数日前につぶやいた『事実と真実』に関して、自分へのメモで、『太閤記』にある金ヶ崎の退き口を枕に書いておこうと思う。
上記のコメントのレスで、こう書きました。
『事実』は、実際に起こった事、うそ偽りのない事柄です。『真実』は、事実に対する解釈の事です。解釈ですので、『事実』を目撃した個々人それぞれの解釈が異なるのは当然のこととなり、『事実』と『真実』が異なり、一致しないことも多々あります。では、どの観察者が事実を述べられるのか?神の視点でしかわからないのかもしれません。
後に天下を取る秀吉の彼の視点、都合から書かれた『太閤記』なら、激しい撤退戦を展開し、織田信長を助けた最大の功労者という、彼なりに『事実』を歪曲して、豊臣秀吉を持ち上げる解釈での『真実』を書かせ、後代の人たちもその解釈を信じてしまったことになったのでしょう。
現代のマスコミの言辞と同じく、昔から、ある『事実』の解釈での都合の良い『真実』が歴史上でも数多く転がっているのでしょう。
いや、マスコミに限らず、例えば、不倫などの両者の言い分の違いも、彼らしかわからない『事実』に基づいた両者の解釈の違いの『真実』をもって言い合いをしているだけ。
だから、「夫婦喧嘩は犬も食わない」、『事実』は当事者の両者でもわからない、ってことになります。
新説・金ヶ崎の退き口
織田方の最前線が〈難攻不落の国吉城〉だったという重要な意味
【どうする家康 満喫リポート】金ヶ崎の戦い編
これが一番
真実
に近いのではないだろうか。
とこの記事の著者は書いていますが、これ、『真実』という言葉を使うのかい?『事実』の間違いでしょ?と思うものです。