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二話 美久さん、叱る

「一話 美久さん、出現」の続きだよ。

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性同一性障害と勘違いして悩む
義理の妹に悩むぼくの物語
二話 美久さん、叱る

 田中さんが連れて行ってくれた居酒屋は、間口が三間ほどの小さな店だった。葦簀の簾が窓を隠し、食事処の提灯が下がり、居酒屋「分銅屋」の紺の暖簾がかかっていた。田中さんが暖簾をくぐって木の引き戸を開けた。

「いらっしゃいませ」という女性の声が聞こえた。薄水色のセーターにエプロンをした、まだ三十代前半ぐらいの女性がカウンターの向こうの調理場?板場?に立っていた。年配の板前さんを想像していたぼくは面食らってしまった。

 入口すぐ左側には畳部屋の小上がり席があった。右側はIの字の調理場と六席のカウンター。左手奥は四人がけのテーブル席が三つ。女将さんと呼ぶにはまだ若い女性が「あら、美久ちゃん、いらっしゃい。あれれ、男性同伴?彼氏さんかしら?」と田中さんに声をかけた。(田中さんは「みく」さんという名前なんだ)「女将さん、違うわよ。お店のお客さん。お部屋を見てきたの。それで、ちょっと一杯って誘っちゃったの」と美久さんが答えた。

「あら?本当?美久ちゃん、お客さんをちょっと一杯なんて誘う子だったっけ?」といたずらっぽそうに美久さんの眼をのぞき込んで聞いた。田中さんは真っ赤になって顔の前で手を左右にふって否定の素振りをした。「違います!」「まあまあ、恥ずかしがっちゃって。じゃあ、畳部屋にする?」「ええっと・・・」「畳部屋にしなさいな。内緒話できるわよ」畳み掛けるように言う女将さん。

「・・・わ、わかりました。畳部屋にします・・・おつまみは・・・そのカウンターに載っているもの全部。ビール大瓶二本、お願いします」「ハイハイ、千住っ子はメニューなんかみないものね。適当に今日のおすすめも見繕ってあげる」「ありがとうございます」

 田中さんが障子を開けて畳部屋に入った。ぼくも続いて入った。四畳半の部屋で、四人席で対面に座った。「よいしょっと・・・って、おばさんみたいね」と正座して田中さんが言う。「田中さん、いいお店につれてきてくれてありがとう」「美久です。美しいに久しいと書いて美久。美久と呼んで」「じゃあ、ぼくもタケシと呼んでください。美久さん、よかったら足をくずして。横座りのほうが楽でしょ?ぼくもあぐらだから。正座って苦手なんだ」「わかりました。じゃあ、遠慮なく」「いやあ、北千住っていいなあ」
なんて話していると、女将さんがおつまみとビールをお盆に乗せて持ってきた。「美久ちゃん、今日はねえ、ブリカマでしょう、牡蠣と白子の天ぷら、あん肝ポン酢、ほうれん草のおひたし。まず、第一弾ね。あ、彼氏さん、ビールをどうぞ」と言ってぼくにコップを渡してビールを注いだ。「女将さん、今日お会いしたばかりなんだから。彼氏さんじゃないって・・・まだね・・・」と美久さんが言う。

(まだね?まだねって美久さん、言ったの?)

「美久ちゃんもほら、照れてないで、ビール」と女将さんが美久さんにもビールをついだ。「お女将さんもどう?いっぱい?」と美久さんが聞くと「あとでね、まだ時間早いしね。彼氏さん、お名前は?」「兵藤と言います」「兵藤さん、よろしく。私は吉川(きつかわ)久美子」「女将さんとお呼びしていいですか?」「結構よ、みんなそう呼ぶのよ。まだ、若いのにね」
「タケシさん、このお店、小さい頃からの馴染みなの。お世話になっちゃって。私って、母親が小さい頃亡くなってしまって、男手一つで育ったの。だから、食事はいつもこのお店なの。久美子姉さんは私の本当のお姉さんみたいなものよ」
「ヤンチャな子でねえ。高校の頃はグレちゃって、ヤンキーしていたから心配したけど、大学に入ってお店を手伝って、エラくなったわ」

(え?美久さん、ヤンキーだったの?ギャルじゃないの?)

