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ゆるすこと

おはようございます。
今朝、いつもよりも早く起きて瞑想の時間を長めに取りました。
カーテンを開けたら、まだ少し薄暗いような時間です。静かな朝の空気の瞑想は、私をいつもと違うところへ連れて行ってくれます。

今日の瞑想のテーマは「ゆるし」。
自分に対しても他人に対しても、思い通りにならないことはよくあること。自分の理想に現実が追い付かず、元気をなくすことは誰にでもあるでしょう。

そんなとき、周りの人のせいにしたり、タイミングや様々な出来事の重なり合いのせいにしてみたり、いろいろと言い訳をしたくなります。
その根源には、物事がうまく進まなかったことによる苛立ちや落胆、怒りが隠れているような気がします。その心の痛みや腐食を麻痺させるために、様々な言い訳を探してしまうのです。

納得のいく(あるいは強引にでも納得できる)理由を見つけると、人は安心します。「それなら仕方ない」と思うことは、便利な薬です。引きずらない、良い性格ともいえるでしょう。私もそうやって何度も、自分を保つためにその薬を使いました。何かと折り合いをつけるためにそれが必要なこともありました。

けれど、最近気づいたのは本当の「ゆるし」、そしてそれが生み出す深々とした癒しは、もっと荘厳なものだということです。
私がここで「ゆるす」をひらがなにしているのは、「許し」も、「赦し」もどちらの意味も兼ねているからです。「許す」は、これから行う行為について許諾を得ること、赦しは、過去の罪に対して用いられる言葉です。

本当に何かを「ゆるそう」と思うとき、問題の根源をじっと見つめる必要があります。どんなに痛々しくても、不格好で不快な形をしていても、異臭を放っていても、目を背けずに見つめるのです。そしてその時に生まれる自分の感情を俯瞰します。強い嫌悪感や羞恥、苛立ちを感じるかもしれません。でも、それから逃げずにその感情に身を浸します。溺れない程度に。
そうして見つめ続けていると、ある時ふっと、強烈な感覚から抜け出せることがあります。それが本当に、「ゆるせた」時なのでしょう。
まるで最初からそんな怒りや苛立ちはなかったかのように、驚くほど心が凪いだ状態になります。

話は変わりますが、ヨガのポーズの中には自分と相性が悪く、なかなか上手にポーズを取れないこともあります。柔軟性や筋力が足りていないからでしょう。そんなときに、痛みや詰まりを感じている部分から目をそらさないことが大切なのです。
私はまだまだ未熟で、できないポーズばかりですが、そのできない自分に向き合うこともまた、今の私にとってのヨガ。できないことや痛みを見つめることで「ゆるす」取り組みなのです。

この強力な「ゆるし」の良いところは、問題をなかったことにしない点にあります。
ゆるしたからといって忘れるわけではなく、かつてあった問題を飲み込んだうえでの今があるということに実感が持てるのです。鎮痛剤で痛みを忘れるのではなく、痛みの根源から治癒すれば、次にその部分が痛みそうだと思ったときに、様々な対策を講じることもできます。

だから、自分の中に巻き起こる負の感情に恐れず飛び込んでいく勇気を忘れずにいようと思いました。
ネガティブな自分のことはあまり好きではないのですが、それを超えたところにいる自分には会いたいものです。

今日はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

今日から10月。
一つの命が実り、冬に向けて眠りの支度をする命もあるでしょう。
様々な命の形、変形を見られる秋という季節が好きです。

全ての命が輝きますように。


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