希望が強すぎて医療的限界を受け止めきれなかったり病状関係なくアドヒアランス悪すぎ問題が起きたりする場合を指してます。患者や家族が悪いとかそういう話ではないので悪しからず。
中でも多いのが、他職種がやっていると思ってたらやっていなかった問題です。
(このスライド作っている時に改めて人と働くこととの難しさを感じました)
スライドのような時は誰が悪いとかではなく、そもそもチームとして機能していないだけの話しです。もちろん、患者もチームの一人です。
解決方法はあるのですが、解決策に突っ込めば突っ込むほど泥沼にハマります。
例えば、Nsの「新人なんで分かりません」→先輩に聞くor先輩はフォローする体制と整える→教育システムを変える→・・・とキリがない。
他にも、連絡は適宜取ってるけど事は進んでいない不毛な議論問題など色々あります。だから、コミュニケーションは難しい。
患者にちゃんと指導してますから! ← "ちゃんと"の基準は?
これは僕の話です。
病院時代は患者-PT間のコミュニケーションに自信を持っていました。そうです、天狗になってました。
一見良さそうなコミュニケーションです。患者側も納得していて信頼もしているようです。
だがしかしbut
専門家としての立場でこのようなコミュニケーションでいいのでしょうか?
何割のPTが右のように患者と接しているのか分かりませんが、相手と話すことが専門家のコミュニケーションではなく、専門家として相手に適切な情報を提供し、治療に積極的に参加してもらい最大限の回復に努めるようにするのが大切なコミュニケーションではないでしょうか?
患者と話せる、丁寧に説明できる、親身になれる。
どれも専門家として超重要です。
しかし、提供する情報が経験則中心ではその情報の正確性はどの程度のものでしょうか?メリットしか話してなかったら、デメリットが現象として現れた時にはどのような言い訳をするのでしょうか?
カなき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
フランスの哲学者であるブレーズ・パスカルの言葉ですが、「力なき正義(情報の確からしさがない親身な対応)はありがた迷惑だけど、正義なき力(一方的な正論武装)はねじ伏せてるだけっすよ」と当てはめるとしっくり来ました。
勘違いして欲しくないのは、エビデンスゴリゴリ人間になれってことではなく、そう言った側面も必要だよってことです。
んで、結局どうすりゃコミュニケーションとれんのよ?
そこなのよ。
正直、僕の中で答えは出ていません。
ただ、僕の中で常々思っているのが立場でコミュニケーションは変わるということです。
僕はコミュニケーションの専門家でも何でもないので一参考にしていただければ幸いです。
多くのセラピストが人としてのコミュニケーションのみをコミュニケーション能力と呼んでいるのでは無いでしょうか。
仕事としても専門家としても十分なコミュニケーションが取れるようになるには、日々学んで実行するほかありません。
小さなことからコツコツと!・・・頑張りましょう。
では、最後までご覧いただきましてありがとうございました!
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