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A piece of rum raisin 第13話 シンガポール(3)

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第 13 話 第二ユニバース:シンガポール(3)
1987年7月2日(火)

ひとしきりドシンバタンをしたが、まだ時間も早かった。それで、またタクシーを拾ってオーチャードロードに買い物にでかけた。その頃のティファニーはニー・アン・シティーの二階のショールームだけだった。

ティファニーは洋子が好きなブランドだった。もちろん、彼女がいつも買うのはティファニーの金であって、銀ではない。だけど、ロケットは銀を買いたいという。まだ午後も早いティファニーには客がいなかった。まず、洋子は、ロケットの在庫をすべて出させて、一つ一つ吟味した。それで、何の変哲もないハート型のロケットを選んだ。それから、スリークォーターの銀のコイン(コインはクルクルと回り、表裏がひっくり返る)のネックレスも選ぶ。

「じゃあ、この二つをいただくわ」と、洋子が言うので、
「待った。これは私に払わせて」と、私が言った。
「私が買うのよ」
「ダメ。私の写真と名前を入れるなら、私が払う」と、私は強情に言い張った。
「しょうがないなあ。じゃあ、プレゼントして」と、彼女は恨めしそうに言う。

ロケットとチェーンは包んでもらった。コインは、刻印を入れてもらわなければならない。「あさっての便でフランスに発つの。いつできるかしら?今日の午後ではダメ?」と、洋子は店員に訊く。店員は、「急がせます。本日の6時でよろしいでしょうか?」と言う。「結構だわ。申し分なし。ね?明彦?ちょうどいいわ」と、彼女は言った。

洋子が店を出ようとするので、「洋子、まだ見るんだろ?」と訊く。「あら、ショッピングは終わった・・・」

「ウソつきだねえ。普段、金しか買わないじゃないか?どうせ、私が払うと言うと思ったから、安い銀を選んだんだよね。金額じゃないけど、洋子がそう考えているな、と思ったから、あれを払った。それに、金よりも銀の方が、ロケットやコインは素敵だ。でも、ティファニーの金は買わないの?買いたいんだろう?」
「まあ、また人の心を読んだわね。その通りよ。わかったわ。降参」と彼女は言って、店員に「ゴールドの指輪をみせてちょうだい」と言った。
それで、また、店員は金の指輪を総動員して、洋子の前に並べた。「明彦、どれがいいと思う?」と、洋子が訊く。「え~っとね・・・ふ~む、これかな?」と、私は編み上げた鎖が細かい層をなして鎖帷子のようなティファニーサマセットを選んだ。「あら、これユニークで素敵!」「そうでしょ?」「これにしようかなっと・・・」と、彼女は指輪をはめて店員に見せながら言った。「これはサマセットシリーズです。よくお似合いですよ。お若い方にはピッタリです」と、店員が言った。
「明彦ぉ~、若い人にはピッタリ、だってさ」
「若いよ、洋子は。私と同年齢の彼女に見えるよ」
「ヘヘヘェ~、明彦も何か買いなさいよ」
「じゃあ、私もリングを選ぼう」と、シンプルなルシダのバンドリングを選んだ。「これにしよう」と店員に言う。「ええっと、支払いは、彼女の指輪を私が支払います。私の指輪は彼女が支払う。そういうように取りはからって下さい」とお願いした。
「ちょっと、明彦、今度は私が・・・」
「次に、いつ会えるかわからない。だから、洋子の指輪は私が払う、私の指輪は洋子が払って欲しい」と言った。
「また、私の考えていることを読んだわね?」と、洋子は私の太腿をつねった。
「読心術なら私の勝ちだよ」と、洋子に言う。
「また、負けたのか・・・」
「また助教授に勝ったね?」

私たちはティファニーブルーのペーパーバックを抱えて、店を出た。オープンカフェに行って、洋子は紅茶を、私はコーヒーを注文した。
洋子はロケットを取り出して、「明彦、つけて」と言った。私は洋子の後ろに回り、長い髪をかき上げて、洋子に髪を抱え上げさせて、ロケットを彼女の首筋につけた。

「写真がいるわね?」
「う~ん、手っ取り早く、パスポート写真を撮ってもらおう」
「綺麗に撮れるかしら?」
「パスポートの写真ならしかめっ面だけど、二人にこやかに笑って撮してもらえば大丈夫だよ。ただし、ちょっと離れて撮ってもらわないと、ロケットに収まらないからね。ロケットを見せれば大丈夫だよ」
「あら、そうね?そうしましょ。どう、似合う?」
「そのブラウスだと襟ぐりが深くないから見えないよ」
「そうよ、人に見せるためのロケットじゃないのよ。だから、長いチェーンを選んだのよ」
「ああ、それでか」
「でも、明彦には見せてあげるわ、今晩。これだけをつけた私を」
「ドシンバタンしたら、チェーンが壊れないか?」
「壊れないように、明彦が優しくすればいいだけよ」と、洋子はニヤッとして言う。
「ハイハイ、わかりました」
「ねえねえ」と洋子言って、ペーパーバックをガサゴソさせた。サマセットのリボンをはずして、ケースを私に渡した。「私に指輪を・・・」と、言う。私はケースを開けて、リングを洋子の左手の薬指につけた。「ハイ、これで洋子、結婚できないよ。私がリザーブしてしまったから」と言った。「あ!やったね?じゃ、私も」と、洋子はルシダのリングを取り出して、私の薬指にはめた。「ハイ、私も明彦をリザーブしました。残念でした」と言った。
「じゃあ、今からミセス・宮部とお呼びしないといけませんね?お嬢様?」
「そうお呼びになっても結構よ、明彦」と、高い鼻をツンとそらす。
「ハハハ、本当の夫婦みたいだね」
「バカね、明彦、本当の夫婦なら、子供がいて・・・娘がいいなあ・・・家計が大変とか、教育費がとか、もっと現実が切実に迫っていて、ティファニーで十数万円も散財しないわよ」
「ま、確かにそうだ。え?洋子、息子よりも娘がいいの?」
「そうよ、欲しいけれどねえ・・・明彦の娘が・・・」
「何を言っているんでしょうか?お嬢様?」
「でも、大丈夫。今は安全日だから」
「残念だね?」
「本当にそう思う?」
「次の機会に取っておこうよ、そのチャンスは」
「あら、次の機会っていつ?若く見えるけど、高齢出産になっちゃうじゃない?」
「じゃあ、できるだけ早く次の機会を見つけよう」
「うれしいことを言ってくれるわね?冗談にしても」
「今は本気で言っている、とこう思ってよ」
「私が幸せになってしまうことを言うわねえ・・・」

