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エコーチェンバーやカルト思想、観念論は、閉鎖空間に於ける非科学的無思考から生まれる

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事態はこう着状態で、もどかしい日々を送っている人も多いと思う。僕もそのうちの一人だ。

しかし、Qは、はじめから、

「全員が最後まで見届けられるわけではない」

とdropしていた。

本当に少しずつではあるけれど、確実な動きも見て取れる。今がまさに耐えどき、ではないだろうか。

あぶり出されて自滅する工作員たち

ここしばらくの間にも、Eriさんから、いくつもの重要な助言が公開されているようなので、Yukkieさんのnoteより、転載させていただきます。

(以下転載)

12/11

https://t.me/EriAndQmapJapan/1117

わたしは日本国内の状況は、ツイッターやyoutubeは追い出されているので、何が起きているのかよくわかっていません。なので、隊員さんたちに調べていただいたのですが、その会話の内容が、すべての、特に新たに目覚め始めた方々が意思決定時の参考になるかと思いましたので、チャンネルにUPさせていただきます。わたしや隊員さんたちの意見はあくまで個人的なものなので、誰が詐欺師かなどの判断は、あくまでもご自分でなさってください。きっかけをくださってありがとうございます!🙏🏻🥰 フリンさんはすべてのことを把握してくださっています。が、今はアメリカが最優先なので、なかなか今すぐどうこうというわけにはいかないと思います。わたしがアメリカの方々と交流する時は、こちらから連絡を取ることはなく、いつもあちらからDMなどいただいてそれに対応する形になっています...おそらく、アメリカが落ち着いてからでないとなにかとご迷惑になるかなと無意識に判断しているからだと思います。今は偽Qアノンの詐欺が暴かれ、人々が多くの気づきを得ることができる段階かと思いますので、祈りながら時を待とうと思います。🙏🏻🙏🏻🙏🏻❤️

(以上転載)

(この他にも、Yukkieさんのnoteには、貴重な情報がたくさん掲載されているので、必ず目を通していただきたいと思います。Yukkieさん、いつも情報をありがとうございます。)

この約1年の間、UYから、

「ねえ、この人ってどう?」

と聞かれた名前も複数あがっている。

「ああ、それ? 普通にカルトで、汁でしょ」

「だよねー。じゃあフォロー外しとく」

「というか、そんな工作員垢、フォローしとくなよw 顔つきみればすぐわかるでしょ」

「だってよくわからないし、聞けばわかるから、考えるのめんどくさいしw」

という会話が数回行われたのを覚えている。UYはまだまだ思考停止の時間が多いようです。

海外における、Jordan Satherを取り巻く状況もしかり。以前から書いているが、昨今の捏造ウィルス騒ぎを隠れ蓑にして、うようよと、不気味にうごめくカルトが大勢いる。

彼らの役割は、ウィルス騒動によって覚醒した人たちを、もっともらしい嘘によって先導し、静かに泥沼に引きずり戻す役割が与えられている。この界隈に昔から住む人たちなら、特有の腐臭に気づいて、遠ざけることは容易だ。けれども、まだまだ覚醒したばかりの、血の気の多いビギナは、案外簡単に誘導されてしまう。注意が必要だ。

このほど、フリン将軍からも、

「Qanonは、CIAによる心理作戦だ」

という発言があったようだ。

解釈の仕方はいろいろあるだろうが、僕は、Qと、似非のanonには明確な違いがあるのだぞ、という、将軍からの暗なるメッセージだと受け止めている。
(anonを装って、おかしな発言や情報発信を繰り返すことで、一般的な人たちが、正当なanonのことを、「あの人たち、なんだかわけのわからないことを言う、頭のおかしい人たちでしょ?」と思うような風潮を作り出す目的の工作員がいる。)

もちろん、Qを正確にフォロするanonは大勢いる。しかし、なかには、それらのanonを誘導するために用意された、Pied Piperのような輩が大勢いるのも事実である。かく乱工作は、彼らの得意分野なのだ。

そういった輩の発言は、多くの場合、ほとんど正しく見える。だから、覚醒したての人たちは、簡単に誘導されてしまう。しかし、彼らの発言の、ほんの数パーセントには、致命的な毒が混ざっているので、殺されないように注意することだ。

