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『火垂るの墓』(高畑勲)ーアニメーションが死を描くということ

「節子のヒトコマ」は同じ「時間芸術」たる「音楽」がストップした時の不思議な静寂のように、曇りなく純粋な「死」だけがそこに在る。それは「アニメーションという技」の誉れであり、高畑さんはその力に着目する。

--大林宣彦「熱風」2018年6月号㈱スタジオジブリ

高畑作品にしては珍しく『火垂るの墓』は今でも世間で定期的に話題になる作品だ。近年の言及のされ方には一つの定型がある。イメージとして広く共有されている悲しい『火垂るの墓』の物語に対して、清太の自己責任論ないしは西宮のおばさんの擁護論から議論が盛り上がり、最終的に以下の高畑勲のインタビューが引用される流れだ。

当時は非常に抑圧的な、社会生活の中でも最低最悪の『全体主義』が是とされた時代。清太はそんな全体主義の時代に抗い、節子と2人きりの『純粋な家族』を築こうとするが、そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。我々現代人が心情的に清太に共感しやすいのは時代が逆転したせいなんです。いつかまた時代が再逆転したら、あの未亡人(親戚の叔母さん)以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、ぼくはおそろしい気がします。

高畑勲『アニメージュ1988年5月号』徳間書店「88年の清太へ!」

だが、このインタビューの引用だけでは、作品や高畑勲の意図を十分に説明しているとは言えないだろう。現在とは異なり、『火垂るの墓』の公開当時、殆どの日本の観客は清太たちに全面的に同情的になって作品をみていた。そのことに高畑勲が不満を抱いていたことは、他のインタビューやDVDの特典映像(Youtubeより引用)でも明らかなのだ。

14歳の清太は、人づきあいのつらさに耐えることができず、そこからはずれて結局妹を死なせ、自分も死んでしまいます。(…)親戚のおばさんを観て、今の若い人は「ひどい」とおもうだろうし、清太があの家を飛び出す気持ちに全面的に共感するはずです。しかし当時の状態を経験した人は、あの程度のいやみは特別のことでもなんでもなく、ひどい「いじめ」といえるかどうかさえ怪しいことを知っています。あのおばさんは利己主義ですが、それは多くの人がそうだったわけです。だから清太はもっと堪え忍ぶべきだったのではないか、わがまますぎたのではないか、と思う人がいて当然なのです。

高畑勲『ジブリの教科書4火垂るの墓』文春ジブリ文庫「映画を作りながら考えたこと」

敢えてわかりやすく言えば、高畑勲は”現代の少年”が意図的に投影される清太に、観客が全面的に同情的になることも、全面的に糾弾することも、どちらも批判的に見ていたと言って良いだろう。
前者に関して言えば、「わずらわしい人間関係」を厭い、快不快を基準にする行動原理を批判的に見てほしかっただろうし、後者についていえば、戦時という極限状態の中で他者を思いやれず利己的に振舞い、清太たちを救いきれない大人の姿と、それを強制させる時代を批判的に見てほしかったはずだ。

私たちはアニメーションで、困難に雄々しく立ち向かい、状況を切りひらき、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ばかりを描いて来た。しかし、現実には決して切りひらくことのできない状況がある。それは戦場と化した街や村であり、修羅と化す人の心である。そこで死ななければならないのは心やさしい現代の若者であり、私たちの半分である。アニメーションで勇気やたくましさを描くことはもちろん大切であるが、まず人と人とがどうつながるかについて思いをはせることができる作品もまた必要であろう。

高畑勲『ジブリの教科書4火垂るの墓』文春ジブリ文庫「「火垂るの墓」と現代の子供たち」

こうした高畑作品のキャラクターの「割り切れなさ」は、しばしば観客を混乱させてしまう。通常、そういったキャラクターがアニメーション作品で出てくることは稀であり、主人公であることはもっと少ない。一方で、高畑勲にとっては、そうした主人公や周囲の人間を描くことこそが、人と人との繋がりを考えさせることができると信じていた。こうした描写の原点は『母をたずねて三千里』だった。