「女将さん、そういう内輪の話はちょっとぉ。今日もタケシさんに高校生のギャルと間違われたんだから・・・ヤンキーだなんて・・・」
「そういう格好しているからギャルとかヤンキーに勘違いされるの」
「勘違いされたのはギャルです!ヤンキーじゃありません!この格好、好きなんだもん、仕方ないでしょ」
「美久さんはヤンキー座りなんてしていたの?」
「もう、兵藤さん、ヤンキー座りどころか、友達が男のグループに輪姦されたっていうので、殴り込みに行ったりね。この子、こう見えても空手やっているのよ」と女将さんはぼくの住んでいるところではギョッとすることをサラッと言った。北千住では当たり前の会話なんだろうか?

「女将さん、やめってってば」
「あら?お付き合いしたいのなら、隠し事なしで、みんなさらけ出したほうがあとが楽なのよ。オンナとオトコの間で最大の障害になるのは秘密と嘘、この二つなんだから」
「女将さん、今日はちょっと飲みに誘っただけなんだから・・・」
「ぼくの家も母が小さい頃病死して、この前まで父一人子一人の父子家庭だったんですよ。ただ、最近、父が再婚しまして、義理の母と二才年下の妹ができたんです」
「それって、今回の一人暮らしに関係するんですか?立ち入った話ですけど」と美久さんが聞いた。
「いいえ、以前から一人暮らしをして独立心を養いたいと思っていましたので、直接の関係はないんです。単に契機になったというだけです」
「じゃあ、その再婚に感謝しないと。だって、それで賃貸を探して、私と会えたんだから」
「ぼくはなんと言っていいのかな?」
「その前に美久ちゃん、聞かないと。兵藤さんは彼女さんはいないの?」
「え、ええ、彼女と呼べるような女性はおりません」一瞬義理の妹のカエデの顔が浮かんだが、ぼくはそう答えた。
「美久ちゃん、やったね。チャンスおお有りだよ」
「お、女将さぁ~ん、もう止めて!」
「美久さん、空手やってるんですか?」
「ハイ、駅前に道場が有って通ってます。ヤンキーだったから、後輩を守らないといけないし、強くなりたかったんです」
「ぼくも合気道をやっているんですよ。下手っぴですけど。こういう陰キャな性格で人付き合いが苦手なので・・・」
「タケシさん、どこが陰キャなの?ぜんぜん、陰キャじゃないじゃない?」
「オタク趣味だし、友達は少ないし、一人でボケ~としているのが好きなんですよ。第一、グイグイ攻めてくる美久さんにいいでもなく、悪いでもなく、受け身で接しているぼくは陰キャでしょう?」と、ちょっと反撃。
「タケシさん、それはいけない!私と遊んでくれるなら、外の世界が開けるわよ?」と動じない美久さん。
「うん、お願いします」美久さんとだったら新しい世界が開けるような気がしてきた。憤然としてぼくを睨む義理の妹のカエデの顔が浮かんだが、気にしない気にしない。

「まあまあ、ふたりともいい調子じゃない?じゃあ、おばさんは消えるわね」
「あ!女将さん、お酒!タケシさん、日本酒飲まない?」
「いいですよ、日本酒好きです」
「やったぁ。女将さん、諏訪泉、二合徳利でお燗して、二本!」
「呑むわねえ・・・ハイハイ、呑み過ぎちゃあダメよ」
「わかってます!お願い!」

「美久さん、さっき女将さんの言っていた輪姦とかさ、よくあるの?風紀が悪いの?」
「うん、ハッキリ言ってすごく悪い。え?タケシさん、住みたくなくなった?」
「ううん、問題なしだよ」
「良かったぁ~!あのぉ、足立区って、町田と同じくらい風紀が悪いのよ。昔っから」

 美久さんによると、昔っから暴力団の組事務所が乱立していて、抗争が絶えないのだそうだ。昔は、住吉会がシマを仕切っていたが、最近では、六代目山口組系の静岡県の暴力団が本部を移転しようとする動きがあって、地元の松葉会系の暴力団とトラブルになっているのだそうだ。しかし、警察の取締が厳しく、そういう既存の暴力団よりも、半グレの方が摘発されない分だけ、暴力団よりものしているらしい。関東連合の流れを組む連中とか、怒羅権(ドラゴン)という首都圏を拠点とする中国残留孤児2世3世や中国人からなるグループがしのぎを削っているそうなのだ。彼らの資金源は、ドラッグや売春。友達が輪姦されたのもそういうグループの末端の連中だったと美久さんは説明した。

「だから、タケシさんも気をつけてね。タケシさん、育ちが良い印象だから、彼らに絡まれそう。大丈夫、美久と一緒なら、美久がのしちゃうわよ」
「美久さん、それはそうと、ぼくなんかがなんでいいの?」
一目惚れ。理屈がいる?