上記したとおり、ろくでもない工作員たちは、皆、もれなく、醜い顔つきと、薄汚れた声色、ねじ曲がった人間性で、自らの醜態を暗に語ってくれている。見分けるのは、そんなに苦労はいらないはずだ。

僕の見てきたカルト思想

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少し話題は変わってしまうが、長きにわたる、僕の個人的なDSとの戦いは、ようやく終わりが見えてきた。約五年にわたる長期戦だったけれど、終わってしまえばあっという間で、虚しさを感じることもある。雀鬼 桜井章一氏の言う通り、勝つということは、虚しいものだな、と思う。

けれども、学びもたくさんあった。

DSとの戦いには、必ず、意思や精神、魂が同じ方向を向いた、複数の仲間や賛同者が欠かせない。強い傲慢性や、劣悪なナルシシズムに満ち満ちた彼らに超越するには、単騎単独では難しい。そういう意味でも、WWG1WGAは、とても大切なことだと痛感した。

もう、傲慢性や自己愛性を強く持った人たちが、我が物顔で社会を跋扈する時代は終わりを告げるのだ。

いずれにせよ、DSの支配が終わった後は、自ら考え、自ら行動し、自ら新しいものを構築する斬新な発想が求められる。この先の世界にも、必ずそういった場面が訪れるだろう。今から、準備をしておかなければいけないと思います。

それにしても、彼らのカルト思想とは、どこからやってくるものだろうか。

カルト、オカルトというのは、閉鎖的な空間にのみ通用する、再現性のない非科学的な観念論のこと(もしくは、そういった思考や思想に染まってしまい、事実が見えなくなってしまった人たち)を指す。こういった事象は、何も特別なことではない。結構身近なところにも、存在しているだろう。

わかりやすい例でいえば、過去に存在していた、オ◯◯心理教などの新興宗教団体などがある。

もう少し突っ込んだ話をすれば、自然栽培や自然農法といった農業の周辺にも、世◯救◯教や大◯教、東◯之◯、神◯秀◯会や崇◯真◯などの宗教団体の存在がちらついている。有機栽培界隈にも、旧赤◯派や中◯派、三◯塚闘争に関与した、いわゆる極左系の臭いも、強く感じるだろう。
(農法自体には、良いも悪いもなければ、罪もない。ただ、そういった、一目見ると「良い」と思えることには、必ず、「そうではない存在」も身を寄せている、ということは知っておくべきだろう。真実と裏の世界は、背と腹の関係なのだ。)

こういった集団や団体に所属している人たち特徴は、先に書いた通り、非科学的な観念論に傾倒しているというところだ。

では、なぜ彼らは、そういったものにはまってしまうのか。

僕に農業のいろはを教えてくださった恩師は、業界に蔓延る非科学的なカルトの存在と危険性にいち早く気づき、独自の再現性を求めて、一定の成果を出した方だった。

しかし、そんな恩師の存在や農法、農作物を面白くないと思う、カルト側の人間はたくさんいる。なぜなら、恩師の作る野菜は、無肥料・無農薬とは思えないほどに美味しいからだ。

彼らは、ことあるごとに、恩師を非難、否定する。

「あいつの作る野菜はまずい」
「あいつの農法は、自然栽培の定義から外れている」

など、いつも怒った様子で、恩師を口汚く罵るのだ。しかも、そういう愚にもつかない誹謗中傷をするのが、業界では一人者と呼ばれる有力な農家だったりする。もちろん、その人は、世界◯世教の信者だ。
(こういった事例が、Eriさんが、「カルトはいつも怒っているように見える」とおっしゃることに、符合するのです。)

けれども、恩師は、そんなカルトの戯言には囚われることもなく、今も、ただ、淡々と野菜を作り続けている。周りを否定することもなく、周囲と同調することもなく、独自の路線を歩み続けている。