マルコは母をたずねることに常にこだわり、しかし誇りだけは人一倍強く、ただの同情をひく少年となることに抗いつづけ、そのくせ結局周りの人々の恩義におしつぶされそうになりながら、悪夢のような人生を這うように進むだけです。(…)マルコは自我のせいで可愛気にかけていました。(…)マルコを取り巻く人々は悪人であってもときに良心のうずきに悩まされ、善人であっても善人であり続けられるほどの強さがなく、常に人生と社会に対してとまどいつつ向き合っている弱い弱い私たち自身の姿でした。
(…)私たちはここでおそらくはじめて、”主人公”たる資格に欠けた”人物”と”社会”を主人公にしたアニメーションを作り上げたのだと。(…)私自身としてはその後「火垂るの墓」でふたたび主人公たる資格のない”清太”という少年を取り扱うことになりますが、ふりかえってみれば、そのはしりが「母をたずねて三千里」だったわけです。

高畑勲『映画を作りながら考えたこと』文春ジブリ文庫「主人公たる資格に欠けたマルコ」

さて、冒頭の言葉の引用は、高畑勲とも親交が深かった映画監督の大林宣彦の言葉だ。大林宣彦は高畑勲作品の本質を「静止(=死)を捉えること」にあると考えていた。大林宣彦は独特な表現でそれを言語化する。落下するリンゴを静止した状態で描き、それを見つめ観察しようとするのが高畑勲のリアリズムだと。

映画は百年間、いろんな技を探求してきましたが、人間の”死”だけはどうしても描けないんです。劇映画というものは、ご承知の通り、演技ですよ。つまり、演技で絶対にできないものは”死”なんです。(…)あの黒澤明さんですら「大林くん、映画ってのは不自由だな。”死”が描けない」とおっしゃっていた。文学は”死”を描くことで”生”も描ける。”生”を描くということは”死”を描くことだけど、”死”を描けないということは、映画はまだ”生”も描けていない。「どうする?」と。
(…)高畑さんの『火垂るの墓』を見たら、「ああ、アニメのひとコマだ。”死”だと。」あの節子を、ひとコマで描いたから”死”になっていたんです。しかもそれを確信犯的に”死”の表現に使ったのは、これはアニメも含めて高畑さんが映画史上初なんですよ。それで成功させたのはね。

--大林宣彦『BSアニメ夜話vol.07アルプスの少女ハイジ』キネマ旬報社p.99-100

アニメーションとは、アニミズムという語源から言っても「命なきものに命を吹き込む」表現だ。アニメーション賛歌の言葉としてよく使われるフレーズだが、高畑勲はアニメーションの一枚一枚の絵が本質的には死んでいることを理解していた。だからこそ、アニメーションでしか表現しえない人間の”死”を表現し得たのだという大林宣彦の評価は核心をついているように思える。我々が節子の死に目をそむけたくなるのは、この作品でしか成し得ていない”死”が映っているからに他ならない。

節子の死

『かぐや姫の物語』の公開当時、セルアニメの制限を取り払って画面の全ての線が動き出す表現手法は、アニメーションの根源に立ち戻って生の喜びを表現していると評価されていた。その対極にある表現手法が、この『火垂るの墓』の節子の”死”の描写だろう。
「”死”を描くことで”生”も描ける。」まさしく大林監督の言葉の通り、高畑勲は『火垂るの墓』で死を描き切り、『かぐや姫の物語』で生を描き切ったのだ。

最後に余談ではあるが、野坂昭如の原作にはない、高畑勲らしい細やかな演出場面をいくつかピックアップしてみたい。

冒頭、終戦直後の三宮駅で餓死寸前の清太に、さらりと差し出される白米のおにぎり
道行く人々の侮蔑的な台詞(原作通り)と対照的な善意は人間観の実感に則したものだろう
きれいさっぱり焼け野原になったことに安心をしている(ように振舞う)人々
高畑勲の空襲体験を踏まえた生々しい空気感の描写と思われる
節子の雑炊が汁だらけだと気づきつつも、
何も言わず、顔を赤らめて食べ続ける西宮のおばさんの娘の描写
終戦後、疎開先(別荘?)から呑気に帰ってきて蓄音機(「埴生の宿」)を流す富裕層の娘たち
戦争(空襲)体験が当時に生きた人々にとっても、必ずしも平等ではないことが意識される

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