私たちはしばらくおしゃべりをして、カフェを出た。お店で服を見る。洋子は、スカートとシャツを山ほど買った。「これは私が払うんだから、財布を出したりしないでね!」と言って、さっさと支払ってしまう。お昼は軽くピザを食べて、ビールを飲んだ。

それからビクトリアズシークレットに行って、ものすごく挑発的なレースの黒のオープンクロッチショーツやそれとお揃いのブラ、ガーターストッキングなど3組買った。「どう?あとでファッションショーよ。ストリップティーズしてあげるわ」と、チェシャ猫が舌なめずりするように言う。

「まったく、助教授、フォーマルなスーツの下にこんな下着をいつもつけているの?」
「まさか。明彦スペシャルよ。キミだけ。そう、キミを思う夜もね・・・」と、言う。
「光栄ですね、やれやれ。今晩も眠れない長い夜になる?」
「そう、なが~い夜にね?」

などとやっているうちに、いつの間にか6時になり、私たちはティファニーに行って、洋子と私のイニシャルが両面に刻印されたコインのペンダントを受け取った。私も洋子も両手に山ほどのバックを抱えて、タクシーの中でバックの山に埋もれながら、ホテルに戻った。

「また、整理しないといけないなあ・・・」と、洋子が心にもないことを言う。
「何言っているんですか?整理できるわけがないでしょ?洋子に?次々と着替えてはほうりだすだけでしょうに?」
「そうね、できないことは言わないことね。みんな明彦が片付けてよね」
「ハイハイ」
「あ!コイン、コイン」と、ティファニーのコインを取り出す。
「これは明彦がするのよ」と言う。
「あれ?私が?」と言うと、
「ロケットにコインじゃ重いでしょ?明彦がするの。私のリザーブ!フフフ、可哀想な明彦。リザーブされちゃって。でも、必要なら、リングもそれもはずしていいから」
「よほどのことがない限りはずしませんよ。絶対にはずさない、というのは無理かもしれないけど」
「正直ね?」
「大事にするよ、洋子」
「私も」と、自分のリングを触った。「さあ、明彦、整理はあとにして、イーストコーストに連れて行って。カニとエビを食べたいの。お腹がすいちゃったんだから」と言った。
「了解しました、お嬢様」

私たちは、タクシーでイーストコーストのシーフードレストランに行った。カニをエビを山ほど注文した。

夜はドシンバタンして、翌日は遅くまで寝ていて、午後、ボタニックガーデンに行ったり、セントーサ島に遊びに行ったりして過ごした。それで、夜になった。シンガポール最後の夜というわけだ。明日には、私たちは別々の便で西に向かわないといけない。

その夜は、私たちはシャンパンを注文した。飲み干してしまったのだ。バランタインの30年が半分ほど残っているだけだ。シャンパンをベッドの上で飲みながら、私たちはいろいろなことを話した。それで、洋子がグラスを見つめながら私に言った。

「私、明彦に訊いてみたいことがあるんだな」
「なんですか?」
「私自身の自負のために訊きたいのよ。あなたにとって、私は最強の女性よね?あなたの人生にとって。最愛の女性ではなくても」
「最強とか、最愛とか、それが洋子の自負のなんに役に立つのですか?」
「私はあなたのいうように、徹底的な利己主義者だわ。他人への依存も、他人の所有もしたくない。他人とも自分のどの部分も共有したくない、と思っている」
「そうです。私たちは似ているんですよ」
「そうね、それで、私は自分の利己主義を信じるためにも、自分が強くないといけない。でも、誰のために?利己主義者だから、自分で強いと思っているといいのかな?ちょっと違うようね。だから、明彦の人生で、私はあなたにとって、もっとも強い女性である、とこう思いたいの。あまり理屈では考えられない、スッキリしないだろうけど・・・」
「そういう意味では、洋子は私の人生でもっとも強い女性の一人ですよ」
「ん?私がもっとも強い女性でしょ?」
「アハハ、最悪の女性は洋子の妹ですが、あなたはもっとも強い女性の一人と言っていい」
「じゃあ、もっとも強い女性がまだいるの?」
「いたでしょ?絵美が?」
「彼女は私と同じくらいに強かったの?」
「そう思えますよ」
「ちょっと!彼女が明彦の最愛の女性だったのは許す。でも、彼女がなくなったとき、27才だったじゃない?私はすでにそのとき、33才よ?」
「年齢だけの問題じゃない、それに、家系だって、彼女の家系は、洋子、あなたの家系に劣らない家系でしたよ」
「ああ、それは調べたわ。旧華族でしょ?」
「そこまで、彼女が気になった?」
「世界中の誰も私は気にならないけれど、明彦に関わることは気になったのよ」

なんとなく、そんなことを話したのを私は覚えている。なぜ、そんなことが気になるのか、私にはよくわからなかった。


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