当時、まだ血気盛んだった僕は、一度だけ、

「少しは、あの人に反論してもいいのではないですか?」

と、僭越ながら、提言したこともある。

けれども、恩師は、ただにこやかに笑みをたたえて、こう答えた。

「いいんだよ。放っておきなさい。
Aoiくんならわかるだろうが、彼の、憎しみや悲しみに満ちた顔つきを見たまえ。あの人は、若いころ、地域の農家仲間から、「あいつは、特産のスイカさえ、ろくなものが作れない」と馬鹿にされていた過去がある。そういった、根深い劣等感を解消するための逃げ道として、非科学的な観念論と宗教に傾倒し、独自の、無肥料・無農薬の栽培をはじめた人だ。
そんな独自な路線でも、一定の結果を出していることは事実で、わたしは、あの人を買っている。それで十分はなずなのだけれど、あの人は、自分と似たような路線で、自分よりも評価されてしまっている、わたしのような存在を、疎ましく思うのかもしれない。劣等感を埋め合わせるためにはじめたことなのに、自分より上がいるとわかってしまっては、嫉妬心が芽生えてしまい、相手を中傷するのも、仕方がないだろう。弱い人間は、そういうことしかできないのだよ。
みんながそれぞれ独自の努力で道を切り開いて、お互いを認め合えれば、業界の発展につながるはずなのだけれど、他人の足を引っ張って、引きずり落とそうとする。そういう諍いやいざこざは、どこにも起きること。でも、本当に強い人は、そんな中傷に負けるようなことはないんだよ。
人間というのは、業深いものだねえ。」

このように、非科学的な観念論にはまってしまう原因を、師は、劣等感からくる逃避行動だ、と語っていた。
(偽のQ情報を垂れ流す、カルト工作員が、とんでもなくわかりやすい、醜い顔つきをしているのも、もしかしたら、彼らの幼少期の頃の、劣悪な生育環境にあるのかもしれない。)

同じような農業に取り組み、少しでも世の中を良くしたり、食べる人が健康でいられるようにと思っているはずの人たちが、なぜか、あちこちで、

お前の農業はダメだ、とか、
オレの農法の方が優れているとか、
うちの野菜や果物がいちばん美味いとか、

他人を過剰に非難して、マウントを取って、無駄な争いを巻き起こしているのを、幾度となく見てきた。傲慢に、他人よりも無駄に優越しようとしていれば、同じ業界が団結することなんてできないし、最後は、お互いた潰しあって消えるだけなのに、どうしてみんな、共存できないのだろうと思う。

それはさておき。

当時は、師のおっしゃっていることには、あまりピンとこなかった部分もあるが、今はとてもよくわかる。

宗教やカルト、観念論というのは、現実や事実に向き合う努力をせずとも、自分の頭で、理想や想像、空想を巡らせることで、いくらでも、自分に都合のよい世界観を頭の中に作り出せるから、とにかく楽なのだ。
(もう一つの特徴は、他人から非難・攻撃されても、観念論は、自分の妄想と幻想がベースになっているので、いくらでも、詭弁を並べ立てて、議論から逃げ出すことができる、という特徴もある。カルトにはまる人は、皆、批判に耐えられないくらい、弱い。)

たとえば、人間関係において、仲良くなれない相手(自分を好いてくれない異性)がいたとする。

そういった場合、まずは、その現実を認めて、受け入れることから始める。そして、自分のなにがいけないのか? 自分にはなにが不足しているのか? と思考する。原因を突き止めることができたら、勉強をして、自分を変えて、少しずつ、相手と仲良くなれる(恋仲になれる)ような努力をするべきなのだ。これが、唯物論的な、現実と事実を受け止める、通常の人の思考だろう。

しかし、観念論というのは、

「あいつは狐に取り憑かれた異常者だから、わたしのことを好きになれないのだ。」

といった具合に、勝手な妄想を瞬時に作り出して、納得できてしまう。そういった脆弱さがある。(ある意味では、認知的不協和の、すっぱい葡萄と同じかもしれない。)

けれども、カルトや観念論というは、なにも、農業や宗教に限ったことではなく、案外身近なところにも、たくさん存在している。

近頃の、マスクやワクチンだってそうだろう。

マスクが感染症対策にいっさい効果がないことは、データを見れば明白だし、毒ワクチンの効果や安全性にも、再現性が証明されていないことは自明である。

しかし、多くの庶民は、観念論者なので、

「テレビやマスコミ、政府や政治家が、国民に不利なことをするわけがない」

といった、メディア戦略によって発生しているエコーチェンバーによる幻想を口にするばかりで、現実から目を背け、実際のところに目を向けることなく、無意味な感染症対策に溺れてしまう。

あらゆる企業体や職場だってそうかもしれない。

僕の視点からすれば、

「なんでこんなに無駄な雑務ばかりがあって、大勢の従業員が、夜遅くまでサービス残業しているのだろう。あれもこれも、全部なくせば、みんな定時で帰れるのに……。」

なんていう事例は山ほどある。

けれども、思考停止で業務に従事している人たちからすれば、その無駄な雑務は必要なことであり、夜遅くまで仕事をしてもお金がもらえない状況は、この会社では常識だから、といった具合の幻想によって支配されていて、ブラックな環境に適応してしまっている。