 日本酒をさらに二本空けてしまった。美久さんはお酒強い。暫く経つと女将さんも合流して、美久さんの武勇伝をたくさん聞いた。スゴイぞ。ヤンキーの女の子に一目惚れされるなんて、ぼくの人生で画期的だ。さんざんに呑んで、払いをぼくが私がともめて、じゃあ、次は美久さんが払う番だよ、ということでぼくが払って決着が着いた。

 分銅屋を出て、私送っていく、というので、北千住の駅まで美久さんと一緒に歩いた。「タケシさん、腕くんでいい?」と聞かれた。「ハイ、恥ずかしいけれど・・・」と言うとぼくの右手に美久さんがしがみついてくる。彼女の胸があたってドキドキした。「私、こんなの初めてなんです」と恥ずかしそうに美久さんが言う。「え?」「彼氏なんていたことなかったし、男性と腕を組むなんて初めてなんです。恥ずかしい。けど、一目惚れなんだから」

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(ウソ?初めてでこうグイグイくるの?ヤンキーってそうなの)

 しばらく歩く。狭い道が続いた。下町らしく、住宅、レディスの洋品店、和菓子屋、おもちゃ屋、揚げ物屋が並んでいた。すると、向こうからどう見てもヤンキーだろ?という女性の三人組が近づいてくる。金髪に黒マスク。ケバい服装。三人組は僕たちの正面で立ち止まった。美久さんが慌ててぼくにからめていた腕を振りほどく。

 三人組の一人がお辞儀をした。「ネエさん、おばんです」残りの二人も「あねさん、おばんです」と言って美久さんにお辞儀をする。

 すると、美久さんが一歩前に出て、最初にお辞儀をした女の子の耳をつかんで、引っ張っていってしまった。「こら、ネエさんなんて言うな!私は卒業したんだぞ。知らんぷりして行っちまえばいいのに!バカヤロ!」と小声で叱っている。「ネエさん、失礼しゃーした。でも、彼氏さん連れで?」と怯まず女の子も美久さんに聞く。「こら、節子!彼氏さんとか立ち入って聞くんじゃねえ」と美久さんは低い声で言った。

「美久さん、お知り合いの方ですか?」とぼくは近寄って美久さん聞いた。
「いえ、単なる後輩です、高校の後輩・・・」と下を向いてしまう。「そうですか?みなさん、美久さんとは今日あったばかりなんですが、意気投合しちゃって。兵藤です、よろしく」とぼくは三人組にお辞儀した。三人組は「兵藤にいさん、よろしくおねがいしゃーす」と元気よくお辞儀して「失礼しゃーした。あねさん、また」と美久さんに一礼して行ってしまった。

「タケシさん、すみません」
「いえいえ、美久さんは人望があるんだ。なんのグループだったんですか?」とぼくが聞くと美久さんが「・・・え、えっと、バイクのグループの・・・レディスの総長を・・・」と蚊のなくような声でいった。
(女将さんに「オンナとオトコの間で最大の障害になるのは秘密と嘘、この二つ」と言われたもの。正直に話そう、と美久は思った)

「スゴイ!」とぼくが言うと「・・・私に、げ、幻滅しないでください」と下を向いて言った。「幻滅も何もゾクゾクします」「は?はい?」「だって、美久さん、スゴイや。そんな女性と知り合えるなんてぼくの人生でなかったもの。こんな機会はじめてです。素敵だ」

 美久さんはまた腕を組み直してぼくの方を上目遣いに見上げて「タケシさん、あなた、おかしな人。本当に陰キャなの?」と言って、ぼくの腕をギュッとつかんだ。


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