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人間は何を、"愛"としたのだろうか pt.Ⅰ

国立新美術館の『ルーヴル美術館展 愛を描く』のチケットを縁あっていただいたので観てきました。
天使や、淡いピンクを基調としたトーンの絵が宣伝では多く使われていて、若い女性たち(同年代の同性)が多く訪れている印象があったこの企画展。
同年代の女性たち(大学生〜20代)がこぞって美術館に行った投稿をSNSアップしているのが気になっていました。

◆まえがき◆

「ルーヴル(louvre)には愛(love)がある」
このキャッチコピーが印象的ですが、LOVEをテーマに様々な作品からピックアップするというのは新鮮でした。

「愛」という普遍的で想像しやすいものを軸に展示することで、神話や聖書に馴染みのない人たちにも、アートを身近に感じてもらいたいという企画者の方々の想いを感じました。芸術鑑賞の時にありがちな「なんか難しそう」と敬遠してしまうような感覚を減らそうと、受け手に寄り添ってくれているような。
今回はこの企画展に行ってみて感じたことを書いてみます。
(pt.1は前向きなこと、pt.2はややひっかかったことなどになる予定。)

恋愛と不可抗力

今回の展示の中でとりわけ登場したのは、天使の姿をしたアモル。日本人の私たちでも何気なく例えに使ったり、思い浮かべたりする「恋のキューピッド」は、ギリシャ神話におけるアモルが元になったものです。
そのアモルは、いたずらに弓矢で人間の心を射抜き、射抜かれた人間は誰かに恋をしてしまいます。

叶わないとわかっていながらも恋焦がれてしまう恋愛や、理屈で説明できない一目惚れというのは、今も昔も全てアモルのせいなのかも。そう思うと、恋愛感情というのはちっぽけな人間1人の力ではコントロールできっこないのだな〜と納得したのですが、でも昔の人たちは違ったかもしれません。
医学が今のように発達していない時代は、そもそも男女の関係の要とは、子孫を残すこと、繁栄することだったと思います。そうすると、今のような恋愛の価値観とは違って、お見合いや家と家の結婚の様な側面が強かったでしょう。
好きでもない相手と結婚することが当たり前だった時代は、全くの架空の第三者であるアモルの介入を言い訳にして、相手を好きになろうとしていたのかもしれません。

かつて愛と称されたもの

今回の展示を一通りじっくり観て真っ先に感じたことは、時代によって愛の定義は移ろいでゆくのだということです。
様々な角度からの作品が展示されていたので、現代を生きる私たちの中でも変わらない人との結びつきが描かれているものもありましたが、解説を読むと、当時の愛情表現というのはなかなかに理解し難いものも多かったのです。
神話や伝説を通して、恋した女性を男性が力ずくで奪い去ることで男女の恋愛が始まったり、魔法や妖精で女性が男性を誘惑したりすると、解釈されています。
愛という言葉とは全く結びつかないような要素が次々と出てきて私は驚くばかりでした。
中世の絵画については、聖書や神話の一場面を一つの作品に落とし込むことが多いわけですが、今の私たちなら男性が恋した女性を誘拐して始まるストーリーに出会えばラブストーリーではなく、きっとサスペンスかミステリーと解釈するのでは?

人間は問い続ける。「愛とは」

今の私たちの感覚ではそこから恋愛が始まるとは思えないシーンを、この企画展では「愛」と解釈していました。
絵画の主題として切り取られたシーンは、ほとんどが神話や伝説の一部です。ここで私が1つ気になったのは、人間が「愛」という概念を共通して持つようになったのと、神話や伝説が語られ始めたのでは、どちらが先なのだろうということです。

ニワトリが先か、卵が先かの議論になってしまいそうですが、今を生きる私たちにも「あの時は気づけなかったけど、あれは愛情だったのだな」と後から気づける愛ってありますよね。
だから、もしかすると、愛という共通の概念を持ち始めた人間たちが、これまで語られてきたただの出来事の羅列のような神話や伝説のストーリーから、この2人の関係や間柄は愛に違いない、と愛を解釈し、見つけ出していたのだとしたら。
そう思うと、今の私たちが誘拐や魔法の力を使った恋愛を、それは恋愛と呼ぶのか?と疑問を抱くのと同じ様に、常に人間は「愛とは」という問いの中で生き続けているのではないかと思ったのです。

独占欲、支配欲、単なる性欲、色々なものが現代でも愛と区別して語られます。過保護すぎる毒親が非難されるようになり、異性同ではなくてもパートナーとして条例で認められるようになり……
これまで愛と思われていたものに、疑問を持つ人が増えたり、これまで愛とみなされていなかったものが愛だと認められたり、愛の定義は蠢きながら変わっていきます。
時には、その定義が人々を傷つけたり、苦しめたりするのも事実です。
だけど、この展示を通して、人間は誰かのために、「愛とは」と本能的に問い続けることのできる生き物なのではないかと希望が持てました。

ルーヴル美術館展 愛を描く @ 国立新美術館

拙い文章をここまでお読みいただきありがとうございます。誰か読んでくれる人いるのかな、と思いながら更新しているので「見たよ」感覚で「スキ」押していただけると嬉しいですദി ᷇ᵕ ᷆  )

>>pt.Ⅱに続く予定

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