(無駄な雑務を山ほどこさえる、無能な管理職も、結局は、劣等感や嫉妬心の塊である。無意味な仕事でも、雑務というのは、やればやるほど、「オレたち仕事してます」感を出すことができるので、上にアピールしやすいし、なにより、「仕事をやっている感」も実感しやすい。けれども、無駄は無駄である。そういう、くだらない「無駄」に埋もれて自己陶酔してしまうのも、劣等感や自己不適格感に苛まれている、ナルシシストの特徴だろう。)

たとえば、会社組織での「役職」といったものも、あくまでもその組織のなかでのみ通用する概念であるはずだが、社長や部長などの上司が、組織の外でも、なんだかすごく偉い人に見えてしまい、常に、萎縮・恐縮してしまう平社員もいるだろう。そういった感覚も、カルト化した組織のなかで芽生える感情かもしれない。(これも、宗教団体や趣味サークルなどの、あらゆる組織に共通する事例だろう。)

たとえば、観念論からもっとも遠いところにいるはずの科学者であっても、特定の研究を進めていると、「どうしてもここがわからない」とか、「予算や時間の都合で、ここの証明や整合性が再現できないそうにない」といった場合がある。そういうとき、観念論の甘い囁きに負けてしまった科学者は、「おそらく、ここについては、こういうメカニズムなのだろう」といった、ざっくりとした抽象的な解釈で、科学的検証をいっさいせずに、想像や空想で論文を書きまとめてしまうことがある。これは、慎重な保留姿勢を最優先するべき科学にとっては、あってはいけないことだが、人間というのは、常に完璧にできるわけではない、弱い存在だ。科学者だって例外ではなく、観念論に落ちぶれてしまい、誤謬にはまってしまう事例は、無数にある。

これらは、あくまでも一例でしかない。

ただ、すべてに共通していえることは、どれも、閉鎖的な空間や場、思考や組織の中で起こること、ということだ。

外部から見たら、

とんでもなく非効率だったり、
非常識だったり、
誤りだったりすることでも、

狭い空間では、なぜだかそれらが反射・反復的に増幅してしまい、常識や通例として、当たり前にまかり通ってしまっている。そういうことは、往々にしてあるのではないだろうか。

(人間の脳細胞における思考であっても、ほんの少しの不安や恐怖を感じてしまうと、認識のなかで無限に反響してしまって、気づかぬうちに、大きなものになってしまい、それらの負の感情に縛られてしまうということがある。空っぽの部屋で、大きな声を出すと、声が反響するのと同じようなものだ。これらも、エコーチェンバーの一種だろう。)

つまり、思考や思想のカルト化は、どこにもありえる危険性といえる。

それを避けるためには、常に視野を広く持ち、客観的な視点を持つべきだ。

狭い空間や組織のなかで、自分たちは正しいと驕っている場合ではない。

むしろ、

自分たちは、間違っていないだろうか?

自分たちは、井の中の蛙になっていないだろうか?

と、

常に謙虚に、自らを省みながら、点検する必要があるだろう。

それを怠ったら、どんな組織も人も、閉鎖的で、無価値なものに落ちぶれる。

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以前のエントリで書いたように、

本来、物事を理解するには、自分の観念的な想いはさておき、常に、現実や事実、データのみを注視して、慎重に前進するべきだが、人間は、機械やプログラムではないので、どうしても、安直な想像や妄想、幻想に依存してしまうことがある。

はじめは慎重に物事を進めていても、途中でめんどくさくなって、「ああ、もういいや!」と、適当にさじ投げしたくなってしまったことは、誰だってあるだろう。

他人のプロファイリングについて、異常なくらい精細な反応を示すことのできるUYでさえ、適当な日常では、下品な顔つきの工作員垢を、テキトーにフォロしてしまっていることがある。

人間なんて、そんなものである。

でも、それでは、いつまでたっても事態は進展、発展しないし、騙されてしまうこともある。だから、どこまでいっても、大変でも、めんどくさくても、常に、非科学的な観念論やオカルト思考を排除しなければいけない。

僕はそう思います。